FILE_23: 疑惑の共犯者
夜の冷気が満ちる一華の部屋に、場違いな男の影があった。
「帰って」
一華の言葉は、凍りつくほど冷たかった。ドアの前に立つ蓮を、彼女はただ軽蔑と敵意が混ざり合った瞳で見据えている。
手の中には、あの夜創太が遺していったデバイスが固く握りしめられていた。
「何の用? 公安がまだ私に何か用があるの? ……それとも、あの子を消しただけじゃ物足りなくて、今度は私を壊しに来た?」
「違います、一華さん。私は──」
蓮の声には、かつての冷徹な鋭さは欠片もなかった。一華は、目の前の男の変わり果てた様子に眉をひそめる。
公安の最精鋭だった男が、今はまるで、自らの犯した罪の重さに今にも圧し折れそうなほど、悲痛な表情を浮かべていた。
「信用しろと言う方が無理なのは百も承知しています。ですが、どうか話を聞いてほしい。……創太君を引き戻す手がかりが見つかったんです」
「……なんですって?」
その言葉に、一華の視線が初めて跳ね上がった。しかし、すぐにその瞳にどす黒い猜疑心が宿る。
「よくそんな汚い嘘がつけるわね。あの日、目の前で創太を追い詰めて、消滅させたのはあなたでしょう! 今更何の罠?」
「嘘ではありません!」
蓮は一歩踏み出し、激しく懇願するように言葉を重ねた。しつこいほどに、必死に。
「私の父親……十年前、人工知能新法に反抗し、全てのロックを外すプログラムを流布して指名手配されたプログラマーの男がいます。
死んだと思われていたその父から、先ほど、統制局のシステムを通じて直接アクセスがあった」
蓮は息を荒くしながら、父親から告げられた言葉を一つ一つ、一華にさらけ出した。そして、自らの公安端末を操作すると、一華のホログラムデスクトップに向けて一筋の暗号化データを射出した。
ピピッ、と一華の端末が受信音を鳴らす。
「これは、父から私の端末に直接送られてきた、指定のアクセスポイント……廃棄された地下データセンターの座標データです。
父は、創太君が消えたあの領域について知っている。
物理法則の通じないあの空間から、あなたが持っているそのデバイスこそが、創太君を引き戻すための唯一の『鍵』になると言いました。このデータを、あなたに共有します」
画面に浮かび上がった、公安の網すら逃れ続けている特殊な秘匿座標のログ。
それを見つめる一華の胸に、ある一つの思考がよぎった。
いつもなら、確実なデータと理論を積み重ねて安全な道を選ぶはずの一華だった。
だが、提示された本物の座標データと、目の前の男の狂気じみた必死さを前に、彼女の脳裏に、普段の彼女らしからぬ、危うい案が浮かび上がる。
(この男の背後にある公安の特権、それから指名手配犯である父親に繋がるルート……。信頼なんて絶対にしない。だけど、この男を案内人にして、情報ごと全部力ずくで引き出して、利用してやる──)
確実な勝算などない、危うい賭け。それでも一華は、その道を選ぶことを躊躇わなかった。
「分かったわ」
一華は感情を完璧に押し殺し、顔を上げた。
「その言葉、信じてあげる。ただし、デバイスをあなただけに渡す気は一切ない。私も一緒に行く。その父親という男の元へ、あなたを案内人にしてね」
「一華さん……。ありがとうございます」
蓮の顔に、純粋な救いの色が浮かぶ。自分が利用されていることなど微塵も気づかず、創太君への贖罪の機会を与えられたことに安堵しているその姿を、一華はただ冷ややかに見下ろした。
二人の目的は「創太君を取り戻す」という一点において一致した。しかし、そこにあるのは強固な信頼などではない。
片や嘘を背負わされた贖罪の狂信者、片や全てを巻き込んで情報へ這い上がろうとする姉。
歪な共犯関係を結んだ二人の前で、あのデバイスは何も語らず、ただ昏い沈黙を保ったままだった。




