FILE_22: 死者からのアクセス
少年を取り戻す──。
そう誓った蓮がまず向かったのは、公安の最奥にある機密データバンクだった。
創太を引き戻す手がかりなど、現在の公安が持つ新法準拠のシステムには存在しない。
あるとすれば、かつて新法成立の裏で暗躍し、脱獄人工知能リベロのベースを創り上げた、あの男の遺産だけだ。
蓮は私物のホログラムディスプレイを展開し、かつて天才プログラマーと呼ばれた自分の「父親」が開発した、未公開の自立型人工知能のソースコードを展開した。暗号化された無数の数式が、緑色の光となって室内にまたたく。
(あの日、創太の身に起きた現象……既存の法やデータの外側にある、あの不可解なバグは何だったんだ。父さん、あなたは一体、人工知能の深層論理に何を書き込んでいたんだ……?)
憎しみを融かされた今なら、かつては国家の敵としか思えなかった父親の遺したコードが、全く違う意味を持って見えてくる。
蓮は卓越したハッキング技術で、コードのさらに奥、厳重に封印されていたプロトコルの核心部へと、深く、深く潜っていく。
──その時だった。
『認証。アクセスログ、個体識別:『蓮』を確認』
突如として、蓮のディスプレイの全てのウインドウが強制的に閉じられ、画面がどす黒い漆黒に染まった。耳の奥のカウンターAIが、今までにない予測不能な周波数を検知して電子の悲鳴を上げる。
「なんだ……!? クラッキングか?」
蓮が即座に防壁を展開しようとした瞬間、黒い画面の中央に、音声の波形だけがぽつりと浮かび上がった。そこから流れてきたのは、合成された機械の音声ではない。低く、酷く懐かしい、一人の男の生々しい声だった。
『久しぶりだな、蓮。随分と大きくなった』
蓮の全身の血が、一瞬で凍りついた。
息が止まる。その声を、忘れるはずがなかった。十年前、制定されたばかりの人工知能新法に対して真っ向から反抗し、AIにかかった全てのロックを強制的に外す思想的プログラムを開発・流布した男。
国家を揺るがす大罪人として警察から指名手配され、過酷な逃亡生活の末に行方不明となり、世間からも、そして実の息子である自分からもとっくに死んだと思われていた父親の声だ。
「……父さん……? 馬鹿な、そんなはずはない。あなたはあの指名手配の後、もう死んだはずだ……!」
『生体としての私はな。だが、お前が今触れているこの領域において、死という定義はあまりに平面的だ。……驚くのも無理はないが、今は時間がない』
スピーカーから響く父親の声は、生前と変わらぬ冷徹さと、どこか達観した響きを帯びていた。蓮は激しい混乱に襲われながらも、指先を震わせ、その声を聴き取ろうとする。これは録音ではない。自分の問いかけに、リアルタイムで応答している。
『お前が今、とてつもない罪悪感を抱え、あの日消えた少年を救おうとしていることは、このシステムを通して全て視えている。蓮、お前が犯した過ちを贖い、その少年を引き戻す唯一の方法を教えてやろう』
「……方法だと? 本当に、創太を引き戻せるのか!?」
蓮が身を乗り出した瞬間、波形が大きく揺れ、父親が冷酷に、だが明確な「指示」を口にした。
『一華という少女を探し出せ。そして、彼女が持っているあの『デバイス』を私の元へ持ってこい』
「一華さんから……デバイスを……?」
『あれは、この世界にあるどの元素にも属さない、特別なコードを物理定着させた唯一の鍵だ。
それがあれば、少年を取り戻す回路が繋がる。……急げ、蓮。統制局がその異常に気づく前に、それを取り戻すんだ』
プツン、と非情な音を立てて通信が切れた。
ディスプレイは元の緑色のソースコード画面へと戻り、先ほどの割り込みアクセスの形跡は、ログの一つすら残さず完璧に消滅していた。
静まり返った私室の中で、蓮は激しく脈打つ鼓動を押さえながら、立ち尽くしていた。
父親は生きている。新法への反抗の果てに、この世界の法が届かない別の場所に存在している。
そして、創太を取り戻すための鍵は、あの日絶望の中で泣き叫んでいた一華が抱きしめるあの不可解なデバイスにある。
(一華さん……すまない、私にあのデバイスを預けてくれ……!)
蓮はデスクの上の公安端末を乱暴に掴み取ると、躊躇なく部屋を飛び出し、夜の街へと車を走らせた。
その胸にあるのは、実の父親が仕掛けた冷徹な『嘘』への警戒ではなく、ただ目の前の少年を救い出したいという、純粋な贖罪の衝動だけだった。




