第八十五話 フローラの旅立ち
フローラが一年の巡回へ出ることになった。
地方教育記録官見習いとして、王妃の命で複数の領地を回る。読み書き寄り合い、救恤倉、相談室、作業場。それぞれの土地で何が使え、何が使えないかを記録する仕事だ。
妹は白楡館の玄関で、旅荷物を前に立っていた。
「お姉様、私、本当に行くのですね」
「嫌なら、断れます」
「嫌ではありません。怖いだけです」
「では、いつもの通りです」
フローラは笑った。
「怖いまま」
「はい」
◇
旅支度は大騒ぎだった。
メイは衣類を減らせと言い、フローラは報告書用の紙を増やしたがり、マルタは保存食を詰め込み、サラは猫の札を旅のお守りとして押し込んだ。
「こんなに持てません」
フローラが悲鳴を上げる。
セドリックが荷物の重さを量り、冷静に三分の一を減らした。
「旅は、持てる量を知るところからです」
「人生みたいですね」
フローラが言うと、皆が少し黙った。
妹も、そういうことを言うようになった。
◇
出発前夜、フローラは母の手紙を読みたいと言った。
二人で温室に座り、古い手紙を開く。
選んでいいのです。
その行を、妹は何度も目で追った。
「私、王都から離れるのが少し怖いです。王妃様のそばにいれば、指示をいただけます。でも旅先では、自分で聞いて、自分で書かないと」
「だからこそ、選んだのでしょう」
「はい」
フローラは手紙を丁寧に畳んだ。
「お母様が、今の私を見たら驚くでしょうか」
「喜ぶと思います」
「お姉様は?」
「誇らしいです」
妹の目に涙が浮かんだ。
今度は、泣いてもすぐに笑った。
◇
翌朝、フローラの馬車が出た。
王都へ戻るのではない。最初の巡回地は、西の小領だ。彼女は窓から身を乗り出し、手を振った。
「お姉様、行ってまいります」
「行ってらっしゃい」
「怖いまま、行きます」
「ええ」
馬車が道を進む。
私は見えなくなるまで見送った。
かつて、妹は私の代わりに王太子妃候補へ押し出されそうになった。
今は、自分の役目を抱えて旅立つ。
その背中は、あの日の泥道を越えて白楡館へ来た妹とは違って見えた。
細く見えても、確かに自分の足で立っている。




