第八十一話 春を待つ手紙
二度目の冬の終わり、私は母の小箱へまた手紙を入れた。
今度は昔の私へではない。
まだ見ぬ誰かへ。
白楡学び舎で学ぶ子かもしれない。相談室の扉を叩く人かもしれない。いつか私とセドリックの子どもが読むかもしれない。誰にも読まれないかもしれない。
それでも、書きたくなった。
紙に向かうと、王宮で課題を書いていた頃の癖で背筋が伸びる。けれど今は、息を詰めない。
私はペンを取った。
◇
この手紙を読むあなたへ。
白楡館は、最初から明るい場所だったわけではありません。雨漏りがあり、倉は空に近く、人々は自分の困りごとを言う方法を忘れかけていました。
私も同じでした。
自分の望みを言う方法を、忘れていました。
誰かの役に立つことは、大切です。けれど、役に立たなければここにいてはいけないと思う必要はありません。あなたの名は、仕事のためだけにあるのではありません。
字を間違えたら、直せます。
契約がわからなければ、聞けます。
困りごとがあれば、紙でも、布でも、誰かの声を借りても、届けてください。
すべてをすぐ解決できるとは限りません。
それでも、なかったことにはしません。
◇
書きながら、相談室の札と同じ言葉になったことに気づいた。
けれど、それでいいと思った。
私が誰かへ残したい言葉は、結局そこへ戻る。
なかったことにしない。
婚約解消の日の痛みも、父の支配も、母の手紙も、ミレイユの冬も、作業場の笑いも、サラの涙も。
なかったことにしないから、次の形に変えられる。
私は続きを書いた。
あなたがいつか、自分の場所を離れなければならない日が来るかもしれません。
その時、逃げた自分を責めないでください。
逃げることが、次に立つための最初の手順になる日があります。
そして、どこかで火を灯せたなら、その火はあなただけのものではなくなります。
誰かが手を温め、誰かが文字を読み、誰かが明日へ行く道を見つけるかもしれません。
◇
手紙を書き終えると、窓の外で雪が解け始めていた。
雫が屋根から落ち、土の匂いが少し戻る。
セドリックが部屋へ入ってきた。
「手紙ですか」
「はい。春を待つ手紙です」
「誰へ?」
「まだわかりません」
彼は不思議そうにしながらも、それ以上は聞かなかった。
聞かない優しさを、私は何度も受け取ってきた。
私は手紙を小箱へ入れた。
母から私へ。
私から昔の私へ。
そして、私からまだ見ぬ誰かへ。
白楡館の小箱は、少しずつ重くなる。
その重さは、過去に縛られる重さではない。
未来へ渡すための、確かな重さだった。




