第七十四話 東書斎の羊たち
アシュフォード館の東書斎では、羊が本当に仕事を邪魔した。
窓の外にいるだけならよい。ある朝、一頭が花壇の柵を越え、白楡の鉢植えの葉を食べようとした。私は慌てて窓を開け、羊と向き合った。
「それは食べないでください」
羊は返事をせず、口を動かした。
そこへセドリックが来て、真剣な顔で羊を抱えて移動させた。
「申し訳ありません。教育が行き届いていません」
「羊の?」
「はい」
彼があまりに真面目なので、私は笑うしかなかった。
結婚生活には、予想しない問題がある。
その一つが、仕事部屋の窓辺に来る羊だとは思わなかった。
◇
東書斎での仕事は、白楡館とは違う緊張があった。
アシュフォードの家臣たちは礼儀正しい。けれど、私がどこまで口を出すのか測っているのがわかる。伯爵夫人として家内のことだけを見るのか、ミレイユ管理者として外の仕事も続けるのか。
私は最初の会議で、はっきり言った。
「アシュフォードの帳簿を勝手に動かすつもりはありません。ただし、共同事業に関わる部分は確認します。ミレイユの帳簿も同じように見ていただきます」
老家令が尋ねた。
「伯爵夫人としてではなく、共同事業の相手として、ですか」
「両方です」
少し欲張りな答えだったかもしれない。
けれど私は、どちらか一つに削られたくなかった。
セドリックは隣でうなずいた。
「その通りです」
その一言で、会議の空気は決まった。
◇
アシュフォードには、ミレイユとは違う女性たちの仕事があった。
羊毛の選別、洗い、糸紡ぎ、染色。多くは家の中で行われ、商人へ渡る時には男たちの名前で記録される。
白楡の作業場の話を聞いた女たちは、最初は半信半疑だった。
「糸を紡ぐのに賃金表を?」
「家の仕事でしょう」
「でも、商人に売るなら品物です」
私はミレイユの記録を見せた。
アニエスたちの作業数、賃金、材料費、売上。猫の札の話では笑いが起きたが、賃金表のところで空気が変わった。
一人の老女が、糸巻きを膝に置いた。
「私の糸は、誰の名前で売られてきたんだろうね」
その言葉に、部屋が静まる。
アシュフォードにも、見えない手がある。
ミレイユの仕組みをそのまま移すのではなく、この土地の仕事に合う形を探す必要があった。
◇
夜、東書斎でその話をセドリックにした。
彼は深く考え込んだ。
「見落としていました」
「私も、ミレイユで学ぶまで見えませんでした」
「羊毛組合と話します。反発は出るでしょう」
「出ます」
「一緒に来てもらえますか」
「もちろん」
その返事は自然に出た。
夫の領地を手伝う、というより、隣に立つ約束を果たす感覚だった。
窓の外で、例の羊がまたこちらを見ている。
「彼にも会議へ出てもらいますか」
私が言うと、セドリックは真面目に羊を見た。
「発言権はありません」
「残念です」
私たちは笑った。
東書斎の机は、少しずつ私の場所になっていく。
白楡館だけでなく、この館でも、私は自分の名で仕事をする。




