第六十七話 新しい家の朝
結婚して最初の朝、私はアシュフォード館で目を覚ました。
窓の外に、羊がいた。
本当にいた。
白い羊が三頭、朝の草を食べながら、こちらを見ている。手紙に書かれていた通り、東書斎の窓の近くまで来るらしい。
私は寝台の上でしばらく羊と見つめ合った。
隣で、セドリックが低く笑う。
「言ったでしょう」
「想像以上に近いです」
「彼らは遠慮を知りません」
「学ばせましょうか」
「難しいでしょう」
結婚初日の会話が羊の遠慮についてであることに、私は笑ってしまった。
幸せとは、もっと絹のようなものだと思っていた。
実際は、窓の外の羊と、少し寝癖のついた夫と、朝の冷たい空気だった。
◇
東書斎は、約束通り整えられていた。
大きすぎない机、鍵付きの引き出し、座りやすい椅子、ミレイユとアシュフォードの地図。窓辺には、小さな白楡の鉢植えが置かれている。
机の上には、セドリックからの短い書き置きがあった。
この机が、あなたの考える場所になりますように。
私はその紙を、しばらく見つめた。
王宮で与えられた机。公爵家で座らされた机。白楡館で取り戻した机。
そして今、ここにある机。
どれも同じ木の板ではない。けれど私は、どこにいても自分の名で座れるようになった。
それが、結婚した朝に一番嬉しかった。
◇
朝食の席には、アシュフォードの家臣たちが緊張して並んでいた。
新しい伯爵夫人として迎えられる。
その言葉に、少し身構えていた。けれどセドリックは、食事の前に静かに言った。
「リディアは、アシュフォード伯爵夫人であると同時に、ミレイユの管理者です。彼女の仕事と机に敬意を払うように」
私は驚いて彼を見る。
彼は当然の顔をしていた。
家臣たちは深く礼をした。
その中に、不満がまったくないわけではないだろう。けれど最初に言葉を置くことは大切だ。
見えない仕事にしない。
誓いの言葉が、朝食の席にも生きている。
◇
食後、私はアシュフォードの倉を見せてもらった。
ミレイユとは違う問題がある。山村への道、羊毛の保管、雪崩、職人組合の古い慣習。どの領地にも、その土地の難しさがある。
セドリックは少し心配そうに言った。
「婚礼の翌日に倉を見る妻は、珍しいかもしれません」
「婚礼の翌日に倉を見せる夫も、珍しいと思います」
「相性がいいですね」
「はい」
二人で笑った。
倉の扉を開けると、乾いた羊毛の匂いがする。
新しい家の匂いだった。
◇
夕方、白楡館へ手紙を書いた。
メイへ。机は素晴らしいです。椅子も疲れにくいです。羊は近すぎます。
マルタへ。朝食の塩加減は控えめでした。あなたの鍋が少し恋しいです。
フローラへ。アシュフォードの倉も課題が多いです。報告書の材料になりそうです。
サラへ。羊の印について、こちらの子どもたちと相談してください。猫との争いは避けたいです。
書きながら、私は笑っていた。
新しい家へ来ても、白楡館は遠くならない。
道があり、橋があり、手紙がある。
私は二つの場所の間で、自分を失うのではなく、自分の根を広げていくのだと思った。
窓の外で、羊がまたこちらを見ている。
私はペンを置き、小さく頭を下げた。
「これから、よろしく」
羊は返事をしなかった。
けれど、新しい家の朝は、穏やかに私を迎えていた。




