第六十二話 父との決別
婚礼を前に、父と二人で話すことになった。
場所は王都の迎賓館ではなく、白楡館の温室だった。父がミレイユへ来るのは、母の葬儀以来だという。馬車から降りた父は、館を見上げ、何も言わなかった。
白楡館は以前より明るい。
屋根は直り、窓は磨かれ、温室には薬草の苗が並ぶ。父の知る荒れた古い領地ではなくなっていた。
そのことを、父がどう受け取ったのかはわからない。
温室で向かい合うと、父はしばらく母の机を見ていた。
「レティシアは、ここが好きだった」
「はい」
「私は、その理由を知ろうとしなかった」
父の声は、硬いままだった。
けれど以前のように、相手を押しつぶす硬さではない。自分の中の何かを保つための硬さに見えた。
◇
父は謝罪の言葉を探しているようだった。
しかし、うまく出てこない。
私は待った。
待つことは、従うことではない。今なら、その違いがわかる。
「リディア」
「はい」
「私は、お前を役に立つ娘として見ていた」
胸が痛んだ。
わかっていたことでも、本人の口から聞くと痛い。
「王宮で学ばせ、家のために整え、フローラを支えさせる。それが当然だと思っていた。お前が何を望むかを、考えなかった」
父は私を見た。
「すまなかった、と言うべきなのだろう」
言うべき。
まだ遠い。
でも、そこまで来た。
「お父様」
私は静かに言った。
「謝罪は、言うべきだから言うものではなく、傷つけた相手に向けて言うものです」
父の顔がわずかに歪んだ。
厳しすぎるかもしれない。
けれど、ここで私が言葉を補えば、父はまた学ばない。
長い沈黙のあと、父は深く息を吐いた。
「すまなかった。リディア」
短い言葉だった。
完璧ではない。過去を埋めるには小さすぎる。
それでも、父が私の名を呼び、私に向けて謝った。
◇
私はすぐに許すとは言わなかった。
「謝罪は受け取ります」
父は目を伏せた。
「許しては、くれないか」
「今はまだ、わかりません」
その答えを出すのは怖かった。
でも、偽りの許しは自分をまた置いていくことになる。
「私は、お父様の娘です。それは変わりません。けれど、もうお父様の期待に従って生きる娘ではありません」
父は黙って聞いた。
「婚礼にも、来るかどうかはお父様が選んでください。来るなら、私の選択を祝うために来てください。家の体裁のためではなく」
「厳しいな」
「ミレイユで鍛えられました」
父の口元が、わずかに動いた。
笑ったのだと思う。
◇
父が帰る前、温室の苗を一つ見て言った。
「これは、レティシアが育てていた薬草だ」
「知っています。母の記録にありました」
「私は、名を覚えなかった」
「今から覚えますか」
父は少し驚いた顔をした。
私は苗札を外し、渡した。
「白眠草です。眠れない時に使います。ただし量を間違えると頭痛が出ます」
父は札を見つめた。
「難しいな」
「はい。だから記録します」
父はその札を、丁寧に返した。
温室を出る父の背中は、以前より小さく見えた。
私はそれを悲しいと思い、同時にほっとした。
父は巨大な壁ではなく、一人の不完全な人だった。
その人と、私は決別した。
縁を切るという意味ではない。
支配される娘であることを、終えるという意味で。




