第五十九話 結婚準備と仕事机
結婚準備は、想像していたより事務作業が多かった。
衣装、招待客、婚姻契約書、両領の役割、式の場所、婚姻後の住まい。白楡館に残る日と、アシュフォード館へ行く日。どちらの領地にも偏らないよう、暦に印をつけていく。
メイは衣装係を名乗り出た。
マルタは料理を握った。
フローラは招待状を書き、ミリアは費用帳を作り、兄はローウェン家側の調整を引き受けた。
私は、仕事机の前で頭を抱えた。
「結婚とは、こんなに表が必要なのですか」
セドリック様が隣で真剣に答える。
「必要です。特に我々の場合、二つの領地の予定も絡みます」
「夢がありません」
「夢を壊さないための表です」
言い返せなかった。
◇
住まいの問題は、最後まで悩んだ。
アシュフォード館へ完全に移れば、ミレイユが遠くなる。白楡館へ残れば、セドリック様の領地に負担が出る。二つの館を行き来する案は現実的だが、体力と時間が必要だ。
結局、春と秋は白楡館、夏と冬はアシュフォード館を主に使い、重要な会議や災害時には柔軟に動くことにした。
メイは即座に荷物表を作った。
「奥様の机は、どちらにも必要です」
「机を二つ?」
「はい。奥様は机がないと落ち着きません」
否定できない。
セドリック様が言った。
「アシュフォード館の東書斎を、リディア嬢の仕事部屋にしましょう」
「よろしいのですか」
「使われていない部屋です。窓から羊の放牧地が見えます」
「仕事中に羊が?」
「見えます」
少し楽しみになった。
◇
婚姻契約書には、仕事机に関する条項まで入った。
互いの執務空間を尊重し、無断で書類を移動しないこと。
兄がそれを見て笑った。
「そこまで書くのか」
「大切です」
私とセドリック様が同時に答え、兄は両手を上げた。
「わかった。大切なのだな」
仕事机は、ただの家具ではない。
私が自分の名で考え、書き、決める場所だ。王宮でも公爵家でも、机はあった。けれどそれは、誰かのための課題をこなす机だった。
今度の机は、私の仕事のためにある。
そのことを、契約書にまで書けるのが嬉しかった。
◇
衣装合わせの日、メイは珍しく厳しさを忘れて目を潤ませた。
白い絹に、白楡の葉を銀糸で刺繍した婚礼衣装。派手ではないが、光を受けると葉脈が静かに浮かぶ。
「お似合いです」
「ありがとう」
「奥様が、奥様として嫁がれる衣装です」
その言葉で、私も泣きそうになった。
王太子妃になるための衣装ではない。公爵家の長女として家を飾る衣装でもない。
私として、選んだ人の隣へ行く衣装だ。
フローラが後ろで鼻をすすっている。
「あなたまで泣かないで」
「無理です」
メイが布を整えながら言った。
「泣くなら今のうちです。本番で泣きすぎると化粧が崩れます」
厳しさは戻っていた。
◇
夜、私は仕事机に座り、婚礼後の予定表を眺めた。
予定は詰まっている。けれど、以前のように息が詰まる予定ではない。余白があり、相談先があり、休む日も書いてある。
セドリック様から届いた短い手紙を開く。
東書斎の机を手配しました。引き出しは鍵付きです。椅子は、長く座っても疲れにくいものを選びました。
最後に、小さく追伸があった。
羊は時々、窓の近くまで来ます。
私は声を出して笑った。
結婚準備は表と契約と調整だらけだ。
でも、その隙間に、羊の見える机がある。
そんな未来なら、私は喜んで準備したいと思った。




