第五十話 小さな猫の札
慈善市の翌日、王都で小さな噂が広がった。
白楡の薬草には猫がいる。
正確には、薬草袋に入れた使い方の紙の端に描かれた小さな猫だ。ノエが余白に遊びで描いたものを、サラが気に入り、結局そのまま入れた。
貴族夫人たちは、その猫を思いのほか喜んだ。
「娘が欲しがって」
「眠れない夜のお守りみたいで」
「猫の種類は増えますの?」
最後の問いには、私も返事に困った。
白楡館へ戻る馬車の中で、サラは膝の上に売上控えを抱え、真剣に言った。
「猫の仕事が増えます」
「猫は薬草の説明を邪魔しない程度にしてください」
「はい。でも、猫がいると読んでもらえます」
その言葉に、私は考え込んだ。
確かにそうだった。
効能だけを並べた紙より、猫のいる紙の方が手に取られた。読む入口になる。王都の夫人も、村の子どもも、少し笑ってから文字を追う。
伝えるための包装。
マルタに説明したことを、今度は猫に教えられた気がした。
◇
白楡館へ戻ると、旧馬具倉は歓声に包まれた。
売上は予想を超えた。けれど私は最初に、出荷上限を守ったことを報告した。
「領内用の薬草は残っています。売れたからといって、必要な分を減らしません」
女たちはほっとした顔をした。
その後で、賃金と寄り合い費用の配分を読み上げる。作業者への支払い、材料費、灯油代、石板購入費、救恤倉への積立。
サラの母が、目を丸くした。
「こんなに細かく分けるんですか」
「細かく分けないと、誰かが不安になります」
「確かに」
アニエスがうなずいた。
「うちの人に見せます。私の稼ぎが、鍋だけじゃなくて灯油にもなるって」
マルタが笑った。
「その人、今度は灯油を運ぶって言い出すよ」
女たちの笑いが広がる。
仕事場の笑いは、以前より太くなっていた。
◇
猫の札は、正式な印になった。
ノエは最初、冗談だと思ったらしい。けれどサラとメイとフローラが真剣に説得し、薬草ごとに違う猫を描くことになった。
眠りの香草には丸く眠る猫。咳の薬草には首に布を巻いた猫。傷用の軟膏には、前足を包帯で巻いた猫。
「かわいすぎると、薬に見えません」
メイが指摘する。
「怖すぎると、買ってもらえません」
サラが反論する。
私は二人の議論を聞きながら、前世の夢を思い出していた。
硝子の塔で、商品には印がついていた。印は、品質を約束する顔だった。誰が作り、どう使い、何に注意するか。その情報を、見た瞬間に少し伝えるもの。
白楡の猫も、そうなれるかもしれない。
ただし、嘘をつかない猫でなければならない。
「印をつける品は、必ず記録を残します。材料、作業日、担当者、用途。猫の札は、かわいいだけではなく、責任の札です」
ノエが真面目にうなずいた。
「責任の猫ですね」
「少し重い名前ですね」
「でも、覚えやすいです」
こうして、白楡の責任の猫が生まれた。
◇
王妃からは、慈善市の正式な評価が届いた。
ミレイユの出展は、地方産品として好評。売上の透明性、出荷上限、教育費への配分は、他領の参考になる。次回は複数領合同の小規模な市を検討したい。
最後に、手書きで一文が添えられていた。
猫については、王女が気に入っています。
私は声を出して笑ってしまった。
王女殿下まで猫を。
サラに伝えると、彼女は真っ赤になって固まった。
「猫が王女様のところへ」
「はい」
「猫は失礼をしていませんか」
「紙の上では大丈夫です」
皆が笑った。
小さな猫の札は、誰かの手に取ってもらうための入口だった。
そしてその入口の奥には、ミレイユの女たちの手、子どもたちの字、救恤倉の鍵、橋の石、すべてがつながっている。
私は一枚の札を手に取り、裏に小さく日付を書いた。
忘れないために。
変化は、大きな宣言だけで始まるのではない。
時には、紙の端の小さな猫から始まる。
お読みいただきありがとうございます。
領地再生が王都へ届き、ミレイユの仕事が形になっていく回でした。ここから終盤へ向かいます。




