第四十七話 公爵家の最後の晩餐
ローウェン公爵家からの招待状は、春の慈善市の準備で白楡館が最も忙しい日に届いた。
差出人は父ではなく、兄アルベルトだった。王都での慈善市に合わせ、家族として一度食事をしたい。父も同席する。強制ではない。断っても構わない。
最後の一文が、兄らしくなかった。
断っても構わない。
以前のローウェン家には、そんな言葉はなかった。家族の食卓は、出席するものだった。父が呼べば、子は座る。誰が何を飲み込み、どんな顔で沈黙するかなど、考慮されなかった。
私は招待状を机に置いた。
メイが静かに尋ねる。
「お断りになりますか」
「迷っています」
「迷えるようになったのは、進歩でございます」
その言い方に、少し笑った。
セドリック様にも相談した。
彼はすぐに同行を申し出なかった。ただ、私の前に紙を置いた。
「行く理由と、行かない理由を書きましょう」
「契約書の次は、家族の食事まで整理するのですね」
「感情が絡む時ほど、紙が役に立ちます」
私はペンを取った。
行く理由。兄とフローラのため。父と直接向き合うため。過去を閉じるため。
行かない理由。傷つく可能性がある。父が謝らない可能性が高い。慈善市の準備に支障が出る。
書いても、答えはすぐ出なかった。
◇
最終的に、私は行くことにした。
ただし条件を出した。
食事は王都の公爵邸ではなく、王宮近くの中立的な迎賓館で。時間は一刻まで。セドリック様は婚約者として同席。話題は監査への干渉と婚約への反対を禁じる。
兄からの返事は早かった。
承知した。
父は不満だが、私が責任を持つ。
その短い手紙を読んで、兄もまた父と向き合っているのだとわかった。
◇
晩餐の日、迎賓館の小食堂には五人が集まった。
父、兄、フローラ、私、セドリック様。
テーブルには白い花が飾られていたが、王宮の茶室で見た白薔薇ではなかった。小さな春の花だ。フローラが選んだのだろう。
父は、以前より痩せていた。
けれど背筋は相変わらずまっすぐで、視線は硬い。私を見る目には怒りと疲労が混じっていた。
「リディア」
「お父様」
その呼び名を口にしても、昔のように膝が震えることはなかった。
食事は静かに始まった。
兄が場を保ち、フローラが時折話題をつなぐ。セドリック様は必要な時だけ言葉を挟み、父の鋭い視線を受けても動じなかった。
主菜が下げられた頃、父が口を開いた。
「婚約を決めたそうだな」
「はい」
「王太子妃の座を失い、次は伯爵家か」
兄が即座に止めようとしたが、私は手で制した。
「私は、座を探して婚約したのではありません」
「では何を探した」
「隣に立てる相手です」
父の眉が動いた。
「家を守るための婚姻ではないのか」
「家も領地も、婚姻で関わります。だから契約書を作りました。けれど、それだけではありません」
私は父を見た。
「お父様は、家を守るためと言いながら、家族を駒にしました。私も、フローラも、兄様も」
父の顔が険しくなる。
「無礼だ」
「娘として聞いていただけないなら、ミレイユ管理者として申し上げます。人を駒にした家は、いつか足元を失います」
食堂が静まり返った。
◇
父は謝らなかった。
代わりに、長い沈黙のあとで言った。
「私は、間違えたのかもしれん」
それは謝罪ではない。
でも父が、自分の判断に疑いを口にした初めての瞬間だった。
フローラが息をのむ。兄は目を伏せる。
私は静かに答えた。
「間違えたなら、直す責任があります」
「娘に説かれるとはな」
「娘でなくても、同じことを申し上げます」
父は私を見た。
そこに愛情があったのか、悔しさだけだったのか、私にはわからない。
わからないままでいいと思った。
晩餐は、一刻で終わった。
帰り際、父はセドリック様へ短く言った。
「娘を軽んじるな」
セドリック様は、まっすぐ礼をした。
「軽んじられたら、最初に叱られるのは私です」
父は一瞬、言葉を失った。
それから、ほんのわずかに口元を動かした。
笑ったのかもしれない。
◇
迎賓館を出ると、夜風が冷たかった。
フローラが私の手を握った。
「お姉様、よく言いました」
「あなたも、よく座っていました」
兄は少し離れたところで、父の馬車を見送っている。
家族は、完全に元には戻らない。
けれど、元に戻ることだけが和解ではない。
私はセドリック様の隣に立ち、夜の王都を見上げた。
最後の晩餐、という言葉が浮かぶ。
父の支配する食卓は、今日で終わった。
次に家族で食べる時は、誰かの命令ではなく、それぞれの選択で座れたらいい。




