表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵家の長女は婚約解消されました、家族の期待を置いて新しい私を生きます  作者: 小竹X


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
45/74

第四十五話 雪解けの求婚

 セドリック様が求婚したのは、雪解けの水が橋の下を走り始めた日のことだった。


 王都の慈善市を一月後に控え、白楡館しらにれかんは忙しかった。薬草の小袋、軟膏の瓶、読み書き寄り合いの記録、王妃へ送る事前資料。誰もが広間と旧馬具倉を行き来し、メイの小言すら追いつかない。


 そんな日の午後、セドリック様は「橋を見に行きませんか」と言った。


「今ですか」


「今でなければ、あなたは日が暮れるまで働く」


「それは否定しにくいです」


「では、行きましょう」


 メイが即座に外套を差し出した。


「行ってらっしゃいませ」


「準備がよすぎます」


「伯爵様から事前に伺っておりましたので」


 私はセドリック様を見た。


 彼は少しだけ視線をそらした。


「共犯者が多いのですね」


「信頼できる協力者です」


 そう言われると、叱る言葉を失った。


    ◇


 新しい橋は、ほとんど形になっていた。


 石のアーチが川をまたぎ、欄干にはまだ仮の木枠がついている。雪解け水は濁っているが、橋脚はしっかり流れを受けていた。


 たもとの記念石には、子どもたちの名が刻まれている。冬を越して、字の溝に少し土が入り、かえって馴染んで見えた。


 セドリック様は、橋の中央で足を止めた。


 風が冷たい。


 けれど冬の底の冷たさではない。遠くに春が混じっている。


「リディア嬢」


「はい」


 呼び方が、いつもより丁寧だった。


 私は胸の奥で、何かが静かに整うのを感じた。


「以前、私はあなたの隣に立ちたいと言いました」


「覚えています」


「今も同じです。ですが、あの時より具体的に言います」


 セドリック様は手袋を外した。


 寒いのに、きちんと素手を見せる。契約書に署名する時のような、誠実な動作だった。


「アシュフォード伯爵セドリックとして、ミレイユ管理者リディア・ローウェンに婚姻を申し込みます。家同士の利害はあります。隣領協定も、橋も、仕事もあります。けれど、それらを理由にあなたを縛りたくはありません」


 彼の声は、いつも通り低く、まっすぐだった。


「私は、あなたが朝に寝坊できる家を作りたい。泣く日があれば、泣く時間を取れるようにしたい。あなたが自分の名で結ぶ契約を、隣で読みたい。あなたが私の間違いを指摘し、私もあなたの荷を半分持てる関係でありたい」


 視界が滲んだ。


 美しい宝石の言葉ではない。


 けれど私が欲しかった未来が、そこにあった。


「返事を、急がせていますか」


「いいえ」


 私は首を振った。


「もう、待たせる理由を探していたのだと思います」


 セドリック様の目が揺れた。


「理由?」


「怖かったから。誰かを選ぶことが、また自分を失うことになるのではないかと」


 橋の下で、水が鳴る。


「でも、あなたは私を役目にしませんでした。待ってくれました。仕事を一緒に見てくれました。私が怒る時も、泣きそうな時も、答えを急がせませんでした」


 私は手袋を外し、彼の手を取った。


 冷たい指が触れ、すぐに温かくなる。


「私も、あなたの隣に立ちたいです」


 セドリック様が息を止めた。


「それは」


「求婚を、お受けします」


 言葉にした瞬間、涙がこぼれた。


 今度は拭かなかった。


 セドリック様は私の手を両手で包み、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 まるで大切な契約を受け取った時のように。


 私は泣きながら笑った。


    ◇


 白楡館へ戻ると、玄関前に人が並んでいた。


 メイ、マルタ、ガスパル、サラ、トマ、ノエ、作業場の女たち、なぜか兄とフローラまでいる。


「皆、知っていたのですか」


「伯爵様は、領主への求婚を秘密裏に進めるには正直すぎました」


 メイが言った。


 セドリック様が少し気まずそうにする。


 サラが待ちきれずに叫んだ。


「奥様、橋の上で返事しましたか」


「しました」


「いい返事ですか」


 私はセドリック様と顔を見合わせた。


「はい」


 歓声が上がった。


 マルタが大きな鍋の蓋を開ける。


「じゃあ、祝うよ。泣くのは最後でも、食べるのは先だ」


 皆が笑った。


 兄は少し複雑そうな顔で、けれど穏やかにセドリック様へ頭を下げた。


「妹を、ではなく。リディアを、よろしく頼みます」


「はい。リディア嬢と共に、よろしくされます」


「妙な返事だな」


「彼女を預かるつもりはありませんので」


 兄は目を瞬き、それから笑った。


 その返事が、私はとても嬉しかった。


    ◇


 夜、部屋に戻ると、机の上に母の手紙が置かれていた。


 フローラがそっと出しておいたのだろう。


 選んでいいのです。


 その行を、私は指でなぞった。


「お母様」


 私は小さく呟いた。


「選びました」


 窓の外で、雪解けの水が遠く響いている。


 春はまだ完全には来ていない。


 けれど、橋の上で交わした言葉は、私の中で確かに芽吹いていた。

お読みいただきありがとうございます。

リディアが自分の意思でセドリックの求婚を受ける、大きな転換点でした。続きも見守っていただけましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ