第四十四話 女たちの仕事場
冬の白楡館で、一番暖かい場所は厨房だった。
けれどその年から、旧馬具倉も負けないくらい賑やかになった。読み書き寄り合いのない日は、薬草の選別と包装の作業場として使うことになったからだ。
乾燥させた薬草を広げ、茎を分け、葉を量り、小袋に詰める。軟膏の瓶には布をかけ、紐で結び、使い方の紙を添える。王都の慈善市へ出す分だけでなく、領内用の分も同じ手順で整えた。
最初に集まったのは、農閑期の女たちだった。
サラの母、粉挽き小屋の妻、羊飼いの娘、教会で針仕事をしていた未亡人。家の仕事の合間に来る者、子どもを背負って来る者、夫に内緒で様子だけ見に来た者もいた。
マルタは腕を組んで彼女たちを見回した。
「ここでは、手を動かした分を記録します。誰がどれだけ詰めたか、誰が乾燥を見たか、全部書く。あとで賃金を分けるためです」
女たちは顔を見合わせた。
「賃金を?」
サラの母が尋ねる。
「ただの手伝いじゃないのですか」
「手伝いではありません。仕事です」
私が答えると、旧馬具倉の空気が変わった。
仕事。
家の中で当たり前にしてきた手作業に、その名がついた瞬間だった。
◇
問題は、すぐに起きた。
粉挽き小屋の妻、アニエスの夫が白楡館へ怒鳴り込んできたのだ。
「うちの女房を勝手に働かせるとはどういうことですか。家の仕事が疎かになる」
彼は大柄で、顔を赤くしていた。アニエスは後ろで小さくなっている。
私は広間で彼を迎えた。
「アニエスさんは、ご自分で参加を希望されました」
「女房の稼ぎなど、家を乱すだけです」
「では、粉挽き小屋の帳簿を見せてください」
「は?」
「家の仕事が疎かになるほど負担が増えているのか、作業時間と収入を見て判断します。こちらの作業は週二回、昼の二刻。賃金は小袋百個につき銅貨二枚です」
男は言葉に詰まった。
怒鳴り声には慣れていないわけではない。父の声を聞いて育った。けれど今の私は、怒鳴り声を父の声と同じ場所に置かない。
目の前の問題として扱う。
「家ごとの事情はあります。必要なら時間を変えます。けれど、本人の同意なしに参加を禁じることは認めません」
「領主様が、家の中に口を出すのですか」
「賃金を払う仕事に参加する権利について話しています」
男の顔がさらに赤くなる。
その時、アニエスが小さく言った。
「私、粉挽きの帳簿も手伝っています」
夫が振り返る。
「何を」
「袋の数を数えて、粉の重さを見ています。でも、私の仕事だとは誰も言わなかった」
アニエスは震えていた。
「ここでは、数えたら名前を書いてくれました」
広間が静まる。
男は何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。
◇
その場は、アニエスの参加時間を調整することで収まった。
完璧な解決ではない。夫がすぐ考えを変えたわけでもない。けれどアニエスは翌週も来た。今度は夫が荷物を運ぶのを手伝っていた。
マルタはそれを見て、鼻を鳴らした。
「男ってのは、銅貨の音が聞こえると急に耳がよくなる」
「マルタ」
「本当のことでしょう」
否定できなかった。
賃金は小さい。けれど自分の名前で受け取る銅貨は、彼女たちの背筋を少し伸ばした。
読み書き寄り合いでは、作業場に参加する女たちが数字を覚えたがった。自分の作業数を、自分で確認するためだ。
サラの母は、初めて賃金を受け取った日、銅貨を布に包んで何度も見ていた。
「これで、娘に石筆を買います」
彼女はそう言った。
私は何も言えなかった。
前世の夢で見た働く女たちの笑顔は、遠い世界のものだと思っていた。
今、旧馬具倉の中にも、少しだけ同じ光があった。
◇
王都へ送る試作品が完成した日、セドリック様が作業場を見に来た。
彼は小袋を手に取り、結び目を確かめ、使い方の紙を読んだ。
「わかりやすい」
「猫は余分でしょうか」
紙の端に、ノエが描いた小さな猫がいる。
セドリック様は真剣に見た。
「印象に残ります」
「つまり、許容範囲?」
「はい」
サラたちが小さく歓声を上げた。
私は笑いながら、作業場を見回した。
手を動かす音、紙を折る音、子どもの笑い声、誰かが数字を読み上げる声。
ここはまだ小さな仕事場だ。
けれど、誰かの家の中で見えなかった手が、名前を持ち始めている。
それは、王都の慈善市で売れるかどうかより、ずっと大切な変化かもしれなかった。




