第四十話 雪前の備蓄
ミレイユの冬は、王都より早い。
山の上に白い筋が見えるようになると、村人たちの動きが変わる。薪は軒下へ積まれ、干し草は納屋へ運ばれ、畑の残り野菜は塩漬けにされる。白楡館でも、朝から倉の扉が開き、備蓄の確認が始まった。
私は帳簿を持って、救恤倉の前に立った。
母の時代には、ここに毛布、薬草、穀物、灯油、塩が整えられていたという。母が亡くなってからは、鍵はあっても中身が薄くなった。
今年は違う。
ボルマン商会からの仮返還分と、王宮からの緊急補填、アシュフォード領との交換で、倉には少しずつ物が戻っていた。
「毛布、八十四枚」
メイが読み上げる。
「帳簿では八十五枚です」
私は数を追う。
マルタが奥から一枚抱えて出てきた。
「これを敷いて数えてたんだよ。寒い床に置くと湿るから」
「記録に、確認用として一時使用と書きます」
「そんなことまで?」
「あとで一枚消えたと言われないためです」
マルタは肩をすくめた。
「奥様は細かいね」
「消えた毛布で苦しんだ人がいますから」
そう言うと、彼女は何も言わず、毛布を丁寧に畳んだ。
◇
備蓄確認には、読み書き寄り合いの大人たちも参加した。
自分たちの倉を、自分たちで見るためだ。
最初は遠慮があった。領主の倉に入ること自体、気が引けるのだろう。けれどサラの母が一歩入ると、他の者も続いた。
「薬草の束は、どう数えるんですか」
「重さと束数の両方です」
「同じ束でも、大きさが違うから?」
「そうです」
私は秤を見せる。
前世の夢で見た計量器とは違い、分銅も古い。けれど仕組みは同じだ。重さは、目でごまかされにくい。
サラの母は、真剣に頷いた。
「次に商人が来たら、家でも量ってみます」
「秤の貸し出し日を決めましょう」
メイがすぐに紙へ書く。
小さな仕組みが、また一つ増えた。
領主がすべてを管理するのではなく、領民が確認できる道を作る。それは手間がかかる。けれど手間を惜しめば、また誰かが見えない場所で奪う。
◇
午後、セドリック様が干し肉の樽を持ってきた。
「共同備蓄分です」
「こんなに?」
「アシュフォードは今年、鹿が多かった」
「鹿が多いと、伯爵自ら樽を運ぶのですか」
「今日は、あなたの倉を見たかったので」
彼は当然のように言い、樽を下ろした。
私は倉の棚を示す。
「どうぞ、監査してください」
「監査ではなく見学です」
「見学でも、間違いがあれば指摘を」
「では」
セドリック様は棚の配置を見て、すぐに言った。
「灯油は入口から離した方がいい。火事の時に逃げ道を塞ぎます」
「確かに」
「薬草は湿気を避けて上段へ。穀物は重いので下段。ただし鼠対策に台を」
「見学とは」
「役に立つ見学です」
私は笑い、配置図を書き直した。
こうして一緒に仕事をする時間が増えるほど、彼の存在が自然に日常へ入ってくる。
それが怖くなくなっていることに、私は気づき始めていた。
◇
夕方、初雪が舞った。
まだ積もるほどではない。白い粒が空から落ち、屋根に触れる前に消える。倉の前にいた子どもたちが歓声を上げた。
私は救恤倉の扉を閉め、鍵をかけた。
鍵は一つではない。
領主の鍵、管理人の鍵、村代表の鍵。三つが揃わなければ、倉は開かない。母の時代の仕組みを、少し変えて戻したものだ。
ガスパルが鍵束を受け取り、目を細めた。
「奥様が戻ってきたみたいです」
私は一瞬、母のことだとわかった。
「私は母ではありません」
「はい。ですから、戻ってきたみたいで、同じではありません」
老人の言葉に、胸が温かくなった。
同じでなくていい。
母が残した道を、私の足で歩けばいい。
雪は静かに降っている。
今年の冬、ミレイユには毛布がある。薬草がある。灯油がある。何より、数を確かめる目が増えた。
私は倉の鍵が閉まる音を聞きながら、冬を迎える怖さが少しだけ和らぐのを感じた。




