表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵家の長女は婚約解消されました、家族の期待を置いて新しい私を生きます  作者: 小竹X


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/75

第三十一話 王都裁定会

 王都へ向かう馬車の窓から、私は白楡館しらにれかんの屋根が小さくなるのを見ていた。


 裁定会の招集状が届いたのは、父への返書を出してから七日後だった。王妃エレオノーラの名で、ミレイユ管理権、救恤品欠損、ボルマン商会との不正取引について関係者の出席を命じる、とある。


 逃げる理由はなかった。


 母の帳簿、黒い荷札、水門で見つかった木箱の破片、父の帰邸命令。証拠は箱三つ分になった。セドリック様は隣領協定の写しを持ち、ガスパルは母の時代を知る証人として同行する。


 馬車の向かいで、セドリック様は資料を読んでいた。


「眠れましたか」


「少し」


「嘘ですね」


「では、ほとんど」


「それも嘘です」


 彼は資料から目を上げた。


 私は降参して、窓へ視線を戻す。


「王都へ近づくほど、昔の自分に戻りそうで」


「戻ってもいいのでは」


 意外な返事に、私は振り向いた。


 セドリック様は淡々と続ける。


「王都で育ったあなたも、王妃教育を受けたあなたも、家の期待に応えようとしたあなたも、消す必要はない。その経験で、今日の席に立てる」


「嫌な記憶もですか」


「嫌な記憶を、相手に返すために」


 その言い方に、少し笑った。


「セドリック様は、時々とても物騒です」


「橋は穏やかに架けたいですが、不正は穏やかに流せません」


 私は胸に手を置いた。


 王都での十年は、私を縛った。けれど同時に、書類の読み方、席の空気、沈黙の意味を教えた。


 奪われたものだけではない。


 使えるものは、私の手に戻せばいい。


    ◇


 裁定会は、王宮西棟の石造りの広間で開かれた。


 大広間の華やかさはない。壁には歴代法務卿の肖像が並び、中央には長い机が置かれている。王妃、宰相、財務卿、法務官、王宮監査官。公爵家からは父と兄アルベルト。ボルマン商会の代表、そして数名の代理人。


 ユリウス殿下もいた。


 以前なら、私は殿下の後ろに立っていた場所だ。今日、私は反対側の席に座る。


 父の目が、私を刺した。


 その視線だけで、幼い頃の体が反応する。背筋を伸ばせ。余計なことを言うな。家の顔を潰すな。


 私は机の下で、母の手紙を入れた小さな袋に触れた。


 選んでいい。


 法務官が開会を告げる。


 最初に財務卿が、救恤品と納入品の欠損を読み上げた。北境毛布二百枚、ミレイユ薬草五箱、王宮灯油十二樽、乾燥豆の欠量。記録は淡々としているが、数字の一つ一つが誰かの夜を冷やした。


 ボルマン商会の代表は、丸い顔に汗を浮かべながら弁明した。


「輸送時の事故、下請けの不手際、地方での保管不足が重なったものでございます。当商会に悪意は」


「黒い荷札は、なぜミレイユの旧粉挽き小屋から見つかったのですか」


 王妃の声で、広間が静まる。


 私は布に包んだ荷札を提出した。法務官が刻印を確認し、記録へ載せる。


 商会代表の汗が増えた。


「それは、古いものが流れ着いた可能性も」


「水門の内側からも同じ印が見つかっています」


 セドリック様が木片を出した。


「水路を閉め、倉の出入りを隠すために使われた木箱の一部です。雨で流れかけたところを、ミレイユ側が回収しました」


 法務官のペンが走る。


 父は黙っていた。


    ◇


 やがて、話はミレイユの管理権へ移った。


 父はそこで初めて口を開いた。


「ミレイユはローウェン家の関連領地であり、娘リディアの一存で扱えるものではありません。未婚の娘が地方で勝手に領主のように振る舞うことは、家の秩序を乱します」


 懐かしい言葉だった。


 秩序。


 家。


 娘。


 その言葉で、私はずっと座らされてきた。


 王妃が私を見た。


「リディアさん。答えなさい」


 私は立ち上がった。


 膝は震えていた。けれど声は出た。


「ミレイユは、母レティシアの婚姻契約により、母の直系子へ管理権が移る領地です。母の死後、私は未成年であったため、ローウェン公爵家の代理管理を受けていました。しかし成年後も管理権移譲の説明はなく、代理人による支出と商会指定が続いていました」


 母の帳簿の写しを、法務官へ渡す。


「こちらに、母の時代の救恤倉記録、隣領協定、代理管理以前の収支があります。雨害後の調査で、救恤品の欠損、保管記録の不備、ボルマン商会への過剰支払いが確認されました」


 父の顔色が変わる。


「リディア、家の内部資料を外へ出すとは」


「ミレイユの資料です」


 私は父を見た。


「そして、ミレイユの人々に関わる資料です」


 父の目に怒りが燃えた。


 以前なら、その怒りだけで私は座ったかもしれない。


 でも今、私の後ろには白楡館の広間がある。泥の聞き取り表、サラの字、フローラのインク染み、ガスパルの震える手、セドリック様の図面。


 私一人の意地ではない。


「私は、正式な管理権の確認と、過去五年分の代理管理の監査を求めます」


 広間の空気が動いた。


 父が立ち上がりかける。


「娘が父を訴えるのか」


「領主代理の職務を問うています」


 声が、思ったより冷静だった。


 父の怒りが、少しだけ揺らぐ。


 私が娘として泣くと思っていたのだろう。


 今日は泣かない。


 泣くなら、帰ってからでいい。


    ◇


 裁定会は休憩に入った。


 廊下へ出ると、ユリウス殿下が近づいてきた。


 セドリック様が一歩動いたが、私は視線で止めた。


「リディア」


「殿下」


 久しぶりに間近で見る殿下は、以前より痩せていた。目の下には薄い影がある。


「君が、これほどの資料を持っていたとは知らなかった」


「殿下がご覧になる機会はありませんでした」


「いや」


 彼は苦い顔をした。


「見ようとしなかったのだと思う」


 私は答えなかった。


 許す言葉も、責める言葉も、今は裁定会の廊下には置きたくなかった。


「フローラは、王妃に申し出た。自分には務まらないと」


「そうですか」


「彼女は、変わった」


「変わろうとしています」


「君も」


 殿下の言葉はそこで止まった。


 私は礼をした。


「休憩が終わりますので」


 背を向けると、呼び止められなかった。


 それでよかった。


 昔の私なら、殿下の沈黙の意味を探しただろう。


 今は、席に戻る時間を守る方が大切だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ