第二十三話 悪魔の王
悪魔の思惑と同じくらいの長さになるかと思っていたら。予想以上に長くなりました。
グォオオオオオオオオオオオオ
獣の唸り声の様な吹雪の音が響き渡る雪山、それとは対照的にその山にある隠されたとある洞窟の中は一切の音がしない無音の世界だった。
いや違うそこに存在しないのは音だけではない、青白い光を発する不可思議な氷に覆われたその洞窟には音も風も冷たさも暖かさも何もなかった。
そこに存在するのは停滞だけだった。
外は吹雪が吹き荒れ、洞窟の中は氷で覆われているにも拘らずその洞窟の中は一切の寒さを感じなかった。
まるでその洞窟を覆っているのは氷ではなく一見氷によく似た別物であるとでも言うかの様に。
ただ停滞するだけだったその洞窟の中、動く二つの影があった。
一つは白い総髪を後ろに撫でつけ片眼鏡を掛けた初老の男性。
もう一人は漆黒の見に紫の瞳の細く嫋やかで中世的な性別など感じさせない様な美しい人の様な異形の何かだった。
彼、あるいは彼女を異形たらしめているのはその背に生えた六対の漆黒の翼だった。
性別を感じさせない、いやそもそも存在していないかの様な美貌の主はくすくすと楽しそうに無邪気な顔で笑っていた。
「陛下、随分と楽しそうで御座いますが、何かそれほどまでに面白いものでもお見えになられましたか?」
初老の男性はめずらしい自らの主の様子を見てそう訪ねる。
「ああ、あの子がね、今とても面白い事に巻き込まれているんだ。
ねぇ、ベルゼブブ私はねあの子がいるだけでとても楽しいんだ。
こんなに楽しいのは本当に久しぶりだ。
だからね、ベルゼブブ」
初老の男、ベルゼブブに本当に楽しそうに幸せそうに言葉を紡ぐ。
蠱惑的で、甘やかなその声で幸せそうに紡がれていた言葉、しかし最後の言葉だけは違った。
「あの子を傷付ける者は全て消せ」
その声はゾッとするほどに虚ろだった。
言葉の意味からすれば負の感情が宿っていてもおかしくはないのにそこには一切の感情が込められていなかった。
まるで、ただ決められた台詞を口にしているだけかの様なその声には先程までの甘やかさなど無く蠱惑的ではあるものの冷たさのみがあった。
「遺体の方は私めの好きにしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、かまわない。
お前の子供たちにたんと食べさせておやり」
人を蝿のエサとして与える。
そんな恐ろしい会話をしているにも拘らずベルゼブブに陛下と呼ばれた異形の王の声は変わらず虚ろな冷たさを宿したままで、その瞳はガラスのように声と同じで虚ろだった。
まるで、一見すると美しい人形の様にしか見えなかったその異形の王の瞳が次の瞬間、先程までの虚ろが嘘で会ったかの様に甘く蕩けた。
「ああ」
そして吐息とともに紡がれたその声もまた、先程の蠱惑的で、甘やかな幸福に満ちた声に戻っていた。
「ねえ、ベルゼブブ。
私はね、あの子が早くここに辿り着けばいいと思っている。
でもね、それと同じくらいにねもっともっと地上で私を楽しませて欲しいとも思っているんだ」
あの子と、愛おしげに紡がれる声音と甘く蕩けるような瞳が向けられるのは今、この場にいない精霊に愛されたあの子供だけ。
「陛下、そろそろお時間にございます。
お体にお戻りくださいませ」
「ああ、もうそんな時間か。
もう少しあの子を見ていたかったが仕方ない」
時が来たと告げるベルゼブブに冷たく虚ろな声で、しかしあの子と紡ぐ時だけ甘やかさを含ませながら美しき異形の王の姿は空気に溶ける様に消えていった。
ふぅ、と小さく息を吐きながらベルゼブブは目の前にそびえる氷の壁を見つめる。
その氷の奥深くに彼らの王が眠っている。
時折、戯れで魂だけを体から切り離し現れるが何をするでもなく、ただあの子の様子を楽しげに伺うだけ。
「まったく、ここにレヴィアタンがいなくて助かりましたよ」
嫉妬を司る、自らの同僚がここいなくて本当に助かったとベルゼブブは心からそう思う。
もし、レヴィアタンがここにいれば嫉妬で何をしでかすか分かったものではない。
「それにしてもあの子も哀れなものすね」
精霊の愛し子として生まれながら、同時に自分たち悪魔の王にも愛されてしまった哀れな哀れな赤子。
生まれながらに精霊の加護と悪魔の呪いを持って生まれた彼を少しばかり憐れみながら、ベルゼブブは彼らの王が眠る洞窟を後にした。




