18. 当て馬キャラですらなく、モブだった私
「……反論はしないのだな」
「事実は事実ですもの」
口から出た声は、自分でも驚くほど静かだった。
その静けさを破るように、慌ただしい足音が響いた。
「彩葉様……!」
振り向くと、倉庫の入口に疲れ切った顔の女性が立っていた。病人の看病に回っていた人の一人だろう。
腕には幼い子を抱き、隣には痩せた少年が寄り添っている。その後ろには、不安そうに様子をうかがう村人たちの姿もあった。
女性は私ではなく、彩葉の方を見ていた。
「お願いでございます。どうか、どうか少しだけでも、食べるものを……」
彩葉は驚いたように目を見開き、それからすぐに駆け寄った。
「大丈夫ですか? お子さん、顔色が……」
「熱は下がったんです。でも、ずっとろくに食べられていなくて……もう食べさせられるものが、何もなくて」
女性の声が細くなる。
「せっかく熱が下がったのに、このままでは飢えで弱ってしまいます」
わかっていた。
病を止めても、食べ物がなければ人は弱る。
だから次は、食糧確保と配給の見直しだと考えていた。
けれど、この人が助けを求めたのは、私ではなかった。
「照国様……」
彩葉が振り返る。
「何か、できませんか?」
照国は彩葉へ答える前に、ほんの一瞬だけ私を見た。
何も言われていない。
けれどその視線に、責められているような気がした。
神に願えばよかったのに。
なぜ、最初からそうしなかった。
そんな声が、胸の内側で勝手に形を持つ。
照国が片手を上げると、倉庫の中に朱金の光が広がった。冷えきった空気に、ふっとぬくもりが差す。
光は彼の掌へ集まり、やがて白い湯気を立てる一椀の粥へと変わった。
やわらかく煮えた米粒の間に、淡い金色の光がほどけている。
女性が息を呑んだ。
「神様が……食べ物を……」
「長くは保たぬ。冷める前に食べさせてやれ」
照国の声は淡々としていたが、器から立ちのぼる湯気は、ひどくやさしかった。
彩葉が器を受け取り、子どもの口元へ運ぶ。
「少しずつでいいですからね」
子どもは最初、ぼんやりとした顔をしていた。けれど、ひと口飲み込むと、ゆっくり目を開いた。
「……あったかい」
その声を聞いた瞬間、女性の目から涙がこぼれた。
「ありがとうございます……ありがとうございます、彩葉様、照国様……!」
入口の外で様子をうかがっていた村人たちが、ざわめいた。
「食べ物まで……」
「神様の恵みだ」
「彩葉様が願ってくださったんだ」
「照国様。今みたいに、他の方にも食べさせてあげられませんか? 私も祈りますから!」
「却下だ」
照国の返事は早かった。
彩葉がびくりと肩を揺らす。
「この地は霊気が薄い。今のような食物を大量に生み出せば、土地の霊気を削る。足りぬ分をお前が祈りで補おうとすれば、今度はお前の身体がもたぬ」
「でも、少しでも食べられたら、助かる人がいるんです」
「ならばなおさら、無茶をするな。霊気を使い果たして倒れれば、救えるものも救えなくなる」
照国の声は厳しかった。
けれど、彩葉を責めているわけではない。むしろ大事にしているから止めているのだと、嫌でもわかった。
彩葉は唇を噛み、それでも器を握る手に力を込めた。
「では、今すぐ必要な方だけでも……」
「それならば構わぬ」
照国が再び光を集める。
「水分を取れていない者を先にしろ。衰弱が強い者には、薄くしたものを少しずつだ」
私は口を開きかけて、やめた。
照国の指示は、私がこれまで病人たちを見ながら考えていたことと、ほとんど同じだった。
けれど今、それを告げたのは、私ではなく照国だった。
彩葉は素直に頷き、村人たちに声をかける。
「重い方から順番にしましょう。小さい子と、起き上がれない方を先に。皆さん、案内してもらえますか?」
村人たちが、次々に動き出した。
「こっちです、彩葉様」
「うちの母も、まだ食べられていなくて……」
「赤ん坊を抱えた家があるんです」
彩葉の周りに、人が集まる。
私が同じことを言っても、きっと、こうはならなかった。
「しらたま」
「うん?」
足元にいた白い毛玉が、こちらを見上げる。
「彩葉さんたちについて行ってくださいませ」
「えっ」
しらたまの耳がぴんと立った。
「ぼくは澄音の補佐だよ?」
「ええ。だから、補佐としてお願いします。村の道は入り組んでいますし、まだ体力の戻っていない方も、あなたの方が把握していますわ」
「でも、澄音は?」
「私は倉庫に残ります。食べ物を出していただいても、備蓄の問題は残っています。食糧の確保と、今後の配給を見直す必要がありますから」
「それは、そうだけど……」
しらたまは不安そうに私の足元へ近づいた。
「澄音、顔色あんまりよくないよ」
「問題ありませんわ。……しらたま、お願いします。今は、私よりもあなたを必要としている方たちがいます」
「……澄音」
「これは、あなたにしか頼めないことです」
その言葉に、しらたまの青い瞳が揺れた。
迷って、迷って、それから小さく頷く。
「わかった。でも、すぐ戻るからね」
「ええ。お願いします」
「ほんとに、すぐだからね」
「わかりましたわ」
しらたまは何度もこちらを振り返りながら、彩葉の方へ駆けていった。
「彩葉! こっちの家から行った方がいいよ。赤ちゃんがいる!」
「ありがとう、しらたまちゃん!」
しらたまが先導するように駆け出し、彩葉は食事の入った籠を抱えてその後を追った。
照国も彩葉の隣に並び、村人たちもほっとした顔で続いていく。
やがて足音が遠ざかり、倉庫には私だけが残された。
さっきまで人の気配で満ちていた場所が、急に広く感じる。
私は帳簿を開いた。
使える袋と隔離した袋の数を確かめ、一日に必要な配給量を計算する。病人に優先して回す分と、照国の加護で一時的に補える人数も書き出した。
数字は、きちんと並んでいく。
計算もできる。やるべきことも、わかっている。
それなのに、次の一行を書こうとして、手が止まった。
……私一人いなくても、この世界は続くのかもしれない。
彩葉がいれば、神々は力を貸す。
照国が手をかざせば、温かい食べ物が生まれる。
村人たちは、安心した顔で彼女についていく。
私が汚染を止めたことにも、意味はあったのだと思う。
帳簿をつけ、原因を切り分け、配給を見直すことにも。
でも、それは私でなければならなかったのだろうか。
前の世界でも、私の代わりはいた。
UI設計も、挙動調整も、数値表示の最適化も、誰かが引き継いでしまえば仕事は回る。
家族だって、妹がいればきっと困らない。
ここでも同じなのかもしれない。
それなら。
私がここにいる意味は、何だろう。
右手の人差し指が、ひやりと冷えた。
孤心の指輪が、いつもより冷たく感じる。
協調性にマイナス補正。
好感度は上がりにくい。
恋愛イベントは、ほぼ発生しない。
神に助けを求めても、成功率は一桁。
……本当に、Super Hardにもほどがある。
笑おうとしたのに、喉の奥が詰まった。
「……私が」
口にした途端、ずっと目を逸らしてきた考えが、形を持ってしまった。
「私がいなくても、誰も困らないのかもしれませんわ」
そのとき、倉庫の奥でかすかな冷気が揺れた。
床下の守り石のあたりから、薄青い光が一度だけ瞬く。
「君は、数えるものを間違えている」
振り向かずとも、その声が誰のものかはわかった。
澄音、自己肯定感がだいぶ迷子になっていてすみません。
でも大丈夫です。作者が一番「幸せになれ」と思っています。
早めに救出できるよう頑張りますので、引き続きお読みいただけると嬉しいです!




