16-2. 正ヒロインは、奇跡を起こす
「病人が出たと聞きました」
彩葉の声が、ふっと低くなった。
「まだ、具合の悪い方がいるんですよね?」
「ええ。汚染の拡大は止めましたが、体力の落ちた方はまだ回復途中ですわ」
「……会わせてもらえますか?」
私は一瞬だけ考える。
神々がここにいる以上、何らかの加護が使える可能性は高い。
案内するなら、重症度の高い家からだ。
ただ、汚染そのものは切り離しても、衰弱まで消えたわけではない。神の加護が身体にどんな負荷をかけるのかもわからない。
それでも、目の前に回復の手段があるなら、使わない理由にはならなかった。
「わかりました。こちらです」
私は彩葉たちを、病人たちが休んでいる家へ案内した。
辰蔵さん一家の家に入ると、なっちゃんの母親は、半身を起こすのもつらそうにしている。なっちゃん自身も、熱は下がり始めているが、まだ頬に赤みが残っていた。
彩葉はその光景を見た瞬間、息を呑んだ。
「ひどい……」
声が震えている。
彼女は布団のそばに膝をつき、なっちゃんの顔を覗き込んだ。
「苦しかったよね。もう大丈夫だからね」
「……お姉ちゃん、だれ?」
「桃園彩葉です。澄音さんと同じ、恋巫女候補なの」
彩葉は柔らかく微笑む。
その笑顔は、まっすぐで、あたたかくて、きらきらしていた。
「照国様」
彩葉が振り返る。
「この子たちを、助けてあげたいです」
照国は当然のように頷いた。
「よかろう。君の願いならば」
その言葉と同時に、室内の空気が変わった。
冷えた部屋の中に、ふわりと陽だまりのような気配が満ちる。薄暗かった壁が、光を受けたように柔らかく輝き始めた。
彩葉の手元に、淡い金色の光が集まっていく。
ただ、助けたいと願う。
そして、神々がそれに応える。
彩葉がなっちゃんの手をそっと包むと、金色の光が指先から流れ込んだ。
「……あ」
なっちゃんの浅い呼吸が、すう、と深くなった。頬の赤みも、少し引いている。
「おとう……」
そばで見ていた辰蔵さんが、弾かれたように布団へ近づく。
「なつ……!」
「からだ、軽い……」
その声を聞いた瞬間、辰蔵さんの顔がくしゃりと歪んだ。
「よかった……よかった……!」
彩葉は次に、母親へ手を伸ばした。
津々巳が静かに目を伏せる。
「彼女は、まず水の巡りを整えよう」
「お願いします、津々巳様」
彩葉がそう言うと、今度は淡い藍色の光が金色の光に重なった。
母親の呼吸がゆっくり整っていく。乾いていた唇にわずかに色が戻り、こわばっていた肩の力が抜けた。
「……楽に、なりました」
母親がかすれた声で呟く。
彩葉の目に、涙がにじんだ。
「よかった……」
そのあとは、早かった。
彩葉は神々の加護を借りながら、まだ熱の残る者、咳が続く者、衰弱して起き上がれない者の手を取っていった。
照国の陽が体に力を戻し、津々巳の水が乱れた巡りを整える。伊主那は淡々と病人の状態を見極め、加護を与える順番を指示していた。
「次は、その子だ。熱は下がりかけているが、消耗が大きい」
「はい!」
「そちらの老人は後にしろ。先に水分を取らせる必要がある」
「わかりました!」
彩葉は素直に頷き、言われた通りに動いていく。
村人たちの間から、驚きの声が上がった。
「顔色が戻った……!」
「さっきまで起き上がれなかったのに」
「神様の加護だ……!」
「彩葉様が、助けてくださったんだ」
その声に、彩葉は何度も首を振った。
「私だけの力じゃありません。澄音さんが先に病の広がりを止めてくれていたからです。私は神々のご加護を賜って、そのあとを少し手伝っただけで……」
村人たちの目に映る奇跡は明らかだった。
弱っていた者が起き上がり、苦しそうだった子どもが笑う。
泣いていた親が、神々と桃園彩葉に手を合わせた。
私は、それをただ眺めていた。
皆が元気になってよかった。
心からそう思う。
けれど同時に、別の感情が私を苛んだ。
私が一晩かけて成したのは、病がこれ以上広がらずに済んだということだけだった。
彩葉が一瞬でもたらしたのは、苦しんでいた人が起き上がるという、圧倒的な奇跡だった。
比べてしまえば、自分のしたことはあまりにも地味で、誰の記憶にも残らないもののように思えた。
最後に加護を受けた子どもが、母親の腕の中で小さく笑ったとき、彩葉は涙を拭いながら嬉しそうに笑った。
「よかった……本当に、よかったです」
その声に、村人たちが何度も頭を下げる。
ほんの数時間で、この世界が彼女を愛する理由を思い知らされた。




