赦しを待つ夏3
朝早く起き、今日は狩りに交ぜてもらうぞ、と思いながら昨日と同じく湯を沸かす。
窓辺に置きっぱなしだったコップを回収して、ハッとした。
中身が空だった。
ビスケットはなかった。
(昨日の留守中に誰か……?)
可能性としてはそれしかない。
俺は再びコップに湯を入れ窓辺に置いた。ビスケットは昨日より上手に割れた。大きい方から少し割って口に入れ、残りをそれぞれ暖炉と窓辺へとやった。
以前、戦場で敵に背後を取られた事がある。仲間が助けに入ってくれて事なきを得たが、全身の毛穴が開き、毛が逆立ち、硬直した記憶は忘れることはない。
知らず知らずのうちに敵の間合いへと入ってしまった恐怖。それに似たものを今感じていた。
(今日は一日、家に居よう)
水瓶の水だけ換えて、その日は一日家の中で過ごした。
次の日。
「無い……」
一日家に居たのに。窓辺から水とビスケットは綺麗に消えていた。
(嘘だろ)
暖炉に火を入れず、ふらふらと小屋を出た。
今独りでいたくなかった。
村の方へ向かうと、村の広場に男達が集まっている気配を感じ、其方へ向かった。
「あの、狩りへ行くなら連れて行って欲しいのだが」
声をかけると、人が割れて中央の男が振り返った。
「ああ、あんた、来たのか。俺は村長の息子のジョンだ。よろしくな」
「フィンだ。よろしく頼む」
「今日の狙いは鳥だ。弓矢は持ってるか?」
ハッとする。帯剣すらしていない自分に驚いた。
「悪い、今無いな」
「村の予備を貸す」
今日参加するのは八人、俺入れて九人だ。順に挨拶を交わし狩りに出た。
村を出て、果樹の間に伸びる道を南西に下る。暫く歩くと湖があり、南下した渡り鳥の群れが羽を休めていた。
ジョンの合図で網を結いた矢を二人が放射状に放つ。広がった網に五羽ほど掛かった。慣れた手つきで回収し絞めていく。
「ここはいつも来る狩場なのか?」
「んー、まあ冬になると来るかな。取るのは村で食べ切れる分だけって、決まりもあるし。食べ物に困る時だけな」
沢山取って売ったりはしないらしい。
そもそも町にこんないい狩場の噂なんて流れてたら、乱獲されているかもしれない。それくらい穴場だ。
そこから更に兎を二羽程狩り、村に戻ることになった。村人の手並みは鮮やかで、俺の出番は全く無かった。
行きはピリリとした空気だったが、帰りは獲物が取れて少し砕けた雰囲気で、雑談をしながら帰った。
「フィンさんは町の傭兵団の人だろ? 俺も出身は町なんだ。村に婿入りした」
「へー、あーっと」
「トーマスだよ」
トーマスは笑ってから、少し声を顰めて顔を寄せてきた。
「村の風習、最初は俺も驚いたよ」
「!」
「でも守っておいた方がいい。きっと身を守ってくれる」
「そう思う何かがあったのか?」
トーマスは曖昧な笑みで話した。
「子供がな。赤ん坊の頃ハイハイで暖炉まで行って手を伸ばしたことがあるんだ。危ないと思った時には間に合わなくて。だけど炎が手に当たる瞬間、火が歪んで避けた。……ように見えた。わからない、風が吹いたのかもしれない。とにかく焦って子供を抱き寄せて。子供は無傷だった。と、まぁそんな感じ。信じらんないけどさ」
あの劇マズビスケット毎朝食ってるぜ〜なんて、トーマスはふざけて言った。
長く続く風習を信じさせる何かがここにはある。
(もしかしてエラも……?)
村に戻ると、取ってきた肉は平等に各家庭に分けられた。大して役に立たなかった俺の手元にも分けられる。
「ありがとう」
「皆で食べる物だからな」
傭兵団では手柄に応じて報酬量が分かれる。本当この村は平和だ。
俺は貰った肉を小屋へ持ち帰り、塩焼きにして食べた。
「うま」
エラと食べたかったなぁ。
独りはあんまり好きじゃない。
その日の夜。
トントン。
眠っていた意識が、ノックの音で浮上した。
トントン。
眠い。こんな夜中に誰だ。傭兵の仕事の急ぎとかで、誰か呼びにきたのかな。
うっすらと目を開ける。
トントントン。
来るとしたらエラかジャックか?
いや、待て。
完全に頭が冴える。
トントントントン。
確かにノック音だ。間違いない。
なのに何で、人の気配がしないんだ。
(手練れか?)
音を立てないように気をつけて剣を持つ。この小屋に鍵は無い。裸足でベッドから降り、ゆっくりとドア前に移動する。
トン……
「誰だ」
誰何の声にノック音はしなくなった。耳鳴りが聞こえそうな静寂の中、ドアノブを回し押し開けた。
誰も居なかった。
ただ冷たい冬の空気が隙間から流れ込んできた。
俺は剣を抱えて、ベッドに座って休み夜を明かした。窓の外が明るくなって、最初に湯を沸かす。さっさとコップに汲んで窓辺に置いた。ビスケットも割り、暖炉と窓辺、自分の口に少量入れる。
湯を飲んで、どれくらいぼんやりしていたのだろうか。
トントン。
「!?」
反射的に剣を掴んで勢いよくドアを開けた。
「きゃっ!?」
驚きに小さく飛び上がり、長い髪が揺れる。小さな肩をすくめて、瞬きを繰り返した。
「びっくりしたぁ」
「エラ……?」
「旦那様、何かありました?」
剣を落とし、「パンを持ってきたんですよ」というエラを抱きしめた。人がいることにホッとする。
「だっ、旦那様? 申し訳ありません、ちょっと苦し……」
「あっ、悪い!」
力を緩めつつも離さず、その首筋に顔を埋める。洗濯石鹸と暖炉の匂い。鼻先をすりつけると、エラがくすぐったそうに声を上げた。
そのまま抱き上げてベッドに運ぶ。
「え? えっ!? 今!? 今なの!?」
「その、ダメか?」
「だ、ダメって言うかイヤです! 身を清めていませんから」
「わかった! 水浴びしてくる!」
急いで木箱を開けて着替えと浴用布巾を出す。
「ちが、貴方じゃなくて私がで、って、水浴び!? 今冬です!」
「大丈夫だ!」
何が大丈夫なんですかー! と戸惑う妻を残し急いで水辺へ来た。体をよく洗い、冷水ですっかり冷え切った頃には少し冷静さを取り戻していた。
(逃げ帰ってたりして)
十分有り得る。なんせ生娘の初めてにトラウマを植え付けた男だ。
だが予想とは裏腹にドアを開けると、暖炉に薪が足され、火が大きくなっていた。水嵩の減っていた鍋にも水が足され、そこから上がる湯気がなんとも暖かそうだ。
「おかえりなさい。さあ、暖炉の前に座って下さい」
「うん」
座ると新しい手拭いで髪が拭かれる。
「いや、冷た……。いくら鍛えているといっても風邪をひきますよ」
柔らかく、丁寧な手つき。俺の為に温められた部屋。心配する声。
最初は美人で可愛い嫁に舞い上がっていただけだと思ったんだけど。
(案外初めから……本気で好きだったのかも)
「エラ」
髪を拭く手を取って見つめる。背中に手を回し、捕らえて口付ける。
「いいか?」
「う、受けて立ちます」
返事を聞いて抱き上げる。
「はは、それ違う言葉はないの?」
「な、し、知りませんそんなの。なんて言うのよ」
エラは恥ずかしいとぶっきらぼうな言い回しになるみたいだ。そんなところも可愛い。
そっとベッドに下ろす。
今度は力加減を間違えない。絶対。
俺の生まれた村は小さかった。孤児は俺以外いなくて、いっつも邪魔者扱い。家はなく、板を三角に組み合わせたものの下で寝ていた。雨の日なんかは滴る水で冷え切って、「もうダメかも」と思う日も一度や二度じゃない。
店も無いような村の子供に仕事はない。家畜のフンや家の床掃除なんかを一日中手伝って、小さなパン一個。穀潰しはそれを有り難がって食べなければいけない。
見かねた行商人のオヤジが俺に声をかけた。
『でかい町にはお前のような子供にも仕事がある。連れてってやろうか?』
このオヤジが悪いヤツでもよかった。村から連れ出してくれるという言葉に俺は悩まず頷いた。
それから町で傭兵団に下働きとして入った。一日中働くのは村にいた頃と同じだったが、こっちは飯をちゃんと貰えたし、お小遣いもくれた。
部屋は同じ下働きの奴らと雑魚寝で、大体誰かと一緒だった。
独りは村に居た時だけ。
だから独りは好きじゃない。
「だ、大丈夫だからもう下ろして下さい」
「心配だからダメだ。家までちゃんと連れて帰る」
あの後、帰宅するエラを横抱きにして俺は森の中を歩いた。村に入るとエラを見つけた例の兄妹が睨みつけながら少し後ろをついてきたが、「エラが森で転んだ」と言うと渋々俺の存在を許した。
家の前まで来てやっとエラを下ろした。
「今日はちゃんと休んで。もし気分が悪くなったら、明日は無理するな」
「もう! 大丈夫ですってば」
「うん、じゃあな」
なんで俺は同じ家に帰れないんだ。
エラの頰にキスをすると、兄の方が鬼の様な顔で睨みつけてきた。エラ好かれてるなぁ。
でも単純だけど、小屋から家に帰ってもなんとかやって行ける気がしてきた。残りの小屋暮らしも頑張ろう! と意気込んだが、あと一週間と言うところで仕事の依頼が入ってしまった。
「試し、一時中断して大丈夫なのか?」
「わかりません。……っ、それより、この仕事。やめた方がいいと思います」
朝、村の広場に行くと荷馬車に乗ったジャックとエラが話しているところに遭遇した。仕事の依頼が入ったので、エラが俺を呼びに行くところだったらしい。
「そうは言っても、国からの正式な依頼なんです」
「やめた方がいい、とは?」
「ヴァンプリッチ長城の護衛補助依頼なんてあり得ません! ヴァンプリッチ長城はそれだけでも十分に敵軍を阻めるのに、更に領内には領兵団が在中しています。なにより、ヴァンプリッチ伯爵は自領で守り切ることを目標に今まで運営してきたんです! あの伯爵様が敵に攻め込まれてすらいないのに他力に縋るなんてあり得ません」
エラは伯爵本人を知っているようだった。
とは言え正式依頼を理由なく断ることは出来ない。
「ひとまず依頼人と会って話すよ。ジャック依頼人は?」
「それが、先に現地に行っていると……」
「仕方ない、行くしかないか」
「そんな、絶対におかしいです。寧ろ今の情勢なら……」
しつこく止めようとするエラに少々ムッとする。伯爵令嬢としてそりゃ多少勉強はしてきたのかもしれないが、俺にだって傭兵団長としてそれなりにこなしてきたプライドがある。
「俺だって別に素人じゃないんだ。上手くやってくるさ」
俺が苛立った気配を感じたのか、エラはそれ以上言わなかった。
心配するエラをおいて、俺は無言で出発した。
しかしヴァンプリッチ領に向かう道中、俺達の傭兵団は襲われたのだ。




