番外 春と夏の間に1
〈番外 春と夏の間に〉は全三話です。よろしくお願いします。
正直言って、拍子抜けだった。
「エラ、これ」
書類ひとつで私の夫となったフィンは、初夜もせず、理由を聞くこともなく、粛々と森の小屋へと向かった。
妖精なんて馬鹿馬鹿しい、下らないと一蹴されると思っていた。なんなら、私だってあの経験がなければここまで信じていたかどうか。
(何某かの体験はしているみたいだけど……)
フィンは小屋暮らしが始まって十日間、毎日花を四、五本摘んでは私の元へと通ってくる。
「あ、ありがとうございます」
「うん」
差し出された花を受け取ると、それだけで嬉しそうに微笑まれて戸惑う。
「今日はこの後町に用事があるんだ。夜には帰るけど遅くなるから、また明日」
「わかったわ。気をつけてね」
フィンは町に自分が団長を務めるの傭兵団がある。その維持や訓練に忙しいのか、村に来てからも何度か町へ往復している。
蹄鉄や餌の維持費が高くて村で馬を飼育するのは難しい。森の草を端から食べられてしまうのも困るし。フィンは「訓練代わり」と言って走って通っているが、申し訳なさが募る。
そんな事を考えていると、まだフィンがこちらを見ていた。少し眉尻を下げて伺うような仕草に首を捻る。
「まだ、何か?」
「その、頰に口付けをしてもいいだろうか?」
「えっ! あ、はい、どうぞ……」
ぎゅうと目を瞑ると苦笑する気配がして、頰に温かい感触がした。口はすぐに離れ、残った感触は初夏の暖かな気温に溶けていく。
「いってきます」
「……いってらっしゃいませ」
婚姻が決まっているのに初恋をしてしまった自分をどうしようもないと思うが、かといって夫となる人に不誠実な態度を取ろうと思ってない。なんなら仕事と割り切って、要求を受け入れ信頼は築きたいと思っていた。
だけどこれは予想外。全然聞いてない。
(なんでこの人、私のことこんなにす……すっ、す、すきなのよー!)
傭兵ときいてもっと荒々しい人を想像していたのに、とても丁寧に接してくれる。なんならなにか企んでいるんじゃないかなんて訝しんでしまう。
フィンの背中を見送ると、入れ違いで村の女性三人と男性が二人やって来た。
「エラ様、おはようございます」
「おはようございます。今日もよろしくね」
「はい」
男性二人は邸に入るなり二階へ上がった。最初に私にあてがわれた部屋と衣装部屋にしていたその隣り、南東のふた部屋を一部屋にする為に壁抜きの工事をしてもらっているのだ。
女性一人は掃除、もう一人は洗濯物を持って出へ行き、残る一人は私と一緒に二階の部屋へと向かう。
この人は村長の息子の奥さんでサリーだ。町の裕福層の出身だそうだ。
「何日も付き合わせてごめんなさいね」
「いいえ。普段お目にかかれない物ばかりで、楽しんでしまっています」
私が実家から持って来た大荷物は改装の為別の部屋へと運び、今は選別中だ。宝石なんかは手入れしていれば劣化は微々たるものなのだが、衣類はそうもいかない。変色したり虫に食われたりと布自体がダメになってしまうので、売るなり再利用するなりは早い方がいい。
「こっちは処分したいのだけど、町で売れるかしら」
「そうですね……もうボリュームが控えめなこれ、ワンピースなんかはおしゃれ着として需要がありそうです。でも本格的なドレスは難しいかもしれませんね。一度解いて別の物を作った方がよろしいかと思います」
飾りの多いワンピース何着かは町で売るように木箱へ詰め直す。
「それからエラ様、婚姻のお式の時はいかがいたしましょう?」
「え?」
「フィン様が正式に領主様になりましたら、村でお祝いしましょうと父がいっておりまして。どのお衣装をお召しになるか決めましたか?」
「別にいいのに。どの服も村で着ると派手だしねぇ」
「いえ、村にとってもおめでたいことですから。もしよろしければ見繕って、村で着ても浮いてしまわないようにお直しします」
「じゃあお願いするわね」
「はい!」
他二人の奥さんの意見も聞き、青色のドレスをリメイクするとこになった。フィンの目の色みたいでちょっと恥ずかしい。
それが終わると料理を教わりながら昼と夜分のスープを作る。奥さん達がお昼過ぎに帰ると、ハミルから過去の領地の資料や帳簿などを見せてもらうのだが。
「どうしてこのページが破けているの?」
「待って、この年の帳簿がごっそりないのだけれど?」
「この平均をまとめた資料はどこ?」
ここに来て一カ月、ずっとこんな調子で全っ然進まない。資料まとめが苦手とかそんなレベルじゃない。なんでないの? 頭痛い。
「作った書類は全て写して伯爵様にもお送りしていますが」
「わかってるけど、そういう話じゃないの。領主の元に書類が残るのは当たり前でしょう? それがどうしてこんなことになってるのか聞いているのよ」
お父様にはもう帳簿の写しを全て送ってくれるように手紙を出してあるわよ。
ハミルは忌々しそうに顔を歪めて、荒れた書類棚にギョロリと目を向けた。
書類保管部屋は未使用の使用人部屋に作られていて、ハミルの部屋の隣りだった。今まではお祖父様と二人だし、管理が楽だから許されたんだろうけど、ちゃんとした執務室を用意して、そちらに管理を移さないとダメね。
「こちらが聞きたいくらいです。気がつくといつもこうです。村の子供達が侵入して荒らしているに違いありません。私が気に入らないからといつもわたしの部屋周りばかりっ」
「村の子供達が?」
そんな悪い子がいるのだろうか?
ハミルを見ると、馬鹿にしたように鼻で笑った。
「は、お嬢様も前領主様のように妖精のせいだなんて馬鹿な事申しませんよね?」
「……貴方は村の子供達が悪さするのを見たの?」
「見ていたらとっくにとっ捕まえて折檻しています」
「わかったわ。もし見つけたら折檻する前に私の元に連れて来てちょうだい」
「……はい」
不承不承頷いてくれたが、かなり鬱憤が溜まっているようだ。
(“妖精のせい”、か)
ここ十年分はハミルが保管していて荒れ果てているが、更に古いものは二階の空き部屋にあった。今は私の荷物置き場にさせてもらっているが、埃除けの布の下を見たら書類棚があったのだ。そちらは別に荒らされていない。
(どうしてかしら? 単に二階はリスクが高いから?)
自室の改装が終わったらこちらを執務室にしましょう。
次の日の朝はまたフィンが一番にやって来た。いつものように花を持って嬉しそうに訪ねてくる。
「ありがとう」
「うん。それとこれ、昨日町で買ったんだ」
フィンがお土産だと包みを手渡してくれる。ビスケットにドライフルーツの入ったバターが挟んであって、結構高かったんじゃないかと思う。
「嬉しい。良かった一緒にお茶でもどうかしら?」
「いいのか? 是非」
お祖父様亡き後、応接間を再び整えようと思ったのだけれど、まだテーブルとソファの手配ができていないので居間へと案内する。
キッチンでお茶を淹れて居間へ戻ると、ガラスのドア越しにトレイを持った私を見つけて、フィンは立ち上がりドアを開けてくれた。
「ありがとう」
「持つよ」
なんていうか、すごーく良く懐いてくれている大型犬に見えてくる。
お茶を出して手土産をいただく。甘いものは久しぶりで、とっても美味しい。喜んで頂いていると、フィンが“良し”を待つ犬のようにこっちを見ていた。
「フィンも食べたら?」
「いや、良かったら食べてくれ。嬉しそうな顔を見ていたい」
違った。初孫を喜ぶおじいちゃんかもしれない。私だけ気まずい思いで食べ切ると、フィンもお茶を飲みきり言った。
「すまないが、来たついでにユーゲリウス殿の帳簿関係を見せてもらえないだろうか?」
「勿論よ、貴方が領主だもの」
良かった、きちんと用事があったようだ。
「だけどごめんなさい。最近のものはまだ取り寄せ出来てなくて、かなり前の物しかなくって」
「取り寄せ? どう言う事だ?」
ハミルに言われたことをそのまま伝えると、フィンの眉間に皺が寄った。
「それは子供達じゃなくて、妖精の仕業じゃないのか?」
「同じ事をお祖父様からも指摘されたみたいで、苛立っていたわ」
「エラ相手に? ……だったら妖精のビスケットを食べさせればいい」
「ビスケットを?」
どうしてハミルがビスケットを食べていない事を知っているのかしら。私は朝食の時に勧めて断られたから知っているけど。
「あれは食べると妖精から守ってもらえるというものだろう? 食べても悪戯が続くなら子供の仕業、無くなったら妖精の仕業だろう?」
「うーん、そうね。明日の朝言ってみるわ」
「それと、ハミルがエラに失礼な態度なら言ってくれ。黙らすから」
「あ、ありがとう」
ぐっと力強く拳を見せられたけれど、なるべく穏便に済ませたいわね……。
「あ、それから確認したい帳簿は前の物なんだ。ユーゲリウス殿が傭兵時代のやつ」
「それならあるかも。私も古い物はまだ未確認のものばかりだから、一緒に探しましょうか」
一時的に物置部屋にしている部屋へと移動する。サリーと片付けておいてよかった。
帳簿棚の前に立って、埃除けの布を捲ってフィンに指し示す。
「どの年代を見たいの?」
「傭兵時代のものを探している」
「ていうと……十五年前より以前ね」
フィンが帳簿を手に取り改める間に、手持ち無沙汰なので、売却処分を決めている物を入れた木箱に更にドレスを入れる。
(私の持参金とも呼べる物は現品だけ。まとまったお金が手に入るといいんだけど)
「エラ、ありがとう。用は済んだよ。そのドレスはどうするんだ?」
「着ていく先もないので傷む前に売ろうと思って」
「あ、済まない。俺に社交会への伝手がないからか。エラが着たら綺麗だろうに」
残念そうに言われると、申し訳ない気持ちになる。なんなら元から金策の為に持ち出したものだし
「いいのよ、気にしないで。貴方の服も作りたいし」
「オレの服? いらないだろう」
「駄目よ。周辺の町村の会合とかあったらどうするの? そう言う時はきちんとした服が必要でしょう」
「そういうもんか。済まない、疎くて」
「謝らないで。その為の私、その為の王命よ。私はきちんと役に立てて嬉しい」
そう、本当に。選ばれなくて家から出て、惨めな気持ちのままじゃなくいられるのは、役目があるから。
「だから沢山頼ってね。私は貴方の妻だから」
胸を張ってにっこり笑うと、フィンは目尻を下げてこちらに腕を伸ばしてくる。ふんわりと空気を含むような緩やかな抱擁は、まだ距離を感じている私への配慮だろう。
その気遣いを好ましく思う。
「君が妻で感謝している、エラ」
翌日の朝食の席で、私は割った緑色のビスケットをハミルに勧めた。
「貴方にも食べて欲しいのだけど」
「すみませんが、そのビスケットは嫌いです」
キッチンで、先に私が食べて、その後ハミルが食べるという流れなので、お皿に取り分けとこうと思ったら、すげなく断られたのだ。
(領主命令とか言って食べさせちゃう? でもそんな大袈裟な……でも、うーーん)
「命令です。食べなさい」
「……わかりました」
結局命令した。ハミルはその場で受け取って嫌々口に含むと、直ぐに水で流し込んだ。とりあえず食べたので良しとする。
朝食を終え、通いのお手伝いをしてくれる村の女性が来る時間に、フィンも来た。いつもよりちょっと遅めだ。嬉しそうな様子だから何かあったんだろうか?
「エラおはよう!」
「おはようございます」
「あっ、花を忘れた!」
「大丈夫、昨日貰った物がまだ元気だから。それより何かあったの?」
「明日は持ってくるよ。実は傭兵を辞めて来たんだ」
「…………はっ!?」
え、傭兵としての戦果を評価されて叙爵されたのよね? なのに辞めて大丈夫なの? 国からしたら「褒賞をあげるから今後も国の為に働いてね」ってことよね?
「昨日帳簿を確認して、辞めても大丈夫そうだと確信したんだ」
立ち話もなんなので、昨日と同じく居間へと案内してお茶を入れる。
「それで、どういうことですか?」
「まず俺の貰った褒賞の話だけど、爵位と土地と嫁を貰ったんだ」
「それは私も把握しているけど……」
「エラがいれば十分だし、不満は無いからこんな言い方はしたくないが、それだけだったんだ」
「!」
普通叙爵ともなれば、身なりを整えたり屋敷を整えたりと物入りになるので、支度金となる報奨金を支払われるのが普通だ。貴族でも何某かの功績を上げれば当然のように貰える。
「ど、銅貨一枚も?」
「無い」
てっきりお金は個人に支払われ済みだと思っていた。貴族の常識を存じない人にこんな仕打ちをするなんて、貴族として恥ずかしい!
「訴えましょう! こんなの普通じゃないわ」
「いや、いいんだ」
有り体に言って馬鹿にされているというのに、フィンは冷静に首を横に振った。
「昨日ユーゲリウス殿の帳簿を見たところ、彼には報奨金に加え毎月傭兵維持費として支援金が国から支払われていた」
「傭兵維持費……」
チラリとフィンを見ると、視線の意図を理解したフィンが肩をすくめた。それも無い、と。
「だがユーゲリウス殿も支払われたのは最初の八年、先先王が統治していたときだけだ。先王へと代替わりした途端支払われていない」
「そんな……」
お祖父様がそんなご苦労をなさっていたなんて。伯爵家からも支援金等は出ていなかったから、傭兵団を維持しながら村の生活の面倒も見ていたなんて相当大変だったであろう。
「爵位、土地、嫁が戦果に対する褒賞で、傭兵維持費が払われていない、裏を返せば今回の働きは礼に値するがその先は特に期待していない、と言う事で、つまり辞めても大丈夫だと解釈した」
「そ、れは……飛躍し過ぎでは」
「まぁ、試しに“辞めた”と報告して国の対応を待ってみようと思って」
フィンはイタズラっぽくニヤリと笑う。
確かにフィンの言うことには一理ある。でも隣国との戦が続いている状態でそんなことがあり得るのだろうか?




