刈り取る秋5
その日は特にお家の手伝いもなかったので、再び本棚の前に来ていた。どれを読もうかと思い、ふと前領主の日誌に目がいく。他の本は別の場所でも読めるかもしれないが、これはここでしか読めない。そう思い手に取った。
全部で七冊もあり、一番古いものからページを捲る。最初の記述は天気のみだった。綺麗とは言えない字だが、適当な書き流しがなく、丁寧に書こうとしたことが伝わる真面目な字面だ。少し大きめの文字で“今日は晴れ”と書かれていた。
その後も毎日天気の記述がある。天気と、村に何かあればその出来事を。何処のお家が結婚した、子が生まれた、葬送の儀。
「あ、パン焼きの日ってずっとあるんだ」
週に一回、パンの記録が残ってる。
それに時々狩りの日も。何をどれくらい狩ったか、どの季節になんの植物がどのくらい生えているか。
収穫の日、種植えの日、嵐の日、虹が出た日まで。
傭兵も続けていたようで、“明日は仕事”とあってから数日空く日もある。いなかった数日分まとめて印象的だったことがメモのように書いてあることもあった。
段々と字が小さく、上手になっていく。仕事の日以外一日と欠かさず書かれた日誌は筆者のまめな性格を表すようだ。
「村の日誌だから? 自分のことは全然書かない人だな」
エラやエラの親とは同居してなかったのかな、なんて考えながら捲っていると、再び狩りのページが来て、僕は手を止めた。
“また湖が光っていた。妖精でもいるのだろうか”
「え」
“また湖が光っていた”、だって? あれは僕の気のせいじゃない?
途中エルシィがやってきて僕に声をかける。
「お兄ちゃん、お昼よ」
「これ読んだら行くよ」
「わかったわ」
僕は夢中で、その淡々とした日誌をめくった。
夏は渡り鳥がいないから時々釣り、湖への狩りは冬。狩りの話は何度も出てくるが、湖の表記が出てくるのは、もう一度だけ。
“底の方がより光って見える。妖精は水底に何を隠したのか”
その後読み進めるも、震える文字で“今日は雨”と書かれて、日誌は終わった。
日誌を棚へ戻し、ぼんやりする頭を冷ましたくてテラスへ出る。日が傾き、森が夜に沈もうとしている。
ナルディアナには“ナルディアナ伝承”といういわば建国神話のような読み物がある。
湖の妖精の話はその中のひとつだ。
とある男が湖の妖精と出会い、お互い惹かれ合う。でもこのままでは結ばれない為、妖精は湖の底にあるコレクションの中から剣を選び、そこに自身の力を封じ込めて人間の女になる。
妖精はその剣を男に捧げ、剣を手にした男は圧倒的な覇力を手に入れ、人間になった妖精と二人で新たな王国を築くという初代国王と王妃の物語だ。
この話には続きがある。初代国王の死後、悲しみに耐えきれなくなった王妃は王の剣を抱えて湖の底で眠りにつく。そして王の血を引くものが再び剣を必要とする日を待っている、と。
“妖精は水底に何を隠したのか?”
(いや、まさか。だってここはカーネスで……)
そこまで考えてハッとした。
戦争の始まりは何だった? カーネスがナルディアナの聖地の森を侵害したからだ。
聖地の森の場所を、僕は知らない。
(もし。もしも本当に王の剣があるのなら……)
「セオ、ここに居たの。ごはんよ」
呼び声に振り返る。
ランタンの灯りに照らされた若葉色の瞳が心配そうにこちらを見ていて、胸がぎゅっとした。
「星が綺麗で」
誤魔化すように言うと、エラは空を見上げて弾けるように笑った。
「まあ、本当ね! 夜は殆ど出ないからわからなかったわ」
そう言って僕を見て微笑んだ。
「でも寒いから、そろそろ中に入りましょう?」
「はい」
エラは自然な動作で、当たり前のように僕に手を差し出す。僕が手を乗せると、優しく握り返してくれる。
温かな瞳も、振る舞いも、見返りのない親切も、僕はここで初めてもらった。全てエラから。
エラが悪い魔女なんかじゃないと確信が持てたあの日から、僕は時々こんなふうに胸がドキドキする時があるんだ。
ダイニングの扉が開いていて、そこからフィンとエルシィが顔を出してこっちを見ている。まるで本当の親子みたい。
(フィンのことも大好きなんだけどな)
エラにだけ、ドキドキする。
僕はいつかここを出て、帰る日が来るのだろうか。
「おにいちゃん最近へん! ずっとぼんやりしてる」
冬が終わり、新しい芽吹きが始まり、夏が来て。
僕はきいた。
「ねえエルシィ、城に帰りたい?」
「えっ?」
捨てられた僕たちは、生きる為に逃げて彷徨って、ここに辿り着いた。
あったかくて、優しくて、若葉の瞳に時々ドキドキして。でもフィンと寄り添ってる姿にちょっとだけもやもやして。
あそこにいた時よりずっと自由で、僕は意外と好奇心が旺盛だったんだな、とかエルシィは結構気が強いな、とか新しい一面に気がついたりもして。
そうして一通り満たされて、僕はやっと未来を考えた。
「帰りたくない、帰りたくないわ。わたしは、ルーシーになりたい」
「うん」
そうだよね。僕もそう思うんだ。ただのセオになれたら、とても幸せなんだろうね。
「……戻るの?」
「わからない。でもそんな日が来る気がするんだ」
エルシィは涙を堪えるように、唇を噛んだ。
そこに、部屋をノックする音がした。
「二人とも? 準備出来た?」
「うん! もう行くよ!」
僕が答えると、エルシィもぎゅっと目をつぶって顔を戻した。この辺は小さくてもさすが王族といった表情管理だ。
「いっぱい釣りましょうね」
部屋を出た僕たちと同じくらい楽しみにしていたエラが、ウキウキと階下に向かう。
今日は湖に釣りに行くのだ。僕がお願いした。もう一度湖の光を確かめたかったからだ。
「エラ、随分浮かれているな」
「だって釣りは初めてなんだもの」
「そうか。夕飯は任せろ」
喜ぶエラが可愛いのだろう。フィンはエラの頭を撫でてにっこり笑った。その笑顔を見てエラは真っ赤になる。
僕の心の中は「エラ可愛い」「僕も撫でたい」「フィンはずるい」とまるで嵐だ。
気分を落ち着けるためにエルシィの頭を撫でる。
「おにいちゃん、髪が乱れるからやめて」
ぺしっと手を払われる。妹というものは成長が早いようだ。
狩りの時は薄暗く寒い道中だったが、今日は夏なこともあり汗ばむ陽気で、緑が生い茂り足元を彩っていた。
エルシィは途中で疲れてしまい、フィンに抱っこされてなんだか嬉しそうだ。物心ついた頃には大人に抱っこされるなんてなかったもんね。
僕はエラと手を繋いでおしゃべりしながら歩いた。湖まではあっという間のように感じた。
「わあっ! すごいきれいね」
到着するなりエルシィはフィンから飛び出して砂浜まで駆けていく。木陰にピクニックシートを敷くエラの手伝いをしてから、僕もエルシィを追いかけた。
(やっぱり、真ん中が光っている)
手でひさしを作り、目を凝らす。冬の薄暗い夜明けの中程はっきり見えないが、日差しを反射する湖面とは違い、中から淡い光を放っていた。
(もしかしたら、あの下に王の剣が沈んでいるかもしれない……)
「あら? なにかしら?」
いつの間にか隣に立つエラがそんな声を上げた。
「どうした?」
「なんか、湖が光っている気がしたの。真ん中辺りが」
「えー? あ、ほんとだ! 真ん中がキラキラしてるー! あれなにー?」
「……俺にはわからないな」
「そう? フィンは身長が高いから見え方が違うのかしら。不思議ね」
僕はびっくりした。
もし王の剣が沈んでいるなら、光が見えるのは王の血を引く者だけだと思ったからだ。狩りの時もみんなには見えていないみたいだったし。
だからエルシィは見えると思っていたけど、エラも?
(そうだ、エラのお祖父さんは見えてたんだった。……エラのお祖父さんって、何者?)
湖の砂浜側から小高く迫り出した側に周り、少し間隔を開けて釣り竿を振る。フィンがエルシィの竿を手伝っているので、僕はそっとエラに近付いた。
「ねぇ、エラのお祖父さんはどんな人だったの?」
「私のお祖父様?」
エラは少し驚いて聞き返してきた。ちょっと唐突だったかな。
「その、この間手記を読んで。気になって」
「あ、ああ。あれを読んだのね。……あのね、実はよく知らないの」
エラは困った顔で苦笑した。
「お祖父様は元々孤児で、戦果を上げて男爵位を賜った方なの」
「フィンみたいに?」
「そう。お祖母様は伯爵家出身で、結婚は王命だったの。だけど村の暮らしには馴染めなくて早逝されて、一人娘だった私の母は、不在がちなお祖父様がお祖母様の実家である伯爵家に預けたのですって。それからずっと、お祖父様が亡くなる直前まで私達と交流がなかったの。孫娘なんて、名ばかりで……申し訳なかったわ」
「そうだったんだ……」
エラが罪悪感に潰されそうな顔をしたので、それ以上は聞けなかった。
「そういえば、セオに似ているかも」
「え?」
「お祖父様も黒髪で緑の瞳だったから」
黒髪と緑の瞳。
それは湖の妖精が愛した初代国王と同じ色だ。ナルディアナ王家はこの組み合わせを特に神聖視していて、正妃の子ではあるが、第三王子である僕が王太子候補から外されない最大の理由でもある。他の兄弟は黒髪だが瞳の色が青色なのだ。
(寂しいの?)
心の中で湖に問いかける。
何となく、この森に僕たちが集まってしまったのは偶然じゃないような気がした。まるで呼び寄せるように、導くように。
次の王を決めるように。
「あら、セオ! 引いているわよ!」
「え? わわっ! ど、ど、どうしよう」
慌てる僕たちの元に素早くフィンが駆けつけてくれて、僕は立派な魚を釣り上げることが出来た。
途中休憩で、エラとエルシィが用意してくれたランチを食べて、午後も釣りを楽しんだ。釣果は上々で、村長さんの家にお裾分けして、夜はフィンが下処理して焼いた魚を食べた。
本当フィンって何でも出来てずるい。僕にも教えて欲しい。




