刈り取る秋2
『むかーし、むかし』
懐かしい。母上様の声だ。母上様の好きな寝物語。
『あるところに湖の妖精がいました。湖の妖精は美しいものが大好きで、見つけては水底へと持ち帰りうっとりと眺めます。本当はもっと色々欲しいけど、湖の妖精は湖から離れられません。一番好きな美しいものは、お日様を透かした葉っぱの光。その緑色の光が湖を彩る日は一日中退屈しませんでした』
どんな色なのかなぁ? 僕も本物を見てみたい。
『ある曇りの日、妖精は思いました。“今日も退屈ですわ。どこからか美しいものが落ちて来て下さらないかしら?”すると、水辺に人間が現れたのです』
もう知っててるよ。湖の妖精は人間に恋をしちゃうんだよね?
『たくましい体に強そうな黒髪。そしてまるでお日様を透かしたような輝く緑色の瞳。妖精はその青年の鮮やかで美しい緑色の瞳に魅入られてしまいました』
ほらね。
だけど何回聞いたって不思議なんだ。だって目だけで好きになるなんて変だよ。
恋ってどんものなの?
「あら、起きた?」
ぱちりと目を開けると木でできた見慣れない天井だった。声の方に視線を向ける。
(っ、魔女!?)
眠る前に見た魔女が現れて、慌てて飛び起きた。
(エルシィはどこだ!?)
見回すと隣のベッドに寝かされていた。ほっぺたを真っ赤にして汗をかいていて、はぁはぁと荒い呼吸をしている。
僕は急いでベッドから降りたが、床に足が着いた途端、力が抜けてへたり込んだ。
「あっ、ダメよまだ寝てなくちゃ。貴方も熱があるのよ。……この子は貴方の妹ね? 保護した時は意識があったんだけど、疲れているみたい」
魔女が僕の側にしゃがんで目を合わせてくる。僕は警戒しつつも頷いた。
「うん、大丈夫よ。ちゃんと隣で寝ているわ。動かしたりしないから安心して。私の名前はエラよ。よろしくね」
魔女……エラは笑いかけてから僕に「触るわね」と言って抱き上げようとした。細い腕が僕の脇に差し込まれて、ドキッとする。そのままぎゅっと抱きしめられると、その暖かさに体から力が抜けた。
だがそれで逆に負荷がかかってしまったんだろう、エラの腕は震えるばかりで持ち上がらない。エラは僕から離れてドアの外に大きな声を出した。
「フィンー! ごめんなさい、手を貸してもらえるー!?」
低い声で「今行くよ」と返事があり、階段を駆け上る音がして、その男は部屋へ入ってきた。
「どうした?」
「男の子をベッドへ戻すのを手伝ってくれるかしら? 私では力不足で」
優しい眼差しと声でエラと話すその男は、僕を見た瞬間、笑みを消した。いや、正確には笑顔のままだが、目が笑っていないのだ。
灰白色の髪と吊り気味の群青色の瞳で、森で見た野犬とは違う、狼のような堂々たる存在感だ。気圧されてたじろぐ。
男の手が自分に伸び、びくりと肩をすくめるが、男は難なく僕を持ち上げてベッドへ戻した。
「エラの言うことをよく聞いて早く治せよ」
ぽんと頭を撫でられるが、威圧感があって脅されている気分だ。
僕が頷くと、男は離れた。
「この人はフィンというの。私の夫よ。貴方、名前は言えるかしら?」
名前を言ったとして、万が一身分がバレたら困る。
そもそもここはどこなんだろう。
情報が揃うまで、余計なことは言わないようにしよう。
「……セオ。……妹は、ルーシー」
「セオとルーシーね。よろしく。元気になるまでゆっくりしていきなさい」
見ず知らずの人にゆっくりしていけ、なんて変だ。なにか企んでいるのかもしれない。
エルシィは夜になって目を覚ました。暖炉の明かりが揺れる薄暗い部屋で、助けてもらったことと、相手に伝えた名前を教える。
「わたくし、ルーシーと呼ばれたらおへんじすればよろしいのね」
「ああ。でもあまり喋らないでおくれ。なんだろう、昼間から気になっているんだけれど……」
小さい声で話していると、ドアをノックする音がした。二人して口をつぐむ。
「入るわね。……あら! ルーシーも目が覚めたのね」
部屋に来たエラは暗くなった部屋のランプを点けて、テーブルに水差しを置いた。
「喉が渇いたんじゃないかとジュースを持ってきたのよ。一応コップ二つ持ってきて良かったわ」
コップに濃い紫色の液体を注いで手渡される。匂いを嗅いでからひと舐めする。
(ぶどうかな。味が濃くて混ぜ物がしてあっても気づけないな)
ひとまず舌先の痺れや苦味がないのでひと口飲んでみる。
(おいしい……)
目線をエルシィに向けてひとつ頷くと、エルシィもコップに口をつけた。おいしくて、コップはすぐに空になった。
「お口に合って良かったわ。スープを作ったのだけれど食べられそうかしら?」
エラの申し出に僕達は遠慮気味に頷いた。
「待っていてね、今持ってくるから。ジュースのお代わりは?」
エルシィがおずおずとコップを出すと嫌な顔ひとつせず笑顔でお代わりを注いだ。更に「好きに飲みなさい」とジュースの入った水差しを置いて部屋を出ていった。
「……いい人、ですわよね。魔女ではありませんよね」
「まだわからないさ」
その後エラが持ってきてくれた柔らかく野菜を煮込んだスープを食べて僕達は眠った。
翌日にはすっかり熱が下がり、起き上がれた。
「この服は着れるかしら?」
エラには子供はおらず、ご近所さんからお下がりを貰ってきたと言って、何着かを僕達の体にあてがう。
今着ている寝巻きも城で着ていたものじゃなくて、エラが着替えさせてくれたのだろう、清潔だが粗末なものだった。外套を着ていたとはいえ外に寝転がされていたし、かなり汚かったはずだから仕方ない。
「セオはこのシャツとパンツ、ルーシーはこっちのシャツとスカート、あと二人ともセーター着れば寒くないかな……。裸足だったから皮靴もお下がりもらってきたのだけれど、入るかしら?」
渡された服に着替えて靴を履き、ここにきて初めて部屋を出る。二階は僕達が寝ていた部屋の他に三部屋、一階に降りても廊下の端が見える程度の広さで、邸は小ぢんまりした控えめなものだった。
ダイニングで朝食を食べながら、フィンは領主、エラは領主夫人だと教えてくれたが、使用人が一人もいない。
「小さい村なのよ」
エラは苦笑して言った。
お淑やかなその様子を見るに、エラは貴族だとすぐわかるが、無愛想にスプーンを口に運ぶフィンはどう見ても平民だった。
「ここは……どこなんですか」
「トレック村というのだけど。えーっと、カーネスの西に位置しているの。ナルディアナとの国境がちょっと近いんだけど……」
カーネス……!
僕とエルシィがぎくりと身を固める。固めてしまった。何食わぬ顔でやり過ごさなければならなかったのに。
(ばれた……?)
恐る恐る視線を上げると、エラは焦ったように手を横に振った。
「近いっていっても、歩いて半日以上かかるから! 村が襲われたことはないし、心配しないでね?」
どうやら僕達の態度を「ナルディアナが近くて怯えている」と勘違いしてくれたらしい。僕は余計なことを言わずに弱々しく頷いた。
朝食を終え、大人二人を残しダイニングを出た。そのままドアの前に留まり聞き耳を立てる。
「あの子達、出先で戦に巻き込まれて逃げてきたのかしら? きっとご両親が探しているわよね? どう見ても貴族の子だもの」
僕がエラを見て貴族だと思ったように、向こうも僕達の身振りで貴族と思ったようだ。 それに国が違うときいて昨日から感じていた違和感の正体がやっとわかった。イントネーションや言い回しだ。ライトな言葉遣いに、ほとんど同じだが物の名前のイントネーションが時々微妙に違う。何よりエルシィが使うような“女性言葉”が殆ど使われていない。
(気をつけないと)
「そうだな。来週デュークが来るから、貴族の子供の情報がないかきいてみるよ」
「ありがとう、お願いね。……でも『森のお客様』だとすると、難しいわよね」
「そうだな。エラには悪いが『森のお客様』じゃなかったらとっくに追い出してる。あの執事みたいにな」
フィンはエラ相手だと信じられないくらい優しく喋る。
(『森のお客様』……?)
ダイニングの会話が途切れたので、エルシィに合図して素早く二階へ向かった。部屋の扉をきちんと閉めてから、二人寄り添って小声で喋る。
「あ、あにうえさま、どうしましょう……、ここ、カーネスって」
「しっ、大丈夫。言わなければわからないよ。それより知りたい事が沢山ある」
大人に探りを入れて身元に繋げられると困るから、出来れば子供にききたい。
革靴の中で足をもぞりと動かす。鞭で打たれた後、包帯を巻いていたが裸足で走ったので、いまだ痛みがある。それはエルシィも一緒で、長く歩けない為まだ外に行けない。
「傷が治るまではおとなしくしていないとね」
外に出られない間、手持ち無沙汰にしていたら、エラが本棚の場所を教えてくれた。家の中に執務室はなく、居間の陽が届かない隅に置かれていた。
「ほとんどが私が持ってきた本だけど、読みたいものはあるかしら?」
エラが持ってきた本は割と雑多で、恋愛小説、ミステリー小説、図鑑、マナー本に書類の書き方の本に哲学書まである。あとは前領主だったというエラの祖父による日誌と。
「あ、“リンデン童話集”」
「知ってる?」
「はい」
知ってるもなにも、ナルディアナではよく寝物語として語られている。亡き母上様もよく語ってくれた。そうか、カーネスでも読まれているんだ。
「借りてもいいですか? 部屋に持って行って、ルーシーに読んであげたい」
僕がそう言うと、エラは目尻を下げてふんわり笑った。あまりにも優しい笑顔に胸がどきっとする。
「もちろんよ。気に入ったお話があったら教えてくれると嬉しいわ」
僕はエラとお喋りする約束をした。
童話集はエルシィにも好評だった。わからない単語を僕やエラにきいて、自分でも読めるように頑張っている。
「あにうえさま、湖の妖精のお話はありませんの?」
本をパラパラと捲っていたエルシィが僕に言う。母上様の一番お気に入りの寝物語はナルディアナ伝承のひとつでリンデンではない。
自分が知っている母から貰ったものを、エルシィにもわけたいと、僕が何度か語って聞かせていた。
「これには載ってないんだ」
「そうなのですね、ざんねんです。久しぶりにお聞きしたく思いましたのに」
おねだりする上目遣いに、僕は苦笑してエルシィの隣に座った。
「いいよ。僕がお話ししてあげる」
「まあ、ほんとう? 嬉しいですわ」
「“むかーしむかし、あるところに湖の妖精がいました”」
こうして信じられない程の平穏な日々を数日過ごして、僕たちの足はやっと治った。




