刈り取る秋1
〈三章 刈り取る秋〉は全六話です。よろしくお願いします。
ナルディアナ王国とカーネス王国が戦争を始めたのはもう七十年も前らしい。
「らしい」というのは、僕が生まれるずっとずっと前のことだからだ。
きっかけは国境にある土地がどちらの所有かという、まあありきたりなもの。昔はナルディアナの聖地と呼ばれる森がその辺りにあって、それが侵されたとかいう理由だったみたい。
現代においては「聖地? なにそれ、どこにあるの?」ってくらい存在感は薄くて、戦争する理由なんて曖昧になってる。
「セオドラ殿下、聞いておられますか?」
「聞いてます。三百十三年開戦、三百十五年代二十一代国王ジアン陛下即位、同年ベランナ海峡戦勝利、三百十六年……」
つらつらと覚えた年表を暗唱する。この家庭教師は教科書読むだけで授業した気になっていて、とてもつまらない。事前に呼んで暗記しておけば授業を受けなくていいくらいに。
それが態度に出ていたのだろう。もしくは理由なんてどうでもいいのか。
「ハッ、もうよろしいです! 靴を脱いで膝をおつきなさい」
椅子から降りて靴を脱ぎ床に膝をつくと、教師が足の裏を鞭で打った。
「っ……!」
「本当! 反抗的で! 王子の自覚が! 足りないですねぇ!」
教師は息を上げて強く鞭を振るう。白い靴下が破け血が滲む。足の裏が真っ赤に染まり、教師は鞭を拭った。
「次回は教科書二百四ページから二百八十ページまでです。事前に書き取りをしておいて下さい」
「はい」
いや、お前が教えるのが仕事だろう。
そう思うが無駄口はたたかない。従順な振りをしてやり過ごさなければ此処では生きていけないから。
我が父はナルディアナ王国の王だ。
即位と同時に結婚し王妃を迎えるも子ができず、一年後に貴族議員達から心配の声を受け側妃を迎える。
側妃は城に上がりすぐに懐妊し、第一王子と第二王子を出産した。
王妃は結婚から六年経ってようやく第三王子を出産し、王位継承第一位はこの第三王子に据えられ安泰かと思われた。だが王妃はその四年後、第一王女を出産の際命を落としてしまった。
そうして、側妃は正妃へと繰り上がった。そうなり問題になったのは第一王位継承権の行方だった。
派閥は大きく第一王子派と第三王子派に分かれるが、現在は現王妃の第一王子派の支持率が高く第三王子は王宮の隅に追いやられることとなった。
第三王子、つまり僕のことだ。
正直、第一王子が継げばいい、王宮の隅で授業も受けず無知でもいいから静かに暮らさせてくれと思わなくもないのだが、そうはいかないみたいだ。
僕の考えなんて置いてきぼりに、お祖父様率いる侯爵家が中心になって僕の派閥を纏めている。
それに第一王子は僕が継承権を「いらない」と言ったくらいでは安心出来ないらしい。
僕の命とそれから報復を恐れてか妹の命を始末してしまいたいようだ。
その空気を感じ取った第一王子の家臣たちが、こうして僕たち兄妹を虐げる。
(やってられないな……)
僕は自室に戻り、靴と靴下を脱いで足を洗う。手巾で拭いて包帯を巻き、ゆったりした室内履きに履き替えた。足が腫れてきて明日まで革靴は履けなそうだ。
靴が履けないと晩餐には出られない。正装必須だからだ。
(なにか食べられる物があるかなぁ……)
乳母は辞めさせられたし、護衛はいない。出される食事には時々毒が入っているし、メイドは全て現王妃が選んだ人たち。
妹のエルシィが居なかったらとっくに諦めて言いなりだっただろう。
(エルシィはまだ六歳……)
エルシィが十歳になったら逃げ出そうと思っている。それ以上いると今度はエルシィに婚約者がつけられてしまう。
僕の後ろ盾にならない、弱く貧しい貴族か、現王妃の手のものか、そんな碌でもない婚約者が。
ぐうぅ、とうめくお腹を抑えてベッドに丸まる。
食べ物は無かったが水は飲んだし、寝てしまえば朝食がある。王族が揃ってご飯を食べるのは晩餐だけで、朝は各々自室で摂るから靴はきちんとしてなくても大丈夫。
(我慢、我慢)
そう思うが腹はぐうぐぅ鳴る。そこへ控えめなノックと共に、可愛い妹が顔を出した。
「あにうえさま? 寝てしまいましたか?」
「起きてるよ、エルシィ」
布団から顔を出すと、天使のような笑顔で駆け寄ってきた。動きに合わせて長い黒髪がさらさら揺れる。
「もうしわけありません、メイドが下がるまで待っていたら遅くなってしまいました。どうぞ、晩餐のパンをくすねました」
「ありがとうエルシィ。誰にも見つからなかった?」
見つかるとエルシィが叱られてしまう。
エルシィが僕の目の前で手巾を広げると、中には切り分けられたバケットが二切れ入っていた。
「大丈夫です。わたくしそんなヘマはいたしませんわ」
ドヤ顔で胸を張る妹が可愛い。今この僕たち兄妹が住む城でたった一人、本当の家族で味方だ。
エルシィが持ってきてくれたパンを平らげて、二人一緒のベッドに潜って眠った。
今日がやっと終わりました。
明日も生き抜けますように。
少しでもマシでありますように。
眠りに落ちる前にいつも祈る。いつか叶うように。
だけどその日はいつもと違ったんだ。
「セオドラ殿下!起きてください!!」
メイドが駆け込んできて掛布をめくった。
二人で目を擦りながら起き上がると、メイドは少し動揺したようだった。
「あらっ、ひ、姫様もこちらに?」
窓の外はまだ暗い。夏が終わった今夜明けにはまだ早い。夜半過ぎくらいだろうか。
「何? どうかしたのかい?」
「あ、あの、カーネスが攻めて来ました!」
「! 何だって!?」
勢いよくベッドから降りる。窓から外を見ようとすると、メイドが強く腕を引いた。
「ま、まだ王都の外にいるようです。馬車を用意しましたので早くお逃げ下さい。さ、姫様も」
「あ、ああ」
メイドは僕たちに外套を着せ柔らかな室内履きのまま外に出た。正面玄関前に停車されている馬車に乗り込む時ふと周りを見た。
(静かすぎる。襲撃はどの方角から?)
「お急ぎ下さい!」
少しの違和感は焦ったメイドによってかき消される。急いで乗り込み、座席に座るとエルシィと手を繋いだ。向かいの座席にメイドが座ると、御者に合図を出し出発した。
「これからカーネスと反対のトト公国側近くの辺境にある別荘へ向かいます。暫くはそこに避難せよとのご命令です」
「わかった」
頷くと、メイドは水の入った水筒を渡してきた。確かに起き抜けに焦って出てきたので喉がからからだった。一口飲んでエルシィに手渡すと、エルシィも喉が渇いていたようでこくりと飲みこんだ。
「さあ、飲んだら少しお休み下さい。別荘までは丸一日かかりますので」
「ああ」
気を張っていたはずなのに、馬車に揺られるうちにいつの間にか眠りに落ちていた。
「ん……」
顔が冷たい。ざらつき、濃い緑の匂い、ひんやりと吹き抜ける風。寒い。
起きるとそこは森の中だった。
「え」
再び風が吹きぶるりと震える。冷えた指先を握り込み目を擦った。右を向いても左を向いても鬱蒼と木が生えている。本でしか見たことがないけど、間違いなく森の中だった。
薄暗い森は恐ろしく、じりじりと近くの木に身を寄せた。
(どこなのだ、ここは。メイドは……)
そこまで考えてハッとした。エルシィも一緒だった筈だ。
「エルシィ」
大きな声で呼びそうになり、咄嗟に声を抑える。森には人を警戒して声から離れる獣と、逆に好奇心があったり腹を減らしてて寄ってくると獣がいると本で読んだことがあった。
見える範囲に目を凝らして探すが、エルシィらしき姿は見えない。
僕は木の根の上で膝を抱えてうずくまった。
暫く時間が過ぎ、周囲が少し明るくなった頃、僕は悟った。
「僕、捨てられたのか……」
白い息を吐いて指先を揉む。
メイドは全て皇后がつけた人員だった。
きっと水に眠り薬が入っていたのだ。他殺だと足がついてしまう可能性があるため、こうして捨てて凍死か獣に喰われるかを待つつもりだったのだろう。
(毒じゃなくてマシだったのかもしれないけど……)
虚しい、悔しい、腹立たしい。
僕達はただ生まれただけなのに。どうして飢え凍える最期を迎えなければいけないの。
「……っ、……やー!」
「?」
人の声と思しき音が聞こえてはっと顔を上げた。
「……あに……さまー! たすっ……」
「エルシィ!?」
さっと地面に目を走らせて、一番太くて長い枝を拾い、一目散に声の方へ向かう。
「いや! あにうえさま! たすけてっ」
すぐに向かいからエルシィが走ってくるのが見えた。背後には野犬が迫っている。エルシィは下生えに足を取られながらも、蛇行し上手く木を盾にして走っているようだった。さすが賢い。
「エルシィ!! こっちだ!」
「! あにうえさまっ!!」
僕に気がついたエルシィがこちらへ一直線に走ってくる。動きが単調になり狙いやすくなった獲物に、野犬が大きく口を開けた瞬間、僕は間合いを詰め、木の枝を口の中に突き入れた。
「ぎゃん、ゲボッ」
致命傷とはいかなかったが、喉に刺さった枝が抜けず、野犬がのたうち回る間に僕はエルシィの手を引いて駆け出した。犬は群れる。仲間がいるかもしれない。
「はあっ、はあっ」
息切れが苦しいけど、二人して一心に走った。野犬が見えなくなっても、方角がわからなくても、ひたすらに走った。途中で室内履きは脱げてしまい、僕たちは裸足でがむしゃらに走った。
「あに、うえっさま、も、息が……」
エルシィが苦しげに声を上げ、僕はやっと止まった。ひっぱり続けたエルシィの手は赤く跡がついてしまっていた。それを優しく撫でると、エルシィはゆっくりと嗚咽を上げた。
「うっ、うっ……」
僕も涙が出て、エルシィを抱きしめた。
エルシィも捨てられたことをわかってるんだ。
捨てられて、死にそうになって、助かっても先が無くて。
悔しさも怒りもなくなって、虚しさばかりが降り積もった。
どうすればいいの。誰か教えてよ。
ひとしきり泣いて、それでも僕はエルシィの手を引いて歩き出した。
「あにうえさま、どこへ行きますの?」
「わからない」
じっとしていると凍えて、それだけで死んでしまいそうになる。僕たちに今夜は越えられない。
「あにうえさま、おぼえてらっしゃる? 森に住む魔女がお菓子の家で子供をおびきよせて食べてしまうお話」
「覚えてるよ。エルシィは拾い食いなんて絶対しませんわ、と言ったね」
温かな部屋で絵本を読んだ日を思い出す。
「ふふ、今ならなんでも食べてしまえますわ。魔女だってかじってしまうかも」
「それは頼もしいね。妹は兄を太らす為にたくさんの料理を作るけど、エルシィは料理が出来たかな?」
「できません。ざんねんです、あにうえさま太れませんね」
たわいもない話で気を紛らわせても、その時(限界)は来る。つまずいたエルシィがそのままペタリと地面にへたり込んだ。足が震えて立つことが出来ないみたいだ。
僕はエルシィに背を向けてしゃがんだ。
「ほらエルシィ。おんぶしてあげる」
「……はい」
エルシィを背負って再び歩き出すが、すぐに息が上がってきた。小さな声で「おいていって下さい」と聞こえたけど、聞こえないフリをした。
「魔女の家が、はぁはぁ、きっとあるよ。はぁはぁ」
「良い魔女が、いらしてほしいわ」
目がチカチカする。妙に眩しくて、暖かい気さえする。僕も限界が近いのかな。ふらつく足取りで、惹かれるようにそちらへ歩を進めた。
「あ、あにうえさま」
「なぁに、エルシィ」
「ごらんになって、魔女の家よ」
「え?」
朦朧とする頭を上げると、視界に飛び込んだのは鮮やかなオレンジ色の可愛い家だった。そのバルコニーに魔女がいる。艶やかな茶髪に、若葉色の目の魔女が。
その美しい若葉色が見開かれ、僕の視線と交わった。
魔女、どうか妹を助けて。僕を食べてもいいから。
僕はそこで、気を失ったみたいだ。




