攫ってあげる 3
「病気は治ったか?」
見舞いだと言って訪れた父ヴェリオルは、誰にも会いたくないというリーニの気持ちを無視して強引に部屋の中に入って来た。
「…………」
リーニはベッドの中に潜り込んだまま唇を噛む。
エルラグド国への帰り道、ずっと泣き続けていたせいで目は腫れて、肌も荒れていた。こんな姿で父に――いや、誰にも会いたくない。そして何よりも傷ついた心が痛くて、リーニはベッドの中という暗くて狭い空間から出られないでいた。
そんなリーニに、ヴェリオルは衝撃的な言葉を投げかける。
「で、どうだった? お前の王子様は」
「…………!」
何故、そのことを知っているのだ。
戸惑うリーニにヴェリオルは淡々とした口調で話し続ける。
「お前はこの国の女王となる者だ。それが自分勝手に他国に行けばどうなる? そこで何かがあったとしたら?」
この国が、国民がどうなるのか。外交にも影響が出るかもしれないし、それをきっかけに戦になる可能性もある。――なにより父や母や妹たちがどんな思いをするか。
暗闇の中で目を見開くリーニ、そこに光が差し込む。
「出てこい」
布団をめくられ、リーニは顔を両手で覆う。
「たとえ子供であったとしても、招待状もないのに城に入れると思うか? 悟られないように警護をしていた騎士たちは大変だったようだぞ」
あちらの国王が話の分かる方で良かったなと言われ、広間で背筋を伸ばして椅子に座っていた高齢の王の姿を思い出す。あの王と父は繋がっていたというのか。
「で、どうだった?」
「…………」
混乱した頭が整理できない。リーニはベッドの上で蹲って首を振る。
「顔を上げよ。お前はこの国の女王となる者だ。行動一つ態度一つ、言葉一つで国が左右されることを知れ。そして己の言葉で、己の意思を伝えよ」
お前はどうしたい、と言われ、リーニは覆っていた手をゆっくりと下ろすと醜く腫れた目で父親を見上げる。
「……私、絶対にあの人が欲しい」
「それは、国の未来をも考えた末の判断か」
そう問われれば、答えられない。ただ、あの王子が欲しい。優しい笑顔を自分だけに向けて、抱きしめてほしい。他の誰にも触れてほしくない。
拳を握り締めるリーニ。ヴェリオルはそんな娘を見つめ、心の中で溜息を吐いた。
「欲しいなら、手に入れられるだけの力をつけよ」
「力を……」
「まず王となる勉強だ。それからお前は十分可愛いが、外見も更に磨きをかけろ」
父の言葉を頭の中で反芻し、うん、とリーニが頷く。
「攫いに行くのは成人してからだぞ」
「う……うん?」
「不満か?」
少し迷って頷くリーニを、ヴェリオルは厳しい目で見つめる。
「今攫いに行ったところで、お前にその王子を縛りつけるだけの力があるか? 逃がさない自信はあるか? 他の誰にも盗られない自信はあるか?」
何者からも絶対に守るだけの力をお前は持っているのか。
リーニは小さく首を横に振る。
「成人し、女王として皆が認めるほどになったら攫いに行け。それまでは会うことを禁じる。分かったら起きろ。いつまでふて寝しているつもりか」
他で遊ばれるのが嫌なら、それを許さぬだけの力をつければいい。何もせずに諦めるのかと言われ、リーニは慌てて体を起こす。
「ち、違うわ! 今起きようとしてたんだから!」
そしてベッドを降りようとすれば、ヴェリオルがその体をふわりと抱きしめてきた。
「お父様……?」
「父に似て、一途な子だ。お前の恋愛に手助けはしないが、助言ならしてやろう」
ヴェリオルの頬がリーニの頬に押し付けられ――、
「嫌!」
リーニは全力で抗った。
「……リーニ」
「だって気色悪いもの」
ちょっぴりだけ伸びた髭の感触も荒い鼻息も蕩けた顔も、すべてが気色悪い。父のことは好きでも、これだけは本当に受け付けられないとリーニは断固拒否をする。
「…………」
肩を落とし、ヴェリオルは去っていった。きっとこれから母に大金を払って頬ずりさせてもらうに違いないとリーニはその背を見つめる。
パタン、というドアの閉まる音が悲しく響く。
ふと、リーニは思った。金の為だとかいいながらも、なんだかんだで父のすべてを受け入れている母は凄いのかもしれない。そしてそんな母を誰にも触れさせることなく一途に愛し続ける父も。
侍女を呼び、着替えて顔を洗ってケントを呼ぶ。
「酷い顔だな」
もう泣いていないのかとからかうケントをリーニは睨んだ。
「あんたもグルだったの?」
脱走計画があっさり成功したのは、ケントも父と共謀していたからに違いないとようやくリーニは気づく。
しかしケントは首を横に振った。
「違う、途中でばれたんだ」
「途中っていつ?」
「情報を集めている時だ」
「初期も初期じゃない!」
リーニに協力を依頼されてすぐに捕まって、何をしようとしているのか洗いざらい話せと言われ、その上指示通りに動くよう命じられたらしい。
もうそれは初めからグルと言っていいのではないかとリーニは頬を膨らませる。
「仕方がないだろう。騎士は王の命令には逆らえない」
「ケントはまだ騎士じゃないでしょ」
「いずれなるし、お前が女王になった暁にはお前に忠誠を誓ってやるよ」
「絶対よ」
「俺は約束を守る男だよ。お前の王子様と違ってな」
「…………!」
頑張って捕まえろよ、とケントは去っていく。
悔しい。溢れそうになった涙を、だがリーニは堪えて上を向く。泣いていても愛しい男は手に入らない。
天井を見上げたまま、リーニは己が何をすべきなのか考えた。
◇◇◇
それからリーニは、己を磨くことを始めた。王太子として、次期王になるための勉強をしながら積極的に公務をし、恋愛についても学んだ。
父は言う、
「権力と軍事力を使い、強引にでも籠に閉じ込める必要がある。大切なのは、エサは欲しがるだけ与えるということだろう。自由以外ならなんでも与えろ。時には鞭と鎖を、時には飴と金品を。敵となるものは二度と歯向かわぬよう排除しろ。そして――心の底から愛せ。愛、それがこの世で一番強いものだ」
と。
母も言う、
「リーニ、あなたいくら持っているの? その王子様を買えるだけのお金は持っているの? 権力は? いくら愛だ恋だといっても所詮世の中金と権力よ。人は金銀宝石を目の前にちらつかせられたら飛びついてしまうものなの。そして権力には逆らえない。財力と権力がこの世で一番強いものなのよ」
と。
宰相も、
「トバッチ国……ですか。まあいいのではないでしょうか。調書によると、なかなか優秀なようですし。と言っても実際に会ってみないことには何とも言えませんが。病弱な婚約者殿がいるようですが、念のために結婚を急がぬようにその婚約者の国に圧力はかけておいた方がいいかもしれませんね。それからトバッチ国に何人か潜り込ませておきますか?」
と言う。
皆の助言で必要な知識と経験を得て、そして十六歳になったリーニはケントの協力のもと、サンをいったん攫いに行くこととなった。
「よいかリーニ、まだトバッチの王太子をお前の婿にすると決めたわけではない。実際に会ってみて、ものにならないような男なら結婚は許可しないし、その場で斬り捨てる」
「分かっているわ」
リーニが神妙に頷く。
皆が納得する男でなかった場合は婿に迎えることはできない。それは大国の女王になるリーニにとっては絶対条件だ。
いくら好きでも愛していても、どうにもならないことも学んだ。
だがリーニは信じていた、サンはきっと立派な王配となると。そしてあの時の約束も。
そのための努力も根回しもした。
イリスが溜息を吐く。
「まったく、嫌なところが陛下に似てしまったわ。トバッチ国の王太子には同情しかないわね」
そう言いつつも「気を付けて」と抱きしめてくれる。
「じゃあ、攫ってくるわ」
絶対に逃がさない。
「待っててね、サン王子!」
リーニは鼻息荒く馬車に乗り込んだ。
◇◇◇
「ねえ、私のこと覚えている?」
トバッチ国から攫い、エルラグドへと帰る途中の宿でリーニは訊く。
リーニの言葉に、サンは眉を寄せた。
ああ、とリーニは少し残念に思う。約束を覚えてはいなかったのだ。
だがそれならば、それでいい。これから二人で新たな恋をしていけばいいのだから。
「いつ会いましたか?」
「毎日会っているわ。額縁の中のあなたはとても寡黙で……。でも優しく私を見つめてくれる」
そしてこれからは、いろいろな表情を私に見せてくれる――。
リーニはサンを見つめて目を細めた。