第7話:「T.」の筆跡
「本当に、あのクレヨンの落書き通りに進むつもりですか? 安全な保証なんて、どこにもないのに」
バギーを走らせながら、美咲先輩が硬い声で尋ねる。ハンドルを握る手には、いつもより力がこもっていた。
「信じるさ。あの図面は、常識を超えた洞察を具現化している。忠実にルートを辿ってくれ」
柊先輩の即答に、美咲先輩は奥歯を噛みしめながら、それでも速度を落とさなかった。楓が「暴力的な美」と称した最短ルートは、コンテナを念動力で粉砕し、冷却ダクトを一時的に歪ませるという、荒々しいものだった。美咲先輩は精密な念動力を駆使し、柊先輩の分析と連携しながら、そのルートを力業で突破していく。崩れ落ちる鉄骨の隙間を、寸分違わずすり抜けていくその技術は、乱暴なようでいて、実は恐ろしく緻密だった。
やがて辿り着いたのは、廃墟の地下深くにある、元研究室だった。薄暗い部屋の中央で、確保対象――元ASTRA研究員が、無数のケーブルに繋がれた自作のオカルト装置を前に、恍惚とした表情を浮かべていた。
「見つけたわ! 念動力で拘束します!」
美咲先輩が放った念動力を、装置の力場が弾き返す。
「無駄だ。この装置は、私の研究の集大成だ……!」
「ASTRAに、優秀な能力者を道具のように扱うお前たちに、私の天才が理解できるものか!」
元研究員は逆上し、装置のエネルギーを暴発させようとする。このままでは廃墟全体が吹き飛び、周囲にまで被害が及ぶ。
「くっ……柊! 間に合わない!」
美咲先輩の精密な能力も、暴走するオカルトエネルギーには通用しない。
――どうしよう……! この装置を止められるのは……!
楓の憑依はもう解けている。必要なのは空間を読む力じゃない。装置の構造そのものと、あの人の心理を読み解く、論理の力だ。
――鈴香さん、もう一度……! お願い!
「……危機的状況でのパニックは、愚かな選択よ」
低く冷静な声が、私の口から漏れた。探偵・鈴香、再び憑依完了。
「また、あなたなの」
美咲先輩が短く言う。驚きよりも、どこか安堵の色が滲んでいるように聞こえた。柊先輩は無言のまま、状況を見守っている。
鈴香は、ぴしりと制服の襟を正すような、無駄のない一瞬の動作を見せると、暴走寸前の装置と、元研究員の様子を一瞥した。
「柊、美咲。動くな。この暴走は、単なる能力の誤用じゃない。彼の『自己承認欲求』がトリガーになっている」
鈴香の声が、静かに、しかし鋭く響く。
「な……! なぜ、ここが……! いや、それより、どこまで嗅ぎつけた!」
元研究員の顔に、動揺が走る。
「装置の起動タイミング、逃走経路、廃棄した実験ノートの処分方法。すべて、几帳面すぎるほど計算されている。あなたは優秀よ。だからこそ、些細な矛盾に気づかれる」
「矛盾だと……? くだらん。私の目的は、この装置の完成だけだ。それ以外の下らない読み違いをしているなら、無駄な推理だな」
元研究員は、口の端を歪めて笑う。だがその笑みは、明らかに強張っていた。
「本当に? だったら、なぜ起動シークエンスの中に、ASTRA本部への回線を、わざわざ組み込んでいるの」
「――なっ」
「装置が完成すれば、暴走の一部始終が、自動的に本部へ送信される設計になっている。これは事故に見せかけた自爆装置じゃない。あなたは最初から、組織に『見せる』ためにこれを作った」
「そ、そんなこと……お前に、何がわかる……!」
「あなたの本当の目的は、装置の暴走じゃない。上層部への復讐と、自分の功績の証明。今この装置を起動しても、あなたの記録は組織に秘匿されたまま、誰にも知られることはない。むしろ、コアが起動する直前に、装置の電源を外側から遮断することこそ、あなたが安全に、かつ組織内部に問題を提起できる唯一の方法よ」
「な……ま、まさか、そこまで……」
「俺の目的までは、誰にもわかるまい――そう思っていたんでしょう。生憎、その手の思考パターンは、何百パターンも見てきているの」
図星を突かれ、元研究員の思考が完全に止まる。握りしめていた装置の起動レバーから、力が抜けていくのが見えた。その一瞬の隙を、美咲先輩は見逃さなかった。
「念動力、拘束します!」
美咲先輩の精密な念動力と、鈴香の分析が初めて噛み合い、元研究員は装置に触れることなく、完全に拘束された。
事件は解決した。装置は停止し、確保作業が進む中、柊先輩は押収されたノートに目を通していた。分厚い、手書きの研究記録だった。
「……ん?」
ノートの端に記された、癖のある筆跡と「T.」というイニシャル。それを見た瞬間、私――いや、まだ抜けきっていなかった鈴香の奥で、微かなざわめきが走った。意味はわからない。でも、なぜだか目が離せなかった。似ている、という感覚だけが胸の奥に引っかかる。何に、とは言えないけれど。
柊先輩は、自分の手帳を取り出し、そこにも小さく「T.……」とだけ書き足す。何かが引っかかった、というような横顔だった。
「柊先輩、それは?」
「いや……何でもない。気のせいだろう」
そう言って手帳を閉じる仕草に、不自然な間があった。
「瀬尾くん、君は、またやってくれた」
柊先輩は、崩れ落ちそうになる私の体を抱き止めながら、興奮気味に言った。
「見たか、美咲。彼女は、空間を読む才能と、論理的推理を、深層意識下で完全に統合し、犯人の心理を読み切った。これは単なる切り替えじゃない。二つの才能を、瀬尾茜という一人の中で統合した結果だ。人間の脳が、これほど柔軟に異なる思考モデルを行き来できるとは……信じがたいが、目の前で起きている以上、認めるしかない」
美咲先輩は、ただ唖然と立ち尽くしていた。彼女の精密な念動力と論理的な思考をもってしても、この現象には全く追いつけないらしい。
「……そんな、統合なんて……」
悔しさに唇を噛む美咲先輩の声を最後に、私の意識は、糸が切れたようにぷつりと途切れた。
――また、柊先輩を喜ばせちゃった。幽霊さんたちのおかげで、事件を解決できたんだ。憑依体質を利用して、二人の力と「協力」し、難題を解決できたことに、初めて純粋な成功の喜びを感じる。
薄れゆく意識の中で、そんな安堵と一緒に、小さな棘のような思いも浮かんでくる。
――でも、これは私の手柄じゃない。楓さんでも、鈴香さんでもない、ドジな私自身の力で、柊先輩の隣に立てる日は、いつ来るんだろう。
意識が完全に途切れる直前、遠くで本部からの通信が聞こえた気がした。「――また、新しい案件が。瀬尾隊員のチームに、至急……」誰かがそう言っていたような、いなかったような。定かではないまま、私の意識は闇に沈んでいった。
事件2、完結。




