第3話:仮説の誕生
「……今の、何だったんですか」
肩に担がれたまま、私はまだ半分意識が朦朧としていた。美咲先輩の声は、まだ動揺の余韻を残している。
「声も、動きも、まるで別人でした。瀬尾隊員が、あんな乱暴な口調で喋るなんて」
柊先輩は静かにタブレットを操作しながら、崩壊したサーバーラック、壁の亀裂、そして兵器の核がピンポイントで叩き潰された痕跡を見比べていた。
「わからない。だが、極度のストレス下で人格が変容する事例は、報告例がないわけじゃない。解離性の防衛反応、というやつかもしれない」
「解離性、って……そんな簡単な話ですか、これ」
「今は判断材料が足りない。ただ、結果だけは見ておく必要がある」
柊先輩はそう言うと、話を目の前の痕跡へと戻した。
「あんなの、ただの暴力的な破壊活動よ! 何が『超論理的な戦略』なの、柊!」
「美咲、落ち着いてくれ。よく見てほしい」
柊先輩は、亀裂の一つ一つを指差していく。
「彼女は、兵器を停止させるという目的を、最小限のエネルギーで達成したわけじゃない。その逆だ。兵器のAIに『自分を攻撃する意思を持った、予測不可能な天災』だと誤認させ、自律行動を止めさせることを選んだ。この破壊的な動きは、単なる暴力じゃない」
「屁理屈です! 結果的に壊れただけでしょう! 私なら、この三分の一の被害で済ませられた!」
「それは君の実力を疑っているわけじゃない。ただ、瀬尾くんのアプローチは、我々の想定の外側にある。それこそが、価値なんだ」
「そんな……」
美咲先輩の声が震える。「天才」と称賛されるべきは自分のはずなのに、担いだ荷物同然の後輩を、柊先輩は真剣な顔で尊敬しているのだ。
――違うのに……! 私はただ、無我夢中で殴っただけで……!
心の中で叫んでも、その声は誰にも届かない。
「ぐああああっ……く、くうっ……あーにゃん、おなしゃ、おなしゃい……」
権藤の反動でぐったりしていたはずの私の全身が、突然、意味不明な言葉とともに小さく痙攣する。
「ちょ、ちょっと! 瀬尾隊員!? 突然どうしたの!?」
美咲先輩の声が硬くなる。さっきの一件がまだ頭にあるのだろう、身構えるような気配が伝わってきた。
「まさか、また……」
「……ふむ。データは抽出できたか」
幼児のように震えていた私の瞳に、ふっと知性と冷静さが宿る。科学者・辰巳、憑依完了。今度は先ほどとはまるで違う、低く落ち着いた声だった。柊先輩と美咲先輩が、揃って息を呑む気配がする。
「さっきの奴が機動を止めたのはいいが、電磁パルスでメインAIのバックアップメモリが破損している。これでは、暴走の『原因』が回収できん」
淀みなく、しかし早口でまくし立てるその口調に、柊先輩がふと手を止めるのが見えた。眉間に皺を寄せ、何かを思い出そうとするように視線を宙にさまよわせている。
「……いや、まさか。学生の頃読んだ、あの論文と……」
小さく呟いた声は、途中で途切れた。柊先輩は小さく首を振ると、何事もなかったかのように思考を切り替える。辰巳は構わず、兵器の残骸に手をかざした。
「美咲、そこの制御ユニットの外殻を、力任せに剥がしてくれ。指先の器用さより、瞬間的な握力が要る作業だ」
「な、何を勝手なことを……!」
言いながらも美咲先輩は、両手で外殻を掴み、ぐっと力を込める。
――バキィッ!
厚さ数センチの複合装甲が、あっけなく引き剥がされた。美咲先輩自身、少し驚いた顔をしている。
「……美咲、地味に力持ちだよな」
柊先輩がぽつりと呟くと、美咲先輩の顔が一瞬で赤くなった。
「な、なによ、悪い!? 鍛えてるのよ、色々と!」
「いや、悪くはない……悪くはないが……」
柊先輩は自分でも手伝おうと、別の外殻ユニットに手をかけたが、びくともしない。何度か力を込め、最後は膝に手をついて息を切らせる始末だった。
「……分析官なんて、こんなものだ」
「無理しないでください、柊先輩……」
私は思わず、担がれたまま同情の目を向けてしまった。
「よし、次だ」
辰巳はさらに指を鳴らし、崩れたラックの奥を指差す。
「美咲、あの棚の裏側にある予備バッテリーユニットを、傷一つ付けずに引き抜いてくれ。ただし、○.2秒以内にだ。それ以上かけると内部の記録媒体が熱で飛ぶ」
「傷一つ付けずに、○.2秒……!? 人間の反応速度を完全に超えてます!」
「文句を言う暇があったら手を動かせ」
美咲先輩は歯を食いしばりながら踏み込み、目にもとまらぬ速さでユニットを引き抜いた。成功はしたものの、その場に膝をつき、肩で息をしている。
「……できるんじゃないか」
「褒めても、何も出ませんから……!」
美咲先輩は涙目で怒鳴った。
美咲先輩の怪力と、辰巳の超高速な分析により、暴走の原因となるコアデータは無事抽出された。作業の最中、私はうっかり残骸の破片に躓き、抽出済みのメモリチップを弾き飛ばしてしまう。チップは宙を舞い、あろうことか柊先輩の解析端末の読み取り口に、綺麗に吸い込まれるように収まった。
「……都合が良すぎるだろ、これは」
柊先輩が苦笑しながら呟く声を、私は聞かなかったことにした。
「よし、これで完了だ」
辰巳の憑依が解ける。今度は身体的な反動は少なかったが、極度の集中で消耗した私は、その場に座り込んだ。
「瀬尾くん、よくやった!」
柊先輩は手帳を取り出す。ページの端には、既にいくつもの矢印と疑問符が並んでいた。その隣に、新しい一文が書き加えられる。
【瀬尾茜=深層意識下の多角的天才】
「え、えへへ……そ、そうですか……!」
美咲先輩は吐き捨てるように呟いた。
「天才ですって? あれはただの不安定な多重人格よ。柊先輩、あなたはいつか、あの女に足元をすくわれるわ」
そこへ、柊先輩の端末が短く鳴る。本部からの定時連絡だった。
「……ん? 学校周辺で、生徒の間に妙な噂が広がっている、か。『夜な夜な壁に浮かぶ幾何学模様』……単なる都市伝説にしては、目撃者の体調不良の報告が多いな」
柊先輩は画面をスクロールしながら、眉をひそめる。
「気のせいだといいが……いや、念のため、明日にでも学校側に確認を取っておこう」
「そ、そうですね……」
内心、また何か厄介事に巻き込まれる予感がして、私は小さくため息をついた。柊先輩は今日も涼しい顔をしているけれど、こういう時の彼の勘は、恐ろしいほどよく当たるのだ。だが同時に、自分がまた誰かの役に立てるかもしれないという、ほんの小さな期待も混じっていた。
その呟きが、次の事件の始まりだとは、まだ誰も知らなかった。




