第26話:突破
一時間の猶予は、あっけなく尽きた。壁のモニターに映るタイムリミット表示が、無慈悲にゼロへと近づいていく。
「――残念だが、交渉は決裂したようだ」
早乙女の淡々とした声に、通信の向こうの男は、苛立たしげに舌打ちを返した。
「悠長に構えていられると思うなよ。今から10分後、1人目を処分する」
一方的な通告とともに、通信が切れる。施設内から、悲鳴のような声がかすかに漏れ聞こえてきた。コマンドセンターの空気が、一段と張り詰める。
「柊、時間がない! 強行突入に切り替えるしかないわ!」
美咲先輩の声が、インカム越しに響く。
「了解。実行部隊、突入準備を。僕は偵察ドローンを飛ばして、内部構造をリアルタイムで解析する」
柊先輩の指示に、無線の向こうで慌ただしい応答が重なった。装備の擦れる音、足音、複数のエージェントの緊迫した声が、次々と飛び交う。早乙女の意識が退き、震える体を叱咤しながら、私は最前線へと向かう。
――ここからは、力尽くで道を切り開く力が要る……!
――権藤さん、お願いします!
荒々しい闘気が、体の奥から湧き上がる。格闘家・権藤、憑依完了。
「――待たせたな。行くぞ」
低く笑うと同時に、正面ゲートに肩から体当たりし、歪んだ鉄扉をこじ開ける。突入した瞬間、左右から銃口が向けられた。
「伏せて!」
美咲先輩の声とともに、念動力が周囲の瓦礫を盾のように展開する。権藤はその隙間を縫って踏み込み、拳と足技で次々と男たちを沈めていった。美咲先輩も、念動力で相手の体勢を崩しながら、隙を見て自らも組み付き、投げ技で無力化していく。二人分の攻撃が、まるで一つの意志のように噛み合っていた。
「後方、実行部隊が援護射撃に入ります!」
柊先輩の声に応じ、無線の向こうから、規則的な発砲音が響き始めた。実行部隊が窓の外から狙撃で敵の動きを制し、こちらの前進を援護してくれている。正面から力尽くで、側面から狙撃で、そして念動力の壁で――三者三様の力が組み合わさり、施設の第一区画は瞬く間に制圧された。
「実行部隊より報告。制圧した実行犯の一人が、尋問に応じています」
無線越しに届いた報告に、権藤は動きを止める。
「あいつら、リーダーは最深部で"最後の仕上げ"を待ってるとか言ってたぜ。何の仕上げかまでは、口を割らなかったが」
美咲先輩が、険しい顔で呟いた。
「最深部……つまり、実行犯を指揮しているのは、この施設のどこかに、まだいるということね」
「ドローンの映像を解析した。第二区画の奥に、複雑に入り組んだ通路がある。人質は、恐らくその先だ」
柊先輩の声が、緊迫感を帯びる。
だが、深部へ進むにつれ、状況は悪化していった。何度も憑依を繰り返してきた反動が、じわじわと体の芯を蝕んでいる。視界の端が、時折ちらちらと明滅するのを感じながら、それでも足を止めるわけにはいかなかった。
「――くっ」
一瞬、権藤の意識が乱れ、体勢が崩れかけた。男の一人が、その隙を見逃さず、鈍器を振りかぶる。
「茜っ!」
インカム越しに、切羽詰まった声が響いた。いつもの呼び方ではない、ただの名前だけの叫びだった。同時に、美咲先輩が咄嗟に念動力で鈍器を弾き飛ばし、体当たりで男を突き飛ばす。守られた形になった権藤は、一瞬の間を置いて体勢を立て直した。
「し、しっかりしなさい! こんなところで、簡単に音を上げないで!」
美咲先輩は、我に返ったように、いつもの厳しい口調を装った。だが、その声にはまだ、隠しきれない動揺が滲んでいる。
「悪いな、助かった」
権藤の短い礼に、美咲先輩は何も言わず、いつも以上に密着した位置取りで、死角を埋めるように動き始めた。反動は確実に蓄積している。それでも、止まるわけにはいかなかった。
奥の管理区画には、複雑に入り組んだ通路が続いていた。
――今度は、この入り組んだ通路を、誰よりも速く駆け抜ける力が要る……!
権藤の意識が退くのと入れ替わりに、軽やかな高揚感が全身を満たす。メッセンジャー・ジョー、憑依完了。
「久しぶりだな、俺の出番!」
明るい声とともに、備え付けの整備用カートに飛び乗り、猛スピードで通路を駆け抜けていく。壁を蹴り、天井の配管を掴んで跳び、障害物という概念を置き去りにするような機動で、人質が囚われている一室へと最短距離で迫っていった。
「進路上に警備ドローン、三機接近!」
美咲先輩の警告と同時に、正面から回転する刃を備えたドローンが襲いかかってくる。ジョーはカートを大きく傾け、際どいところで刃を躱すと、脇に積まれていた資材の山を足場に跳躍。もう一機の頭上を飛び越え、着地と同時にカートを蹴り出して残る一機に激突させた。破壊されたドローンの残骸が、火花を散らしながら床に転がる。
「柊、聞こえるか! 人質のいる部屋を発見した! あと少しだ!」
途中、いくつもの警備用ドローンやカートが、行く手を阻むように現れる。それらを次々とかわし、あるいは体当たりで弾き飛ばしながら、施設内はまさに大混乱に陥っていた。破壊された機材の破片が、辺り一面に散らばっている。
「瀬尾くん、そのまま直進だ! 人質の位置を特定した! ドローンの映像で、あと三十メートルだと確認できる」
柊先輩の声に応じ、最後の直線を駆け抜ける。だが、視界の端に、これまで見た資料室とは明らかに違う、奇妙な形状の扉が目に入った。無機質な金属の表面に、見覚えのある渦巻き紋様が、かすかに刻まれている。
――あれは、何だろう。
一瞬だけ気を取られたその隙に、疲労の限界を超えていた体が、大きくよろめく。ジョーの意識が、耐えきれずに揺らぎ始めていた。短時間で権藤からジョーへと、二度の切り替えを行った代償が、想像以上に重くのしかかっていた。
「瀬尾くん!? どうした、応答しろ!」
柊先輩の声が、遠く霞んで聞こえる。視界がぐにゃりと歪み、足元の感覚さえ怪しくなっていく。額には冷や汗が滲み、指先の震えが止まらない。
「まだ、終われない。人質が、待ってる」
倒れそうになる体を、なんとか壁に預けて支える。荒い息の合間に、人質のいる扉が、すぐそこに見えていた。同時に、あの奇妙な紋様の刻まれた扉のことが、頭の片隅にこびりついて離れなかった。この施設には、まだ何か、知られていない秘密が隠されている――そんな予感だけが、朦朧とする意識の中で、はっきりと存在感を放っていた。
追いついてきた美咲先輩が、崩れ落ちそうな私の肩を、素早く支えてくれる。その顔には、いつもの厳しさとは違う、はっきりとした心配の色が浮かんでいた。
「無理させすぎたわね……。あとちょっとだから、頑張りなさい」
その声は、いつになく優しかった。柔らかな声色に励まされるように、私はもう一度、足に力を込め直した。




