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憑依体質エージェント 瀬尾茜の事件簿 ~ドジな私が「天才」と呼ばれるのは、七人の幽霊さんのおかげなんです~  作者: ざつ
事件7:能力者兵器化阻止作戦

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第23話:手帳の記憶

 薄暗い廊下の先、朽ちかけた書斎らしき部屋に、私はたどり着いていた。崩れた書棚、散乱した本の残骸。埃と黴の匂いが、鼻の奥に刺さる。その隙間、床板の隙間に半分埋もれるようにして、古い革張りの手帳が落ちていた。


――これ。


 吸い寄せられるように、手帳を拾い上げる。表紙は色褪せ、ページの端はぼろぼろに崩れかけていた。震える指で、そっと開く。埃が舞い上がり、思わず咳き込みそうになった。


 几帳面な文字で綴られていたのは、ある事件の捜査記録だった。日付は、10年以上前。書き手の名前は記されていないけれど、その筆致には、覚えのある切れ味があった。


「――被害者の交友関係を再確認。犯人は、まだ現場周辺に潜伏している可能性が高い。だが、決定的な証拠が足りない」


 そこで記述は、唐突に途切れていた。まるで、続きを書く時間さえ、与えられなかったかのように。


――鈴香さんの、手帳だ。


 確信めいた実感が、体の奥から込み上げてくる。同時に、頭の中で、堰を切ったように記憶の断片が溢れ出した。


 雨の匂い。冷たい床。この廊下を、小さな私が走り抜けていく。追いかけてくる誰かの気配。膝を擦りむいて、それでも泣くことすらできなかった、あの夜の恐怖。そして、暗闇の中で聞こえた、いくつもの重なり合う優しい声。


――あなたの願い、私たちが預かった。


 手帳を握る手が、震えを抑えられない。ページの隅、走り書きのようなメモ。そこに記されていたのは、この館で保護された「身元不明の少女」についての、短い一文だった。


「あの子だけは、必ず守る」


 目の前が、涙で滲んだ。


 その時、インカムから美咲先輩の切迫した声が響いた。


「瀬尾茜! どこにいるの、模倣犯には共犯者がいた! そいつが今、あなたの近くにいる可能性がある!」


 我に返る。手帳を握りしめたまま、廊下に飛び出すと、暗がりの奥に、人影が見えた。ナイフを構え、こちらに向かって迫ってくる。息を荒げ、目が血走っている。


「お前が、余計なことに気づいたんだろう……! 全部、お前のせいで……!」


 男の怒声が、廊下に反響する。逃げ場を探す間もなく、じりじりと距離を詰められていく。


「茜っ!」


 インカム越しに、美咲先輩の叫び声が響いた。いつもの「瀬尾茜」ではない、初めて聞く、ただの名前だけの呼びかけだった。その声色に滲む切迫感に、頭の芯が痺れる。


――逃げなきゃ。でも、この人を止めないと、また誰かが傷つく。


――権藤さん、力を貸してください。


 荒々しい闘気が、体の奥から込み上げてくる。格闘家・権藤、憑依完了。


「――悪いが、そのナイフは預からせてもらう」


 低く笑うと同時に、地を蹴って間合いを詰める。男が振りかざしたナイフを、最小限の動きで避けながら、その手首を正確に打ち据えた。


――ガキンッ!


 ナイフが床に転がる。地を這うような低い姿勢、無駄のない踏み込み。駆けつけた美咲先輩が、その一部始終を目の当たりにして、大きく息を呑むのがわかった。


「……その動き」


 呆然とした呟きが、微かに漏れる。もう、既視感などという曖昧な言葉では片付けられない、はっきりとした確信の色が、その瞳に浮かんでいた。


「瀬尾くん!」


 柊先輩も遅れて到着し、共犯者はあっという間に取り押さえられた。緊張が解けると同時に、権藤の意識が退いていく。膝から力が抜け、その場にへたり込んだ。


 美咲先輩は、駆け寄ろうとした足を、途中で止めた。さっきの叫びを思い出したのか、気まずそうに視線を逸らす。


「……瀬尾茜。無事なら、それでいいわ」


 わざとらしいほど、いつもの他人行儀な呼び方に戻っていた。だが、その耳の端が、ほんの少しだけ赤くなっているのを、私は見逃さなかった。


 事件が完全に収束した後、美咲先輩が、手帳を握りしめたままの私の隣に、静かに腰を下ろした。柊先輩は少し離れた場所で、共犯者の身柄確保の連絡に追われている。


「その手帳、何が書いてあったの」

「……昔の、未解決事件の記録、みたいです」

「そう」


 短く答えると、美咲先輩は、しばらく黙って夜空を見上げていた。星の見えない、曇った空だった。


「今日の予知、外れたわ。危険を感知したのに、正確な場所までは絞り込めなかった。もう少し早く気づいていれば、あなたを一人で行かせずに済んだのに」


 珍しく、悔いを滲ませた声だった。それから、珍しく自分から言葉を続ける。


「私も、昔から、完璧でなければ価値がないって、ずっと言われて育ったの。今日みたいに、予知が外れることも、本当は怖くてたまらない」


 ぽつりと零された本音に、私は言葉を失う。美咲先輩が、こんな風に自分の弱さを口にするのを、初めて聞いた気がした。


「……悔しいけど、あなたのそのやり方、少しだけ、羨ましいのかもね」


 美咲先輩はそう言うと、立ち上がって、夜空にもう一度視線を投げた。


「行くわよ。柊が待ってる」


 差し出された手を、私はそっと取った。館を出る前、最後にもう一度だけ振り返る。この場所に眠っていた答えは、まだすべてが明らかになったわけではない。それでも、今日知ることができた欠片を胸に、私は静かに歩き出した。


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