第21話:閉ざされた館
「殺人の予兆を感知しました」
コマンドセンターに、美咲先輩の硬い声が響いた。彼女の能力は、精密な念動力だけではない。ごく稀に、断片的な未来の光景を感じ取る、予知にも似た力を持っている。本人いわく、当てにならないことの方が多い、不確かな力らしいけれど。
「今回のビジョンは、これまでで一番鮮明でした。血のような赤い染み、割れた鏡、そして誰かの悲鳴。無視できるレベルじゃありません」
美咲先輩の声には、いつもとは違う切迫感があった。
「それにしても、この頻度はさすがに異常よ」美咲先輩が、書類の束を苛立たしげに整えながら呟く。「他のチームは、月に一件あるかないか。うちだけ、なぜこんなに集中するの」
柊先輩は何も答えず、ただ黙って準備を進めていた。その沈黙が、いつもより重く感じられた。
「あ、あの、私、何か手伝えることは……」
気を遣って声をかけると、美咲先輩は苛立ちのままこちらを振り向いた。
「手伝うって、何を? あなたが的外れに動き回る方が、正直、邪魔なのよ!」
きつい声に、思わず肩がすくむ。だが、言い放った直後、美咲先輩自身がはっとしたように、表情を曇らせた。
「……ごめん。今のは、言いすぎた」
らしくない謝罪だった。疲労の色が濃く滲む横顔から、いつもの鋭さが少しだけ抜け落ちている。
「い、いえ、大丈夫です。美咲先輩も、お疲れなんですよね」
「……そう見える?」
小さく零された自嘲めいた呟きに、私はどう答えていいか分からなかった。
「場所は、山奥にある廃洋館。過去、いくつかの事件の現場になった、いわくつきの建物です。今夜、そこで新たな凶行が起きる可能性がある」
柊先輩がモニターに地図を表示する。表示された建物の外観を見た瞬間、なぜか、指先が冷たくなった。
「……ここか」
柊先輩が、地図を見つめたまま、ぽつりと呟いた。独り言のような、それでいて何かを噛みしめるような声だった。
「柊先輩、この場所、知ってるんですか?」
「……いや。资料で、名前を見たことがあるだけだ」
歯切れの悪い答えが返ってくる。いつもの彼らしくない、微かな動揺が、その横顔に滲んでいた気がした。深く追及する間もなく、柊先輩は話を続ける。
「本来なら、とっくに解体されているはずの建物だ。だが、原因不明の事象がこの周辺で繰り返し報告されているため、上層部の判断で、あえて手をつけず、監視対象として保存されている」
現場へ向かう車内、私は早々に車酔いと格闘していた。山道のカーブに合わせて、美咲先輩のハンドル捌きが、いつも通り容赦なく振り回してくる。
「うっ……美咲先輩、もう少し、優しく曲がってもらえると……」
「これくらいで酔ってどうするの。任務中はもっと揺れるわよ」
窓を薄く開け、深呼吸を繰り返しながら、なんとか吐き気をやり過ごす。だが、木々の隙間から、目的地らしき建物の輪郭がちらりと見えた瞬間、その吐き気は、明らかに質の違うものへと変わった。
――なんだろう、この感じ。運転のせいだけじゃない。
うまく説明のつかない不安が、胃の底から、じわりと込み上げてくる。写真越しでしかないのに、その建物の輪郭を、私はもう知っているような気がした。車酔いのせいにして誤魔化せる範囲を、明らかに超えていた。
「……着いたわ」
美咲先輩の声に、車を降りる。目の前に現れた洋館は、蔦に覆われ、あちこちの窓が割れ、長い年月を物語る廃墟だった。夕闇の中に浮かび上がるその輪郭を見た瞬間、息が詰まりそうになる。
――ここ、知ってる。
足を踏み入れた瞬間、そんな確信にも似た感覚が、体の芯を貫いた。玄関ホールの、朽ちかけた階段。天井から垂れ下がる、蜘蛛の巣まみれのシャンデリア。壁紙の剥がれ方、床板の軋み方まで、何もかもが初めて見るはずなのに、体の方が、先にこの場所を覚えている気がした。
「瀬尾くん、大丈夫か? 顔色が悪い」
柊先輩が気遣わしげに声をかけてくる。
「だ、大丈夫です。ちょっと、埃っぽくて」
咄嗟に誤魔化しながら、震える足で先へ進む。美咲先輩と柊先輩は、それぞれ透視とハッキングで、館内の構造と異常の有無を調べ始めた。二人から少し離れ、私は導かれるように、一人で廊下の奥へと足を進めていた。まるで、体がこの先の道順を、すでに知っているかのように。
廊下の奥、崩れかけた壁の隅に、何か小さなものが落ちているのが目に留まった。
屈み込んで拾い上げると、それは、小さな星形の金具の欠片だった。錆びついて、色も剥げているけれど、その形には、はっきりと見覚えがある。結衣が手首につけている、あのキーホルダーと、驚くほどよく似ていた。
――どうして、こんなところに。
心臓が、理由もなく早鐘を打ち始める。頭の奥で、何かが弾けそうになる。雨の匂い。重なり合う、優しい声。冷たい床の感触。それらの断片が、次々と押し寄せてきては、輪郭を結ぶ前に、また霧のように散っていく。
指先が、震えて止まらなかった。欠片を握りしめる手のひらに、じっとりと汗が滲む。
「……ここ、覚えてるわ」
隣を歩いていた鈴香――以前の憑依の記憶の残響なのか、それとも別の何かなのか、私の内側から、微かな声が聞こえた気がした。焦燥にも似た、落ち着かない気配が、確かにそこにあった。声にならない声が、何かを訴えかけようとしている。だが、それが何なのか、私自身にもまだ、うまく掴めなかった。
「瀬尾くん?」
呼びかけられ、はっと我に返る。手の中の欠片を、慌ててポケットにしまい込んだ。
「な、なんでもないです。行きましょう」
震える声で、そう答えるのが精一杯だった。柊先輩は、少し訝しげな顔をしたものの、それ以上は追及せず、先を促した。
館の奥から、冷たい風が吹き抜けてくる。まるで、何かが私たちを、招き入れようとしているかのようだった。
一歩、また一歩と足を進めるたび、忘れていたはずの記憶の輪郭が、じわりじわりと、その姿を現そうとしているのを感じた。結衣が語っていた、あの未解決事件。もしかしたら、その答えは、この館のどこかに眠っているのかもしれない。
そう思うと、恐怖よりも、もっと切実な何かが、胸の奥から込み上げてきた。




