第18話:道具などではない
涼の証言をもとに、名指しされた管理担当職員――名を、桐生といった――への聴取が、その日のうちに行われることになった。
「瀬尾くん、聴取を頼めるか。君の観察眼と対話力なら、桐生の口を割らせられるはずだ」
いつもの、柊先輩の無茶振りだった。今回ばかりは断りたい気持ちもあったけれど、涼の暗い横顔を思い出すと、頷かないという選択肢はなかった。柊先輩自身は上層部との調整に追われ、聴取の場には、私と、見張り役として同席することになった美咲先輩、そして立会人の職員だけが残された。
桐生は、聴取室に入るなり、開き直ったような態度を崩さなかった。恰幅の良い体を椅子に沈め、値踏みするような目でこちらを見る。
「何が問題だと言うんです。能力者の管理には、多少の厳しさが必要だ。彼らは、国家の安全のための、貴重な『資産』なんですから」
その言葉に、隣に座る美咲先輩の眉が、ぴくりと動いた。
――資産。道具。同じことだ。
胸の奥が、静かに熱を持つ。
――早乙女さん、お願いします。
冷静な気配が、すっと差し込んでくる。交渉人・早乙女、憑依完了。
「桐生さん。あなたの言う『資産』としての管理が、具体的にどのようなものだったか、詳しく聞かせてもらえますか」
穏やかな口調で切り出す。桐生は、最初こそ言葉を濁していたが、早乙女の淡々とした追及に、少しずつ綻びを見せ始めた。
「その……訓練の遅れは、規則に則って罰則で正す。それだけのことです」
「規則、ですか。具体的な項目を、教えていただけますか」
「そ、それは……」
言葉に詰まる桐生に、早乙女はさらに一歩踏み込む。
「規則にない、独自の『指導』があったのではないですか。涼くんの手首の傷は、規定の罰則には存在しない類のものでした」
桐生の額に、うっすらと汗が滲む。それでも、まだ虚勢を崩さなかった。
「……仕方ないでしょう。能力者に、感情的な甘やかしは不要だ。彼らは、我々の指示通りに動く『道具』であるべきなんですよ」
「――『道具』」
低く、鋭い声が割って入った。見張り役として黙っているはずだった、美咲先輩だった。本来なら口を挟む立場ではないと、自分でもわかっているはずなのに、堪えきれなかったのだろう。
「桐生さん。その言い方、聞き捨てなりません。能力者は、あなた方の都合で使い捨てていい存在じゃない。私も、念動力の能力者として現場に立つ身です。あなたの言う『道具』の一人として言わせてもらえば――結果さえ出せば人格は無視していい、なんて理屈は、断じて認められません」
美咲先輩の声には、いつもの冷静さの奥に、抑えきれない怒りが滲んでいた。桐生は、思いがけない方向からの追及に、たじろぐように視線を泳がせる。
「な……冴島くんまで、何を……」
苗字で呼ばれるのを、初めて耳にした気がした。いつも「美咲先輩」としか呼んだことがなかったから、他人行儀なその響きに、一瞬だけ奇妙な違和感を覚える。
「あなたの勤務記録、私の方でも精査しました。涼くんへの『指導』の頻度と、あなたの成果評価の推移が、綺麗に相関しています。つまり、彼を追い詰めるほど、あなた自身の評価が上がる仕組みだった。違いますか」
美咲先輩が突きつけた数字に、桐生の顔から完全に血の気が引いた。
「道具、ですか」
早乙女の声のトーンが、わずかに変わった。
「彼は、まだ17歳の少年です。あなたに管理されている間、毎晩、悪夢にうなされていたそうですよ」
「だから何だと言うんです。結果さえ出れば、それでいい」
桐生の物言いに、悪びれる様子は一切なかった。その瞬間、早乙女の声が、初めて震えた。
「――君は、道具などではない」
それは、目の前の桐生にというより、もっと遠い、誰か別の人物に向けられた言葉のように聞こえた。冷静なはずの早乙女の瞳の奥に、一瞬だけ、抑えきれない痛みのようなものが揺れる。
「かつて、私は、ある人を救えなかった。道具として扱われることに、抗う術を持たなかった人を。同じ後悔を、二度と繰り返させるわけにはいかない」
声は静かなのに、部屋の空気を一変させるだけの重みがあった。美咲先輩も、思わずといったふうに、早乙女の横顔を見つめている。
「は……? お前、高校生だろう。過去に人を救えなかった、だと? 一体、何を偉そうに……」
桐生は、動揺を誤魔化すように、鼻で笑おうとした。だが、その声はもう、以前ほどの威圧感を持っていなかった。むしろ、目の前の少女の言葉に含まれる異様な重みに、戸惑っているようにも見えた。
聴取室の空気が、しんと静まり返る。桐生でさえ、束の間、言葉を失っていた。
だが、それだけでは終わらなかった。
――まだよ。証言を、逃げ道のない形で固めないと。
――鈴香さん、続けてください。
早乙女の気配が退くと同時に、また別の意識が、間を置かずにすっと入れ替わる。探偵・鈴香、憑依完了。
「桐生さん。先ほどの発言、記録させていただきますね。『訓練の遅れは罰則で正す、それが規則だ』とおっしゃいましたが、規則第三十二条には、身体的拘束を伴う罰則は明確に禁止されています。つまり、あなたの行為は、規則の範囲内どころか、明確な違反です」
「な、それは……」
「言い訳の余地を潰すため、あと三点。涼くんの通院記録、あなたの勤務ログとの時間的一致、そして先ほどの発言の録音。これで、言い逃れは不可能かと」
一つ、また一つと、逃げ道を的確に塞いでいく。淡々とした声色でありながら、退路を断つ容赦のなさに、桐生の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「な……な、なんなんだ、お前は……!」
椅子を後ろに引きながら、桐生は震える声を上げる。目の前にいるのは、ただの女子高生のはずなのに、そこから放たれる圧に、まるで何か得体の知れないものと対峙しているような怯えが滲んでいた。
聴取は、その後、桐生の管理体制における複数の違反が明らかになる形で終わった。処分は、上層部の判断に委ねられることになる。
鈴香の意識が退き、いつもの反動で、その場にへたり込みそうになる。かろうじて壁に手をついて堪えた。
「……瀬尾茜」
聴取室を出たところで、美咲先輩に呼び止められた。振り返ると、いつもより鋭い視線がこちらを見据えている。心なしか、その視線は一瞬だけ、何かを堪えるように揺れた気がした。
「あなたは、組織の規範を平気で逸脱する。上層部への告発まがいの発言、内部の人間相手にすら容赦しない態度」
美咲先輩はそこで一度言葉を切り、視線を逸らした。
「桐生の言い分に、腹が立ったのは事実よ。あの男の言う『道具』が、私自身のことでもあるのは、痛いほどわかってる。だから、今日あなたが暴いたこと自体は、間違ってないと思ってる」
思いがけない言葉に、私は瞬きをする。美咲先輩が、こんな風に本音めいたことを口にするのは、初めてだった。
「で、でしたら――」
「でも、それとこれとは話が別」
美咲先輩は、言葉を遮るように続けた。その声には、怒りだけでは片付けられない、微かな棘のようなものが混じっていた。
「あなたのやり方は、危うすぎる。上層部を敵に回してでも、危険を顧みずに突っ走る。今日はたまたま上手くいっただけで、いつか、取り返しのつかないことになる」
言葉を切った美咲先輩は、一度だけ深く息を吐いた。それから、思い出したように付け加える。
「それに、さっきの『かつて、ある人を救えなかった』とかいう台詞。あなた、高校生でしょう。柊先輩は感心してたみたいだけど、私にはとても、その場しのぎの言葉には聞こえなかった」
核心を突かれ、心臓が跳ねる。
「あ、あれは、その……何て言うか、演技に熱が入りすぎたというか……」
しどろもどろに誤魔化す私を、美咲先輩はしばらく無言で見つめていた。何かを確かめるような、探るような視線だった。
「……はっきり言うわ。私は、あなたのことを、危険人物だと思ってる。中身がどれだけ正しくても、そのやり方を続ければ、いつかあなた自身が壊れる」
有無を言わせない、はっきりとした言葉だった。反論の余地もないまま、美咲先輩は踵を返し、足早に去っていく。
その背中を見送りながら、私はただ立ち尽くすことしかできなかった。正しいことをしたはずなのに、なぜか、胸の奥がひどく重かった。




