第13話:届かなかった荷物
先日の、政治家がらみの立てこもり事件から数週間後。街は束の間の平穏を取り戻していたが、ASTRA本部は新たな事態に直面していた。
「国家機密のA.I.試作データが、外部のハッカー集団に奪われた。データは単一のサーバーに留まらず、都内の幹線道路を走る特殊運搬車両を、まるでリレーのように渡り歩いている」
コマンドセンターのモニターを前に、柊先輩が険しい顔で状況を説明する。
「移動を止めなければ、手詰まりです!」
美咲先輩が、追跡班の位置情報を示すモニターを叩く。念動力による遠隔操作も、複雑に入り組んだ道路網の前では、決定打に欠けていた。
「相手は、データが特定の位置に留まる時間をわずか5秒に設定している。移動ルートも、我々の分析プロトコルの裏をかくように選ばれている」
柊先輩の声に、珍しく焦りが滲む。額には、うっすらと汗が浮かんでいた。
「柊先輩のハッキングでも、ルートの先読みができないんですか?」
「できるには、できる。だが、計算が終わる頃には、車両はもう次のポイントへ移動している。従来のやり方じゃ、後手に回るだけだ」
「瀬尾くん、頼めるか。この状況を突破できるのは、常識に囚われない発想しかない」
「わ、私、車の運転なんてできないですよ……!」
「運転じゃない。追跡だ」
そう言われても、途方に暮れるしかない。渋滞の中を縫うように移動する車両を、一体どうやって追えというのだろう。
――どうしよう……。こんな複雑な道、普通に追いかけても絶対追いつけない……!
窓の外を流れる渋滞の列を見つめながら、必死に考える。力でも、知識でも、推理でもない。今この瞬間に必要なのは――どんな障害物も置き去りにする、圧倒的な機動力。
――こういう時こそ、ジョーさんの力を……! お願いします!
軽やかな高揚感が、全身を駆け抜ける。
「まっかせてくれよ! こういう時のために、この足があるんだからな!」
明るく弾んだ、快活な男の声が、私の口から飛び出した。メッセンジャー・ジョー、憑依完了。
「な、また……」
美咲先輩が、もはや驚きよりも呆れに近い表情で呟く。柊先輩は無言のまま、モニターに視線を戻していた。
近くに停めてあった配送用の自転車に飛び乗ると、私は渋滞の隙間を縫うように走り出す。歩道と車道の境目、階段、狭い路地――障害物という概念が、まるで最初から存在しないかのような動きだった。すれ違う通行人が驚いて振り返るのもお構いなしに、荷台の間をすり抜けていく。
「一号車、右折してビル街へ進入!」
インカム越しの美咲先輩の声に応じ、細い路地を斜めに突っ切る。壁すれすれのラインを、まるで計算し尽くされたように駆け抜けた。
「信じられない……歩道橋の階段を、自転車で降りてる……」
美咲先輩の呟きが、インカム越しに漏れ聞こえてくる。呆れているのか、感心しているのか、声だけでは判断がつかなかった。
「メインストリートは渋滞で完全に詰まってる。だが、公園を突っ切れば、次の交差点で追いつける」
私は地図データを頭の中で組み立て直しながら、公園の入口へ自転車を切り込ませた。芝生の上を斜めに突っ切り、驚いて避ける鳩の群れを蹴散らすように駆け抜ける。出口の階段は、減速せずそのまま飛び降りた。着地の衝撃を膝で殺し、勢いを殺さないまま車道へ躍り出る。
前方の交差点、信号待ちの車列の隙間から、目当ての運搬車両が見えた。予想通りの位置だ。
「捉えた!」
一気に加速し、車列の脇をすり抜ける。荷台の下部に手をかけ、勢いのまま足場に飛び乗った。走行中の車体の揺れに逆らいながら、荷台の縁を這うようによじ登っていく。
「柊、聞こえるか。荷台に取りついた。これより回収に入る」
自分の声とは思えない、快活な男の口調が滑らかに響く。荷台の隙間から、小さな鞄のようなものが視界の端をよぎった。
――あれは……。
見覚えのない鞄のはずなのに、なぜか胸の奥がぎゅっと締め付けられる。誰かに、何かを届けようとして、届けられなかった記憶の断片。それが誰のものかもわからないまま、一瞬だけ、視界が滲んだ。
集中がわずかに乱れる。次の瞬間、指先が滑り、体が大きく傾いだ。
「危ない!」
美咲先輩の叫びが、インカム越しに響く。振り落とされまいと、とっさに荷台の手すりを摑んで踏みとどまった。心臓が縮み上がる。
「くっ、まだだ!」
体勢を立て直しながら、荷台の奥、データドライブの入ったケースへ手を伸ばす。
「捕まえた……!」
指先が、ケースに触れる。摑んだ瞬間、片手で手すりにしがみついたまま、身を低くして揺れをやり過ごした。
「柊、回収完了だ。あとは頼む」
そう告げるのと同時に、緊急停止の指示が届いたのか、運搬車両は大きく減速し、路肩に止まった。ほぼ同時に、後方から追走してきたASTRAの実働部隊の車両が、運搬車両を取り囲む。
「運転手を確保! 車内に共犯者一名、拘束します!」
無線越しに、部隊の声が響く。安全を確認してから、ケースを抱えたまま荷台を飛び降りる。着地の衝撃に、膝がわずかに笑った。
「瀬尾くん! 無事か!」
柊先輩の声が、インカム越しに響く。
「だ、大丈夫、です……多分」
擦り傷だらけの体を起こしながら、ケースを胸に抱きしめる。ジョーの意識が、静かに退いていくのを感じた。
「回収完了だ。……瀬尾くん、また君は、予測不能な行動原理で、成功への最短ルートを見つけ出した」
柊先輩の声には、いつもの興奮が滲んでいる。だが今回ばかりは、素直に喜べなかった。あの一瞬の乱れが、なぜ起きたのか、自分でもよくわからないままだったから。
――今の、何だったんだろう。あの鞄、見たこともないはずなのに。
擦り傷の痛みよりも、その正体不明の胸の痛みの方が、いつまでも消えずに残っていた。特殊車両が迎えに来るのを待つ間、私はケースを抱きしめたまま、ただぼんやりと夜の街を眺めていた。




