第11話:偽りの舞台、本当の恐怖
「よし、内部に亀裂が入った」
インカム越しの柊先輩の声が、引き締まる。
「美咲は?」
「妹さんの移送は、もう完了している。今はこちらに戻る途中だ」
淡々とした報告に、少しだけ安堵する。行き当たりばったりではない、きちんと組み立てられた作戦。それがこの人たちの本来のやり方なのだと、改めて思い知らされる。
「瀬尾くん、君はこのまま単独で最上階へ。黒幕が汚職の証拠を隠滅する前に、押さえてくれ。応援が到着するまで、少しの間、持ちこたえてくれ」
「了解しました……」
早乙女の意識はすでに退いていて、震える声で返事をするのがやっとだった。応援は期待できない。証拠隠滅までの猶予も、恐らくそう長くはない。誰の助けもないまま、一人で最上階を目指す。
――怖い。でも、今この証拠を取り逃したら、全部が無駄になる。柊先輩たちが積み上げてきたものも、あの男の妹の未来も。
サーバールームの奥、鍵のかかったキャビネットの中に、汚職の全容を記した書類とデータドライブを見つけた。震える手で端末に接続し、データを転送し始める。あと少し。
「――随分と、熱心に漁ってくれているようだね」
低い声に、心臓が止まりそうになった。振り返ると、黒幕が静かにドアの前に立っていた。人の良さそうな笑みの奥に、隠しきれない酷薄さが滲んでいる。
「な、なんでもございませんわ。掃除の者ですの」
とっさに、エリカの口調が滑り出る。だが完全な憑依には至らず、声は震えたままだった。膝も、指先も、まるで言うことを聞かない。
「掃除、ね。随分と機密性の高い掃除道具をお持ちだ」
黒幕は、値踏みするように私を眺めながら、ゆっくりと部屋の奥へ足を進める。転送の進捗を示すバーは、まだ半分にも届いていなかった。
「その手を止めてもらおうか。……いや、止まらなくても構わない。どうせ、ここから出ることはできないのだから」
黒幕は、手元のコントローラーを軽く鳴らす。廊下の奥から、複数の足音が迫ってきた。
「誰か! 応答して……!」
インカムに向かって叫ぶ。転送はまだ、あと三十秒はかかる。
「美咲! 瀬尾くんが見つかった! 位置は最上階、東のサーバールーム!」
柊先輩の声が、無線越しに響く。応答したのは、まだ息を切らした美咲先輩の声だった。
「ちょうど戻る途中よ。……向かうわ」
「いや、待て、美咲。応援が到着するまで――」
「聞こえなかった? 向かうと言ったの」
有無を言わせない即答だった。後先を考えない、まっすぐな声。
黒幕の部下たちが部屋になだれ込んでくる。転送はまだ終わらない。
「これは、諦めてもらおうか」
黒幕が一歩踏み出したその時、壁が轟音とともに突き破られた。
「――離れて!」
美咲先輩が、瓦礫の隙間から飛び込んでくる。念動力で部下の一人を吹き飛ばし、私の前に立ちはだかった。
「美咲先輩……!」
「瀬尾茜、見つかるくらいなら、最初からもっとうまくやりなさいよ、まったく!」
いつもの「瀬尾隊員」ではない呼び方に、一瞬だけ違和感を覚える。でも、それを気にする余裕は、お互いになかった。
悪態をつきながらも、美咲先輩は私を庇うように背中を向けたまま、次々と迫る部下たちを念動力で薙ぎ払っていく。
――怒ってるはずなのに、なんで、こんなに必死に助けてくれるんだろう。
「転送、あと少しです!」
「なら、時間を稼ぐわよ! ――あなたも、いつまでボーッとしてるの! 出番でしょう!」
叱咤するような声に押されて、私は最後の力を振り絞る。
――こういう時こそ、権藤さんの力を……! お願いします!
荒々しい闘気が、体の奥から湧き上がる。格闘家・権藤、憑依完了。
「――上等だ」
低く笑うと同時に、地を蹴って部下の一人へ肉薄する。美咲先輩の念動力が周囲の視界を奪い、その隙を権藤の拳が正確に突く。二人の連携は、初めてとは思えないほど、噛み合っていた。
「そっちに二人!」
「わかってる!」
美咲先輩が瓦礫を投げつけて足止めし、権藤がその隙に間合いを詰めて沈める。互いの得意な間合いを、言葉少なに補い合う。まるで、何度も一緒に組んだことがあるかのような呼吸だった。
「あんた、口ほどにはやるじゃない!」
「そっちこそ、援護は正確だな」
軽口を叩き合う余裕まで生まれていた。最後の一人が崩れ落ちると、部屋には束の間の静寂が戻る。
「転送完了しました!」
叫んだ瞬間、黒幕の顔から余裕が消えた。
「証拠はもう、こちらの手にあります。往生際が悪いですよ」
柊先輩の冷静な声が、館内放送に割り込む。
「な……!」
黒幕が後ずさったその時、廊下の奥から重い足音とともに、ASTRAの特殊部隊が雪崩れ込んできた。
「動くな! 全員、その場を動くな!」
黒幕とその部下たちは、あっという間に取り押さえられ、次々と拘束されていく。ここから先は、私たちの仕事ではなかった。
権藤の意識が、すっと抜けていく。膝から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになったところを、美咲先輩がとっさに支えてくれた。
「あ……ありがとう、ございます……」
「べ、別に。証拠を守るついでよ。あなたが下手を打ったせいで、こっちまで巻き込まれただけ」
美咲先輩はそっぽを向きながら、それでも私の体を支える腕を離さなかった。その声は、いつもの刺々しさとは少しだけ違って聞こえた。
「でも……本当に、助けに来てくれるとは思わなかったです」
「勘違いしないで。応援が来るまで待ってたら、証拠ごとあんたが吹き飛ばされてたでしょう。それだと、こっちの作戦が台無しになるだけ」
理屈としては筋が通っている。でも、あの瓦礫を突き破ってきた勢いは、とても「作戦上の判断」だけでは説明がつかない気がした。
「……ありがとう、ございます」
もう一度呟くと、美咲先輩は何も言わずに、ただ小さく舌打ちをした。拘束されていく黒幕たちを横目に、私たちはしばらく、その場に並んで座り込んだままでいた。




