【ラゼルムの逃亡】
窓から差し込む朝日に、アリアは目を覚ました。
寝台の上で身を起こし、まだ眠気の残る頭で室内を見渡す。昨日は広さに落ち着かなかった部屋も、一晩過ごしたことで少し馴染んだ気がした。
掛け布を脇へ寄せ、足を床へ下ろしたところで、扉が控えめに叩かれる。
「アリア様、お目覚めでしょうか」
「うん。入っていいよ」
メルヴァリスが戸を開け、一礼した。
「王都から使者がいらしています。お会いになりたいとのことです」
「こんな朝早くに?」
「はい。応接室へお通ししました」
帰ってきたばかりの自分に、何の用だろう。
アリアは立ち上がった。
「分かった。着替えたら行くね」
白いシャツとスカートを身につけ、髪を整える。廊下で待っていたメルの案内で応接室へ向かうと、一人の男が椅子から腰を上げた。
「朝早くから失礼いたします。急ぎお伝えすべきことがあり、参りました」
「どうぞ。何があったんですか?」
向かいの席に座ったアリアへ、使者は硬い声で告げた。
「ラゼルムが王都から逃亡しました」
「……ラゼルムが?」
「はい。その件で、王城にお越しいただきたいのです。詳しい事情は、到着後にご説明いたします。私は、速やかにお迎えするよう命じられております」
尋ねたいことはあったが、ここで聞ける話は限られているらしい。
アリアは立ち上がり男を見る。
「分かりました。支度をするので、少し待っていてください」
「ありがとうございます。お乗りいただく馬車は、城の前に用意しております」
面会を終えて部屋を出ると、ルミシェナとロゼリアが待っていた。
「主様、王都へ行かれるのですね」
「うん。ラゼルムが逃げたんだって。詳しくは向こうで聞くことになったの」
事情を伝えると、メルヴァリスが進み出た。
「私たちも同行いたします」
「ご主人様、荷物は私が運びます」
ロゼリアの申し出に、アリアは小さくうなずいた。
「ありがとう。みんな、お願いね」
自室に戻り、旅に必要な荷物をまとめる。小さくした斧も確かめてから、荷袋を手に取った。
せっかく帰ってこられたのに、ゆっくり過ごせたのは一晩だけだった。
それでも、知らせを受けたまま村に留まる気にはなれない。
玄関へ下りる頃には、三人も出発の用意を整えていた。ロゼリアに荷袋を預け、外へ出る。
城の前には王都から来た馬車が停まり、御者が手綱を握っている。使者に同行者のことを伝え、四人は順に乗り込んだ。
扉が閉まり、座席に振動が伝わる。
窓の外をゼロフェル城がゆっくりと離れていった。朝の仕事に出ていた村人たちへ手を振ると、気づいた何人かが振り返してくれる。
アリアはその姿を見送り、座席に腰を落ち着けた。
車輪は整えられた道を進み、アリアシェルを抜けていく。
四人を乗せた馬車は、王都へ向けて走り続けた。
遠くにそびえる城壁が、車窓いっぱいに広がった。
王都レグナリア。
アリアは座席から少し身を乗り出した。街道を行き交う旅人の列を抜け、馬車は門前で速度を落とす。
使者が王家の迎えであることを告げると、兵士たちは脇へ退いた。
石畳に入ると、車輪の音が硬く響いた。通りには露店が並び、買い物客の呼び声が窓越しに届いた。
けれど、その賑わいを眺める余裕はなかった。
ラゼルムは、どうやって逃げたのだろう。
王城で説明を受けるまでは、詳しいことは分からない。
隣に座るメルヴァリスが、アリアの顔を見た。
「アリア様、お疲れではありませんか」
「大丈夫。早く話を聞きたいだけ」
向かいのルミシェナとロゼリアもアリアを気にかけた様子で見つめ、到着を待っていた。
宿へ寄ることなく、一行は城へ向かった。
高い柵の奥で門扉が開かれ、整えられた前庭を進む。玄関に待機していた従者が、停車に合わせて近づいてきた。
地面へ降りたアリアは、長く座っていた脚を伸ばしてから石段を上がった。
「陛下がお待ちです。こちらへどうぞ」
案内に従い、四人は廊下を歩いた。靴音が磨かれた床に響く。
奥の一室で従者が来訪を告げると、中から入室を促す声が返った。
開かれた扉の先には、大きな卓と数脚の椅子が置かれていた。国王エルヴァルドは、その一角に腰を下ろしている。
アリアたちは揃って頭を下げた。
「急な呼び出しによく応じてくれた。まずは座ってくれ」
「失礼します」
勧められた席に着くと、案内役が退出した。
国王はアリアへ向き直った。
「色々大変だったようだな。休む間も与えず、すまなかった」
「いえ。ラゼルムのことが気になっていたので」
挨拶を重ねるより、事情を知りたかった。
「逃亡したと聞きました。何があったんですか?」
エルヴァルドは卓上の報告書へ手を置いた。
「看守たちの報告では、冒険者風の二人組がラゼルムを連れ出したらしい。その後、門の警備兵から目撃の報告が上がった。騎士たちが追って呼び止めたものの、三人は応じず、そのまま逃げたという」
「……今も、見つかっていないんですね」
「周辺の街道にも捜索を広げている。だが、その後の足取りはつかめておらん」
メルヴァリスたちは口を挟まず、説明を聞いていた。
「逃げる前に、何か変わったことはありませんでしたか?」
国王は短く息をついた。
「そこはまだ調べている。手を貸した二人が何者なのかも、今の段階では分かっておらん」
二人組の手引きで連れ出されたことは分かったが、逃亡の詳しい手口や行き先は不明のままだった。




