【手加減の代償】
森の中には、まだ戦いの余韻が残っていた。
アリアは斧を握ったまま、正面に立つルミシェナから意識を外さない。
対する彼女は、その場から動こうとはしなかった。
青と黒の光衣が周囲に広がり、緩やかに揺れている。
「……どうしてですか?」
静かな声だった。
けれど、それまでとは明らかに響きが違う。
「何が?」
「あなたの戦い方です」
ルミシェナの声音に、不快感が混じった。
「先ほどから見ていましたが、まだ力を残していますね」
アリアは返事をしなかった。
魔力閃射も使える。
〈数字変換〉でも、さらに攻撃力を引き上げられる。
それでも全力を出さないのは、目の前の相手を傷つけることに抵抗があるからだった。
だが、その沈黙がルミシェナには気に入らなかったらしい。
「私では、本気になる必要もないということですか?」
「そういう意味じゃ……」
言い終えるより早く、アリアの身体が突然動かなくなった。
「……え?」
何が起きたのかも分からないまま、腕、胴、脚には青黒い光が巻き付き、全身を強く拘束していた。
その拍子に、握っていた斧が手から落ちた。
アリアは力を込めて引き剥がそうとする。
しかし、びくともしない。
わずかに腕を動かすことはできても、足を運べるほどの自由は残されていなかった。
〈光衣の縛り〉。
ルミシェナのまとう衣の一部を相手へ直接作用させ、動きを封じる力だった。
「そこで待っていてください」
ルミシェナはアリアを拘束したまま、何事もなかったように背を向けた。
「待って。どこに行くつもり?」
ルミシェナはアリアへ顔を向ける。
「街です」
「……街?」
「ええ」
表情は穏やかなままだった。
「あなたは、私を傷つけたくないのでしょう?」
図星を突かれ、アリアは言葉に詰まる。
「でしたら、街を滅ぼします」
「……は?」
一瞬、意味を理解できなかった。
だが、冗談ではないことだけは伝わってくる。
「何言ってるの!」
「そうすれば、今度は本気で私を止めてくださいますよね?」
そこでようやく、アリアにも彼女の狙いが分かった。
自分を怒らせるためだ。
戦う理由を無理やり作り、手加減できなくするつもりなのだ。
「そんな理由で街を巻き込むつもり!?」
「あなたが追いつけば、何も起こりません」
それだけ告げると、ルミシェナは北へ歩き出した。
「待ちなさい!」
アリアは強引に足を踏み出そうとする。
絡みついた輝きが全身を押さえ込み、わずかに身体が動くだけで前へ進めない。
力任せに引き千切ろうとしても、すぐに壊せるほど脆いものではなかった。
その間にも、ルミシェナの姿は森の奥へ消えていく。
「……どうして、こんなことするのよ」
迷いを抱えたままでも、ルミシェナを止めなければならない。
アリアは何度も拘束へ抗った。
腕を広げようとしても、青黒い輝きは強く締まり、ほとんど動かせない。
脚を無理やり前へ出そうとする。
それでも足先がずれるだけで、そこから先へは進めなかった。
「くっ……!」
このままではルミシェナに追いつけない。
アリアは〈数字変換〉を使い、自分の筋力を大きく引き上げた。
全身へ増した力を乗せ、一気に拘束を押し広げようとする。
青黒い光が軋むように揺れた。
だが、それだけだった。
「これでも……駄目なの?」
強化した筋力をもってしても、拘束を破るには至らなかった。
やがて森は完全な闇に包まれた。
周囲から聞こえるのは、夜の虫や葉の擦れる音ばかりになる。
それでもアリアは諦めなかった。
休んでは〈数字変換〉で高めた力を使い、角度を変えながら何度も拘束へ力をかける。
繰り返すうちに、最初より拘束を押し広げられるようになっていた。
それでも抜け出すには至らないまま、夜は深まっていった。
いつしか、時間の感覚さえ曖昧になっていた。
ルミシェナが今どこにいるのか。
もう街へ着いてしまったのか。
考えるほど焦りが増していく。
空が少しずつ白み始めた頃には、アリアの身体にも疲労が溜まっていた。
「まだ……駄目なの……」
もう一度、腕へ力を込める。
しかし今度は抵抗が返ってこなかった。
「……え?」
全身を押さえていた青黒い光が、何の前触れもなく消えている。
ほどけたわけでも、アリアが破ったわけでもない。
アリアはよろめきながら足を踏み出し、自由になった腕を動かす。
足元に落ちていた斧を拾い上げた。
「なんで……急に?」
だが、立ち止まっている場合ではなかった。




