【もう一人のルミシェナ】
「〈災厄〉……?」
聞き慣れない呼び名に、アリアはそれ以上の言葉を続けられなかった。
〈災厄〉の魔女のこと。
昨日までいた住民たちが消えたこと。
目の前にいるルミシェナと、自分の知る彼女との関係。
どれも答えが見つからないままだ。
ここにいても、今ある情報だけでは何も確かめられそうになかった。
「分からないことばかりね」
アリアは荒れた集落を眺めながら、これからどうするべきか考える。
そのとき、助けてくれた女性との会話が頭に浮かんだ。
「そういえば、北に街があるって聞いたんだけど……」
「街ですか?」
「うん。ここにいた女の人が教えてくれたの。とりあえず、そこまで行ってみようと思う」
街へ着けば、ラトナ村や〈災厄〉の魔女について何か知っている者がいるかもしれない。
ルミシェナはわずかに間を置いてから答えた。
「でしたら、私もご一緒します」
「いいの?」
「ええ。あなたには、どこか不思議なものを感じますから」
「不思議な感じ?」
「ええ。何とは言えませんが、あなたのことが少し気になるんです」
「そ、そうなんだ……」
アリアは戸惑ったものの、それ以上は聞かなかった。
二人は廃墟となったラトナ村を離れ、北にあるという街を目指して歩き始めた。
村の周囲に広がっていた草地を抜けると、緩やかな坂が増え、遠くには森が連なっている。
人の往来はほとんどないらしく、道には雑草が伸びていた。
しばらく進んだところで、アリアは隣を歩くルミシェナへ顔を向ける。
「北の街って、どのくらいかかるか分かる?」
「今日中に着くのは難しいと思います。何日かは歩くことになるでしょうね」
「そんなに遠いんだ……」
「ええ。途中で休めそうな場所を探したほうがよさそうです」
アリアは少し考えながら、自分の荷物へ目を向けた。
食料や野宿に使える道具はほとんどない。途中で水や食べられるものも探す必要がありそうだった。
「とりあえず、行けるところまで行こうかな」
「そうですね。暗くなる前に休める場所も見つけておきましょう」
二人はそのまま北を目指した。
昼を過ぎる頃には周囲の木々が増え、道は森の中へ入っていく。
頭上には枝葉が重なり、ところどころ木漏れ日が地面へ落ちていた。
足元には枯れ葉や細い枝が積もり、歩くたびに乾いた音が響く。
さらに奥へ進んでいると、前方から何かを踏み潰すような重い音が聞こえた。
「何かいるね」
「ええ。かなり大きそうです」
茂みを押し分けながら現れたのは、巨大な熊に似た魔獣だった。
立ち上がれば人間の倍近い高さがあり、太い四肢には黒褐色の毛が密集している。
肩から背中にかけて硬い岩のような甲殻が張り付き、前脚には鋭く長い爪が伸びていた。
一頭だけではない。
少し遅れて左右から二頭が姿を見せる。
「三頭か……」
アリアは斧を取り出し、柄を握った。
「私も戦います」
ルミシェナの身体を覆う青黄模様の光衣が大きく揺れる。
「分かった。無理はしないでね」
「それはこちらの台詞です」
一頭の魔獣が地面を蹴り、アリアへ突進した。
巨体に似合わない速さで距離を詰め、太い前脚を振り上げる。
アリアは振り下ろされる爪を横へかわし、踏み込んだ。
斧を両手で振り抜く。
刃が首元へ深く食い込み、その勢いのまま振り切られた。
魔獣の巨体が地面へ倒れる。
ほとんど間を置かず、二頭目が迫ってきた。
アリアは斧を片手へ持ち替え、魔紋を発動する。
魔獣が真正面から突っ込んできた。
アリアは空いた手を向ける。
放たれた黒い重力波が魔獣を捉え、その動きを一気に鈍らせた。
踏み出しかけた前脚が地面へ沈み、巨体がその場へ縫い止められる。
アリアは魔紋を切り替え、魔力閃射へ攻撃力を割り振ると、身動きの取れない魔獣へ掌を向けて放った。
放たれた魔力が直撃し、その全身を覆い尽くす。
凄まじい衝撃とともに魔獣の身体は跡形もなく吹き飛び、後方の木々まで大きく揺れた。
一方、残る一頭はルミシェナへ襲いかかっていた。
青黄模様の光衣が幾重にも重なり、太い帯のように束ねられる。
ルミシェナが腕を振るう動きに合わせ、それが魔獣の顔面へ打ち込まれた。
鈍い音が響く。
しかし、魔獣は倒れない。
わずかに頭を振っただけで、そのまま前脚を薙ぎ払った。
ルミシェナは光衣を身体の前へ広げる。
爪がぶつかり、強い衝撃に押されて数歩後ろへ下がった。
「思ったより硬いですね……」
再び光衣を束ね、横腹へ叩き込む。
魔獣の身体が揺れたが、踏みとどまって低く吠え、突進してきた。
ルミシェナは正面へ光衣を広げて受け止め、脇からまとめた一部を下から振り上げる。
打撃を受けた頭が勢いよく跳ね上がった。
アリアは少し離れた場所から戦いを見ていた。
目の前のルミシェナは積極的に攻撃を仕掛けているものの、一撃では魔獣を仕留め切れず、何度も打撃を重ねている。
ルミシェナが光衣を大きく持ち上げた。
束ねられた部分が頭上から振り下ろされる。
魔獣の背中へ直撃した。
魔獣の体勢が崩れる。
そこへ間を空けず、光衣の一部を横から叩き込んだ。
顔面を打たれた魔獣が倒れかける。
ルミシェナは最後に光衣をさらに太くまとめ、その頭部へ強く振り下ろした。
何度も打撃を受け続けた魔獣は、ようやく地面へ倒れた。
しばらく待っても起き上がる様子はない。
「……終わりましたね」
ルミシェナは光衣を元の状態へ戻した。
三頭との戦いが終わり、森には再び静けさが戻った。
アリアは斧を下ろし、周囲に新たな気配がないことを確かめる。
ルミシェナもこちらへ歩いてきたが、途中で地面に残る戦いの跡へ視線を向けた。
一頭は首を斬られ、もう一頭に至っては姿すら残っていない。
「……ずいぶんお強いんですね」
驚きを隠しきれない様子で、ルミシェナがアリアを見る。
「そうかな?」
「私が一頭を倒している間に、二頭も片づけてしまったじゃないですか。それも、ほとんど苦戦せずに」
「相性がよかっただけかも」
アリアはそう返しながら、先ほどの戦いを思い返した。
気になったのは、自分のことよりもルミシェナの戦い方だった。
青黄模様の光衣を束ねて叩きつけ、広げれば相手の攻撃を防ぐ。
その扱い方は、城館にいるルミシェナとよく似ている。
見慣れた姿と重なるところは多かった。
ただ、まったく同じではない。
自分の知る彼女なら、防御を軸にしながら相手の動きを抑え、仲間が動きやすい状況を作ることが多い。
それに対して、目の前にいるルミシェナは自ら前へ出て、何度も打撃を仕掛けていた。
守るための力より、倒すための使い方を選んでいるように見える。
同じ力を扱っていても、戦い方はずいぶん違う。
アリアはその違いに引っかかるものを感じながらも、何も口にはしなかった。




