【二つの新たな力】
ネブラギオスの胴体に開いた巨大な口の奥で、紫色の輝きが急速に収束し、周囲をまばゆく照らした。
凝縮された魔力が光線となって撃ち出された。
一直線に突き進む魔力の奔流が地面を削りながら迫り、周囲の落ち葉や土を激しく巻き上げた。
もう避けられない。
アリアは反射的に斧の硬度を高め、両手で握った柄を振り上げた。
目前へ迫った紫光を見据え、その中心へ刃を叩きつける。
刃が魔力の奔流へ食い込み、正面からせめぎ合った瞬間、均衡が崩れ、圧縮されていた魔力が一斉に弾け飛んだ。
森を揺るがす爆音が響き、黒紫の閃光が周囲をのみ込んだ。
アリアは斧ごと吹き飛ばされ、背中から大岩へ激突した。そのまま地面へ崩れ落ち、口から血がこぼれる。
胸の奥には鈍い痛みが残り、手足にもわずかなしびれがあった。
爆発の衝撃が抜けきらず、視界がかすかに揺れていた。
ぼやけて見えるネブラギオスを見据え、アリアは斧へ手を伸ばす。
そのとき、頭の奥に無機質な声が響いた。
《〈数字変換〉の熟練度が一定値に達しました》
《新たなスキルが解放されます》
《〈数式変換〉を習得しました》
無機質な声が途切れると同時に、アリアの意識へ膨大な情報が流れ込んだ。
一つの能力値を、ただ増減させるのではない。
新たな演算を加えることで、自分や味方の力を何倍にも高め、敵の能力を大きく削る。
〈数字変換〉から生まれた新たな力が、アリアの中ではっきりと形を成していく。
だが、その直後、さらなる異変がアリアの意識を引き戻した。
首に刻まれた黒い紋様が、脈打つように明滅した。
ネルガディスによって刻まれた〈黒魂蝕〉。
「なに……これ……」
〈黒魂蝕〉の輝きが急激に強まり、首元が黒い光に染まった。
離れた場所に立つネブラギオスは動きを止め、警戒するようにアリアを見据える。
ネブラギオスの身体からあふれ出した黒紫の波動が、黒い紋様と同じ間隔で強弱を繰り返す。
二つの波が完全に重なった瞬間、空気が大きく震えた。
ネブラギオスの輪郭が揺らぎ、その身体が末端から細かな光の粒へ変わっていった。
触手も、頭部も、胴体さえも無数の粒子へほどけ、黒い流れとなってアリアへ吸い寄せられていく。
ネブラギオスの姿が完全に消えると、粒子は首元の〈黒魂蝕〉へ流れ込んでいった。
黒い紋様がひときわ強く輝いたあと、何事もなかったかのように静まった。
《〈黒魂蝕〉とネブラギオスの魂波長が一致しました》
《対象の魔力構造を吸収しました》
《特殊因子の解析を開始します》
《解析完了》
《新たなスキル〈魔星紋〉を習得しました》
《魔紋ネブラギオスを獲得しました》
やがて、森に静けさが戻った。
アリアは荒い呼吸を繰り返しながら、地面へ手をつく。
身体の痛みは残っていたが、手足のしびれは少しずつ薄れていた。
傍らに転がっていた斧を引き寄せ、柄を支えにして立ち上がる。
ネブラギオスがいた場所には、何も残されていなかった。
「〈黒魂蝕〉が、ネブラギオスを吸収したの……?」
首元へ触れると、静まっていた紋様からかすかな熱が伝わってきた。
アリアは息を整え、意識を集中させる。
魔紋ネブラギオスを発動すると、黒い紋様に紫の光が走り、体内の魔力がわずかに削られた。
直後、左手の先に黒紫の触手が現れた。
アリアが腕を横へ振ると、触手が勢いよく伸び、近くの木へ叩きつけられた。
幹が大きく揺れ、表面が砕けて木片が飛び散る。
「私の思い通りに動く……」
手首を返すと、先端も遅れることなく軌道を変えた。
何度か動きを確かめたあと、触手を消し、魔紋ネブラギオスも解除した。
続いて〈数式変換〉へ意識を向け、自らの筋力を二倍に引き上げた。
試しに近くの岩へ刃を振り下ろすと、硬い表面へ深い亀裂が走った。
「すごい……数字変換より、ずっと魔力の消費が少ない」
消費した魔力を確かめ、アリアは効果を解除する。
扱い方さえ掴めば、どちらも強力な能力だ。
しばらく身体を休めたのち、アリアは周囲へ目を向けた。
ネブラギオスは依頼書に記されていた魔物ではない。
本来の討伐対象は、まだ森のどこかにいる。
折れた枝や踏み荒らされた草を調べながら、奥へ進んでいく。
やがて地面に残る大きな足跡を見つけた。
跡は木々の間を抜け、森の奥へ続いていた。
茂みを避けて歩いていくと、四足の巨体が姿を現した。
口元からは湾曲した二本の牙が突き出し、全身は赤い毛皮に覆われている。
アリアが鑑定を働かせた。
依頼書に記載されていたラノメルドで間違いなかった。
魔物もこちらの存在に気づき、低い唸り声を漏らす。
地面を蹄で激しく蹴り、土煙を巻き上げながら猛烈な勢いで突進してきた。
アリアは斧を構え、意識を首元へ向ける。
魔紋ネブラギオスを発動すると、首元の黒紋が紫色の輝きを帯びた。
空いた左手から一本の触手を展開し、その攻撃力に〈数字変換〉をかける。迫るラノメルドの頭部へ狙いを定め、勢いよく振り抜いた。
重い衝突音とともにラノメルドの顔が横へ弾かれ、突進の方向がわずかにずれた。
アリアはその脇を抜け、すれ違いざまに斧を胴へ叩き込む。
刃は剛毛を断ったものの、その下にある厚い皮膚で止められた。
ラノメルドはすぐに向きを変えると、牙を突き出して再び突進してきた。
アリアは迫る牙を引きつけ、ぶつかる寸前で横へ跳んだ。
ラノメルドの巨体がすぐそばを通り過ぎ、勢いを止めきれないまま地面を踏み荒らした。
着地したアリアは斧を握り直し、〈数式変換〉で自身の筋力を五倍に引き上げた。
ラノメルドが振り返るより早く間合いへ踏み込み、全身をひねりながら斧を横薙ぎに振り抜く。
刃が厚い皮膚を深く切り裂き、四足の巨体を地面から浮かせた。
ラノメルドは血を散らしながら横へ吹き飛び、数本の木をへし折って倒れ込む。
それでも、まだ息は途切れていなかった。
苦しげな声を漏らし、折れた枝を押しのけながら起き上がろうとする。
アリアは片手で斧を下げ、空いた手を倒れたラノメルドへ向けた。
アリアが空いた手を向けると、黒紫の魔力が手先へ急速に収束していく。
「これで終わり」
凝縮された魔力が〈魔力閃射〉となって解き放たれた。
黒紫の奔流がラノメルドを正面からのみ込み、周囲の草木ごと激しく吹き飛ばした。
轟音が森を駆け抜け、巻き上がった土煙が辺りを覆った。
やがて視界が晴れると、ラノメルドは焼け焦げた地面の中央で動かなくなっていた。
討伐対象が息絶えたことを確かめ、アリアは静かに斧を下ろした。




