【まだ見えない答え】
手合わせを終えたあと、アリアたちはしばらくその場で身体を休めていた。
やがて、アリアが皆の様子を見回す。
「そろそろ戻ろうか。いつまでもここで休んでるわけにもいかないし」
その言葉を受け、先に立ち上がったメルヴァリスが、アリアのそばまで歩み寄って手を差し出す。
「アリア様、お立ちになれますか?」
「うん。ありがとう、メル」
アリアがその手を借りて立ち上がると、ロゼリアとルミシェナも続いて身体を起こした。
全身に重い疲れは残っているが、目立った傷はない。アリネエラが最後まで加減していたことは明らかだった。
四人が落ち着いたのを見届け、アリネエラが声をかける。
「ところで、ひとつ頼みがあるのだけれど」
「何ですか?」
「思っていたより遅くなってしまったわ。今夜だけ、村の近くに泊まらせてもらえないかしら」
アリアは少し考え、家々が並ぶ方角を振り返った。
一行全員を泊められる空き家はない。しかし、外れには天幕を張れそうな場所が残っている。そこなら住民の暮らしを邪魔することもなかった。
「村の外でもよければ、大丈夫です。使えそうな場所があるので、案内します」
「助かるわ」
アリアたちは帰り道を進み、南側に広がる草地へ向かった。
森から十分に離れており、足元にも大きな起伏はない。村からも近く、一晩を過ごすには困らない場所だった。
アリネエラは周囲をひと通り確認する。
「ここなら問題なさそうね。使わせてもらうわ」
同行者たちは荷物を下ろすと、慣れた動きで天幕の設営に取りかかった。
アリアたちも準備を手伝い、宿営の支度がひと通り整ったところで、城館へ引き上げることにした。
四人が草地を離れようとしたとき、アリネエラが呼び止める。
「悪いけれど、三人にはもう少し残ってもらえるかしら。少し手伝ってほしいことがあるの」
アリアは足を止め、メルヴァリスたちと顔を見合わせた。
「まだ何かあるんですか?」
「ええ。危険なことを頼むわけではないから、心配はいらないわ」
アリアが迷っていると、メルヴァリスが穏やかに声をかける。
「アリア様は先にお戻りください。こちらは私たちで済ませてまいります」
「でも、メルたちも疲れてるでしょう?」
「この程度でしたら問題ありません。終わり次第、すぐに戻ります」
ルミシェナとロゼリアも頷いたため、アリアは三人に任せることにした。
「分かった。みんな、あとでね」
三人をその場に残し、アリアは一人で村へ戻る道を歩き出した。
畑の脇を通り、明かりが灯り始めた家々の間を抜けて城館へ戻る。
日が沈むころには、草地に並ぶ天幕のそばで焚き火が灯されていた。
やがて村の家々から漏れる明かりもひとつずつ消え、辺りは夜の静けさに包まれていく。
冷えた風が畑の間を抜け、葉の擦れる音を運んでいた。
城館の窓辺に立ったアリアは、遠くに揺れる焚き火へ目を向ける。
焚き火を囲む輪の中で、アリネエラが何かを語っている。メルヴァリスたちは身じろぎもせず、彼女へ向き合っていた。
ここからでは声までは届かない。
わざわざ自分だけを帰し、三人を残した意図までは分からなかった。
「何を話してるんだろう……」
気にはなったが、今さら確かめに行くのもためらわれる。アリアは窓枠に指を添えたまま、昼間の手合わせを思い返した。
四人で挑んだにもかかわらず、アリアには何をされたのかさえ、ほとんど掴めなかった。
腕が動いた直後に攻撃を防がれていたことは分かっても、その間に何が起きていたのかまでは見抜けなかった。
理解できたのは、自分たちでは到底届かないほどの力を持っているということだけだった。
しかも、あれでまだ本気ではなかった。
アリアは窓枠から手を離し、自分の手のひらを見つめる。
数字を大きくすれば、それだけ強くなれると思っていた。
けれど、本当に見るべきものは、数字の大きさだけなのだろうか。
これまで当然だと思っていた使い方を、ほんの少し違う角度から捉え直してみると、散らばっていた考えが、胸の奥でひとつに繋がりかけた。
「もしかして……」
まだ、はっきりとした形にはできない。
それでも、数字変換には、自分がまだ気づいていない本質がある。そんな確信だけが、静かに芽生えていた。
もしアリネエラほどの相手が敵として現れたなら、加減などしてくれないだろう。
あれほどの相手を前にすれば、今の自分では誰も守りきれない。
「このままじゃ、だめだ」
小さくこぼした声が、誰もいない部屋に残った。
すぐに追いつけるとは思わない。それでも、立ち止まったままでいるつもりはなかった。
次に強大な相手と向き合ったとき、仲間とともに最後まで戦い抜くために。
アリアは胸に残る悔しさを受け止め、必ず強くなると覚悟を決めた。
翌朝、控えめに扉を叩く音で、アリアは目を覚ました。
「主様、朝でございます。お目覚めでしょうか?」
聞こえてきたのは、ルミシェナの声だった。
アリアは寝台から起き上がり、眠気の残る目を擦りながら扉を開ける。
「おはよう、ルミ。もう帰ってたんだね」
「はい。夜明け前には、三人とも戻っております」
ルミシェナはいつものように微笑んでいたものの、どこか表情が硬い。
「昨日は遅くまで何をしてたの?」
その問いに、ルミシェナの瞳が僅かに揺れた。
「宿営を手伝ったあと、アリネエラ様から戦い方について助言をいただいておりました」
「それだけ?」
「……はい」
返事は短く、普段よりも歯切れが悪かった。
アリアが顔を見つめても、ルミシェナは視線を外し、廊下の先へ身体を向ける。
「朝食の用意ができております。参りましょう、主様」
話を切り上げられたように感じたが、アリアは何も言わずに身支度を済ませた。
食堂へ入ると、メルヴァリスとロゼリアが先に席についていた。
卓上には焼いたパンと温かな茶が用意されている。
「おはようございます、アリア様」
「おはようございます、ご主人様」
挨拶だけを聞けば、二人とも普段と変わらない。
アリアが席へ向かいながら、何気なく尋ねる。
「二人も、アリネエラさんから戦い方を教えてもらったの?」
その途端、メルヴァリスの手が止まった。
ロゼリアも答えず、背後に立つルミシェナへ目を向ける。
三人の間で、言葉の代わりに視線が交わされた。
「はい。いくつか、ご指導をいただきました」
やや遅れて、メルヴァリスが代表するように答えた。
「どんなことを?」
「申し訳ありません、アリア様。まだお話しする段階ではございません」
はっきりと断られるとは思っておらず、アリアは目を瞬かせた。
「私には言えないことなの?」
「そのような意味ではありません。ただ、今はまだ……」
メルヴァリスはそこで言葉を濁した。
ルミシェナは沈黙したまま俯き、ロゼリアも気まずそうに口を閉ざしている。
三人が何かを隠していることは、もう疑いようがなかった。
けれど、アリアを遠ざけようとしているようには見えない。むしろ、伝えること自体をためらっているようだった。
問い詰めれば答えてくれるかもしれない。
それでもアリアは、椅子へ腰を下ろした。
「分かった。話せるようになったら教えてね」
三人は揃って頷いたが、食堂に残った張り詰めた空気は、すぐには消えなかった。
朝食を終えた頃、南の草地から出発の準備が整ったとの知らせが届いた。
アリアたちが南の草地へ着くと、昨夜並んでいた天幕はすでに畳まれ、荷車へ積み込まれている。焚き火の跡も丁寧に片づけられ、残っているのは踏みならされた草だけだった。
旅装を整えたアリネエラが、一行の先頭で待っていた。
「世話になったわね。おかげで落ち着いて休めたわ」
「大したことはしてません。皆さんも気をつけて」
「ええ。また会うこともあるでしょう」
アリネエラはアリアへ微笑みかけたあと、その後ろに控える三人へ向き直り、静かに頭を下げた。
「それでは、行きましょう」
その言葉を合図に、同行者たちが歩き出す。
荷車の車輪が土の道を転がり、隊列はゆっくりと村を離れていく。
アリネエラたちをしばらく見送ったあと、アリアは隣に立つ三人へ振り返った。
「私、これからセレミリアへ行ってくるね」
「街へ行かれるのですか?」
メルヴァリスが問い返した。
「うん。ちょっと用事があるの」
メルヴァリスが何かを言おうと口を開きかけたため、アリアは先に言葉を継いだ。
「今日は一人で行かせて。みんなはほとんど眠ってないでしょう?」
「ですが、アリア様だけで向かわれるのは……」
「森の奥へ入るわけじゃないし、街道を通るだけだから平気。それに、昨日のことを考えながら歩きたいの」
その言葉に嘘はなかった。
形になりかけている発想を、まずは自分の手で確かめてみたかった。
「夕方までには戻るよ。だから今日は休んでて」
メルヴァリスはなおも迷っていたが、やがて反対するのをやめた。
「承知いたしました。ただし、あまり遅くならないようお気をつけください」
「分かった」
「主様、無理だけはなさらないでくださいね」
「ご主人様が帰るまで、こちらは任せてください」
二人の言葉にも頷き、アリアはいったん三人とともに城館へ戻った。
自室へ戻ると、腰に短剣を差し、外出の支度を整える。
玄関を出ると、朝の光が村へ降り注いでいた。
見送りに出た三人の視線を背に、アリアはセレミリアへ続く街道を一人で歩き始めた。




