【約束の時】
ゼノヴァルグはその場に膝をついたまま動かず、オルギィンに刻まれた傷だけが見る見るうちに塞がっていった。
「……倒せる気がしないな」
アリアはオルギィンの隣に並び、ゼノヴァルグを見据えた。
オルギィンは腰に差していた予備の短剣を鞘ごと外し、アリアへ放った。
「使え。俺一人じゃ、あれは倒せねえ」
飛んできた短剣を受け止め、アリアは鞘から刃を引き抜く。
「試してみたいことがあるの、手を貸して」
「試す? あれの再生を止められるのか」
「わからないけど、ほかに手はないわ」
(数字統合も長くは持たない。早く何とかしないと……)
「私が攻める。援護して!」
「俺を使う気かよ」
口ではそう返しながら、オルギィンは正面から斬りかかった。
ゼノヴァルグが外殻に覆われた腕で斬撃を弾く。
空いた側面へアリアが回り込むが、ゼノヴァルグの拳が横から迫った。
オルギィンが手首へ剣を叩きつけ、攻撃の軌道を逸らす。
「行け!」
アリアは懐へ踏み込み、数字統合で引き上げられた力を短剣へ乗せ、胸部へ突き立てた。
外殻が砕け、刃先が深く食い込む。
その瞬間、これまで捉えられなかった数値が視界へ浮かび上がった。
(これを減らせば、再生を止められるかもしれない)
アリアは数字変換を発動し、ゼノヴァルグの命を引き下げた。
数字が減少すると同時に、傷口から黒い亀裂が広がっていく。外殻の修復は鈍り、全身の傷も塞がらなくなっていった。
ゼノヴァルグがアリアを引き離そうと掴みかかる。
だが、触れる寸前、オルギィンが伸びてきた腕を横から斬り払い、その手を逸らした。
巨体が振りほどこうと暴れても、アリアは短剣を手放さず、数字変換を重ね、命の値をさらに引き下げていった。
ゼノヴァルグの抵抗が、徐々に鈍っていく。
オルギィンはゼノヴァルグの腕を足場に跳び上がり、その肩へ着地すると、首筋めがけて剣を振り下ろした。
剣が首筋へ浅く食い込んだところで、ゼノヴァルグの手が刀身を掴んだ。
刃はそこから先へ進まない。
「まだ、こんな力が残ってんのかよ……!」
ゼノヴァルグが荒々しく身体を捻るたび、アリアの身体は大きく振られた。オルギィンも肩に片膝をつき、振り落とされまいと耐える。
オルギィンは止められた剣を押し込み、どうにか首を断とうとする。だが、刃を掴むゼノヴァルグの手は緩まない。
「もう、手に力が……」
アリアの身体も、すでに限界へ達しかけていた。
それでも命の値がある一線を下回った瞬間、特性欄から『不死』の文字が消えた。
好機を逃さず、ロゼリアとルミシェナもゼノヴァルグとの距離を詰めた。
アリアは残る魔力を数字変換へ注ぎ込み、オルギィンの筋力を引き上げた。
オルギィンの腕に、突如として凄まじい力が満ちた。
「これは……!」
ロゼリアの刃翼がゼノヴァルグの腕を斬りつけ、ルミシェナの光衣がそこへ幾重にも絡みつく。ロゼリアも光衣を掴み、二人が一斉に引くと、刀身を握っていた手が引き剥がされた。
刀身が解放された瞬間、オルギィンは止められていた刃へ全体重を乗せ、ゼノヴァルグの首を斬り落とした。
首を失った巨体が崩れ落ちる。ゼノヴァルグに取りついていたアリアも力尽き、その身体が滑り落ちた。
ロゼリアが地面へ落ちる寸前のアリアを受け止める。
倒れた巨体と切り離された頭部は輪郭を崩し、黒い灰となって風に散っていった。
「……終わりました」
ロゼリアが腕の中のアリアへ告げた。
その言葉を聞いた途端、張り詰めていた力が抜けた。
「……勝った、の?」
「はい、完全に消えました」
周囲では、生き残った冒険者や騎士たちが武器を下ろしていた。誰もが傷だらけで、立っていることさえやっとの有り様だったが、新たな魔物が現れる様子はない。
ほどなく、各門の魔物も討ち取られたとの報せが届いた。
王都を覆っていた脅威は、ようやく去った。
アリアは勝利に安堵したものの、喜ぶ余裕までは残っていなかった。ロゼリアの腕の中で意識を失った。
数日後。
宿屋の一室には、薬草の香りが漂っていた。
アリアは寝台に横たわり、包帯を巻かれた腕を腹の上に置いていた。魔力を使い果たした反動はまだ残っていたが、数日前に比べれば身体も動くようになっていた。
隣の寝台ではルミシェナが身体を休め、窓際には翼を畳んだロゼリアが腰掛けていた。二人とも命に関わる負傷ではなかったものの、しばらく療養が必要だと治癒術士から告げられていた。
窓の外から聞こえてくるのは、剣戟でも悲鳴でもない。
瓦礫を運ぶ掛け声と、壊れた建物を直す金槌の音だった。
その時、扉を叩く音が響いた。アリアが返事をすると、クラウスが部屋へ入ってきた。
クラウスはアリアのそばまで歩み寄った。
「傷の具合はいかがですかな?」
「だいぶ良くなったわ」
「まさか、私が王城へ戻っている間に、アリア殿たちがあの魔物と戦っておられたとは……」
不意に、扉が音もなく開いた。
姿を現したのは、かつてアリアに黒魂蝕を刻んだ男だった。
クラウスが即座に剣へ手をかけ、男の前へ立ちはだかる。
「何者だ!」
ルミシェナとロゼリアもアリアへ駆け寄り、庇うように身構えた。
「約束の時だ。お前の魂をもらいに来た」
「主様……?」
不安げに顔を向けるルミシェナへ、アリアは力なく首を振った。
「いいの。もう、どうしようもないことだから」
「なりません。メルヴァリスに続いて、ご主人様までいなくなるなど……」
ロゼリアの言葉に、アリアは寂しげに笑った。
「そうね。最後にもう一度、メルに会いたかったかな」
「……メルヴァリス?」
男の声が揺れた。
「なぜ、お前がその名を知っている」
アリアは男の反応に戸惑った。
「あなたもメルを知っているの?」
「答えろ。メルヴァリスは、今どこにいる?」
「メルは……戦いの最中に地割れへ落ちて、それから見つかっていないの」
「地割れに落ちただと……?」
男は信じられないものを見るように、アリアへ目を向けた。
「では、メルヴァリスはお前と行動していたのか」
「そうよ。メルは私の仲間だった」
「あり得ない。メルヴァリスの亡骸は、私が怨嗟の森の地下に安置した」
「亡骸……?」
「もしや、お前がメルヴァリスを蘇らせたのか」
「あなたは、どうしてメルを知っているの?」
「話してもいい。だが、条件がある」
「条件? 私の魂をもらいに来たんじゃないの?」
「それはもういい。死者を呼び戻すほどの力を持つとは、思わなかったのでな」
「……何をしたらいいの?」
「メルヴァリスを助け出したい」
「どうして、あなたが?」
「メルヴァリスは……」
一度口を閉ざし、それから告げた。
「私の娘だ」




