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【守りたかったもの】

いまだ悲しみに暮れるアリアへ、ルミシェナは言い聞かせるように語りかけた。


「主様。お辛いことは分かります。ですが……メルヴァリスは、もう戻ってはきません」


「それでも、今の私たちには、なすべきことが残されています」


アリアは涙に濡れた顔を上げた。


「なすべきこと……?」


「はい。ゼノヴァルグは、まだ生きております。あれを止めなければ、さらに多くの命が失われるでしょう」


ルミシェナはアリアから視線を逸らさず、言葉を続ける。


「メルヴァリスも、主様が悲しみに囚われたまま立ち止まることなど、望んではいないはずです」


アリアは返す言葉を失い、俯いた。


ルミシェナは立ち上がると、ロゼリアへ顔を向けた。


「行きましょう。ゼノヴァルグを止めます」


「ご主人様は……」


「主様、私たちは行きます。もしもの時は、お逃げください」


二人はアリアを残し、再び南門へ向かった。


遠ざかっていく二人の背中を、アリアは黙って見つめていた。


行かないでほしい。これ以上、誰も失いたくない。


そう叫びたかったが、声にはならなかった。


膝の上へ落とした手を握り締める。脳裏に浮かんだのは、王都へ向かう前に交わした言葉だった。


必ず生きて帰ってくること。


そう命じたはずなのに、メルヴァリスは戻らなかった。


それでも彼女が最後まで守ろうとしたものを、自分だけが背を向けていいはずがない。


アリアは涙を拭い、痛む身体をゆっくりと立ち上がらせた。


南門では、オルギィン率いる冒険者たちとゼノヴァルグの激しい戦闘が、なおも続いていた。


ルミシェナとロゼリアも戦場へ戻り、オルギィンのそばまで進んだ。


「あなたのことは許せません。ですが、今はあれを止めるのが先決です」


「……お前らか。今さら何をしに来た」


オルギィンは二人へ目を向けたものの、すぐにゼノヴァルグへ向き直る。


「……まあいい。加わるなら、俺の指示に従ってもらうぜ」


ゼノヴァルグの巨腕が持ち上がった。


「白金章は防壁を張れ! 黒章は奴の視界と足を潰せ! 絶対に前へ出るな!」


魔術と矢が一斉に放たれ、ゼノヴァルグの顔面と脚へ集中する。傷を与えるためではない。わずかでも意識を逸らし、動きを鈍らせるための攻撃だった。


ルミシェナが後方から白紗結界で冒険者たちを守る一方、ロゼリアはオルギィンへ迫る腕を狙って羽を放ち、その攻撃をわずかに逸らしていく。


その援護を受け、オルギィンだけがゼノヴァルグの正面へ躍り出た。


振り下ろされた腕を紙一重でかわし、オルギィンは懐へ潜り込むと、ゼノヴァルグの外殻を斬り裂いた。


黒い血が噴き上がるが、巨体は揺らがない。


「ちっ、まだ浅いか!」


オルギィンは追撃を狙わず、迫るもう一本の腕を剣で受け流した。轟音とともに地面が砕け、その余波だけで後方の冒険者たちが押し戻される。


誰も二人の戦いには加われず、遠距離から援護するのが精一杯だった。


戦闘が続く中、突如としてゼノヴァルグが口を開いた。


「我に、ここまで抗える者がいるとはな」


予想もしなかった言葉に、その場にいた者たちの動きが止まる。


同時に、ゼノヴァルグの巨体が異様に蠢き始めた。膨れ上がっていた肉体が急速に収縮し、軋む音を響かせながら、次第に人の姿を形作っていく。


二本の腕と二本の脚を備えた人型へ変わったものの、全身を覆う黒い外殻と二メートルを超える体躯は、依然として人とは呼べない姿だった。


人の形へ変貌したゼノヴァルグを見据え、オルギィンは黒章冒険者の一人へ声を飛ばした。


「おい、奴のステータスを鑑定しろ」


指示を受けた冒険者が、ゼノヴァルグへ意識を集中させる。


名前:ゼノヴァルグ

Lv86 魔星種

筋力:2850

敏捷:2720

魔力:2100

体力:3500

状態:解放形態

特性:不死・異常再生


読み上げられた数値に、オルギィンの顔から余裕が消えた。


「ふざけるなよ……なんだ、あの化け物は」


ゼノヴァルグの姿が視界から消え、次に捉えた時には、すでにオルギィンの間合いへ入り込んでいた。


オルギィンが剣を上げるより早く、ゼノヴァルグの振り抜いた拳が脇腹を捉え、鎧を砕いた。オルギィンの身体は地面を削りながら後方へ吹き飛んでいく。


オルギィンが瓦礫に沈むのを目の当たりにし、冒険者たちの多くが我先にと逃げ出した。


「もう駄目だ!」


「あんな化け物に勝てるわけがない!」


逃げ出す者たちには目もくれず、ゼノヴァルグは動かなくなったオルギィンから視線を外した。


赤い眼が、ルミシェナたちのいる方向へ向けられる。


「来ます。ロゼリア、気をつけてください」


ルミシェナが白紗結界を広げ、ロゼリアも刃翼を構えた。


しかし、ゼノヴァルグは襲いかかってこない。


その眼が捉えていたのは、二人ではなかった。


背後から近づいてくる足音に、ルミシェナたちが振り返る。


「みんな、ごめん。でも、メルが守ろうとしたこの王都を、私も守りたい」


アリアの姿を認めた途端、ルミシェナの表情がほころんだ。だが、傷だらけの身体で歩み寄る様子を見て、すぐに顔を引き締めた。


「主様……」


「駄目です。あの魔物と戦ってはなりません」


アリアの身体には、地下遺跡で負った傷が残っている。黒魂蝕によって痛みは抑えられていたが、傷そのものが癒えたわけではない。


「大丈夫。地下遺跡の時とは違うから……」


アリアは呼吸を整え、意識を遠くへ広げていく。


王都のいたる所で名も知らない騎士や冒険者たちが、王都へ押し寄せた魔物から人々を守るために戦っている。


離れていても、抱いている願いは一つだった。


これ以上、誰も失いたくない。


その想いに触れた瞬間、各地に散らばっていた無数の力が、アリアの中で鮮明につながっていく。


『数字統合』


セレミリア東の洞窟でゼノグラム・キメラと戦った時も、アリアは仲間や冒険者たちの力を借りた。


だが今回は違う。


対象となったのは、各所で戦い続ける騎士や冒険者たち。同じ願いを抱く者たちの力が、これまで届かなかった距離を越えてつながっていく。


無数の光がそれぞれの戦場から立ち昇り、空を渡ってアリアへ注がれていく。


借り受けられるのは、それぞれが持つ力のほんの一部にすぎない。それでも、王都全体から集まれば、アリア一人には余りある力となる。


黒魂蝕によって抑え込まれていた痛みが、押し寄せる力とともに再び全身へ広がり、傷口を覆う包帯に赤い血が滲んでいく。王都中から流れ込む膨大な力に耐えきれず、アリアの身体はすでに悲鳴を上げていた。


名前:アリア・フェルロード

Lv:35

筋力:3000

敏捷:3000

魔力:1300/2670

体力:2500


膨大な力をその身に宿し、アリアはゼノヴァルグの正面へ歩み出た。


ゼノヴァルグが迎え撃つように腕を振るう。


アリアは拳の軌道から外れ、伸びきった肘へ掌底を突き上げた。


関節が逆向きに折れ、ゼノヴァルグの上体が傾く。


だが、折れた腕が脈打ち、砕けた骨と外殻が瞬く間に元の形へ戻っていった。


「この速さじゃ、削りきれない……」


傷を与えるだけでは倒せない。


再生を終えたゼノヴァルグが腕を振り上げ、アリアめがけて打ち下ろす。


アリアは視界に浮かぶ数値を書き換えた。


敏捷:2720→2200


鈍った拳の下を抜け、脇腹へ肘を突き立てる。上体が折れたところへ顎を蹴り上げると、ゼノヴァルグは後方へ弾き飛ばされた。


続けて、アリアはゼノヴァルグの前方にある石畳へ意識を向けた。


硬度:80→20


ゼノヴァルグが体勢を立て直し、再びアリアへ迫る。


足を置いた瞬間、石床が砕け落ちる。


片脚が深く沈み、巨体が大きく傾いた。


アリアは足元に転がっていた石板を跳ね上げ、ゼノヴァルグへ蹴り放つ。


回転しながら飛んでいく石板へ意識を集中させ、視界に浮かんだ数値を書き換えた。


重量:40→240


一気に重さを増した石板が胴へ激突し、黒い外殻を大きく砕いた。


ゼノヴァルグが片膝をついたところへ、アリアの回し蹴りが顔を捉える。巨体は後方へ弾かれ、崩れかけた建物の壁を突き破った。


瓦礫が内側から弾け飛び、ゼノヴァルグが再び姿を現す。


砕けた外殻の隙間では肉体が蠢き、傷ついた箇所を次々と塞いでいた。


「押しているぞ……」


戦場に残っていた冒険者の一人が声を漏らした。


怒りを露わにしたゼノヴァルグが、凄まじい咆哮を上げた。


全身を強く揺さぶられ、アリアの身体が硬直する。


動けないアリアめがけて、ゼノヴァルグが一気に距離を詰めた。


アリアのそばを駆け抜け、オルギィンが前へ出る。


「理由は知らねえが、さっきより遅くなってるな」


鋭い剣閃が横切り、飛び込んできたゼノヴァルグの胴を斬り裂いた。

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