【届かない命】
剣を引き抜かれたメルヴァリスの身体が、力なく地面へ倒れ込んだ。
「メル!」
アリアはクラウスの手を振りほどき、倒れたメルヴァリスのもとへ駆け寄る。
「メル、しっかりして! メル!」
肩を抱き起こして何度呼びかけても、返事はない。胸元から流れ出す赤黒い血が、アリアの腕を濡らしていく。
「……なんだ、お前は?」
背後からオルギィンの声が聞こえた。
アリアはメルヴァリスを抱いたまま振り返り、怒りに震える声をぶつけた。
「なんで……なんでメルを刺したの!?」
「何を言っている。魔物を処分するのが冒険者の役目だろう?」
「メルは魔物じゃない……私の仲間よ」
「その姿を見ても、まだそんなことが言えるのか?」
全身を這う赤黒い紋様。背中から広がる巨大な翼と、頭部から伸びた二本の角。
人の姿から大きく外れていながらも、その顔にはアリアが知るメルヴァリスの面影が残っていた。
オルギィンは南門から伝わる気配に反応し、そちらへ目を向けた。
「どうやら、本命のお出ましらしい」
その言葉を裏づけるように、騎士たちの間から動揺の声が上がる。
「な、なんだ、あれは……!?」
南門の向こうから姿を現したのは、魔星種ゼノヴァルグだった。
黒章と白金章の冒険者たちがオルギィンのもとへ集まる中、クラウスはアリアへ目を向けた。
「アリア殿……」
だが、返事はない。アリアはメルヴァリスを抱いたまま、その場から動こうとしなかった。
オルギィンがゼノヴァルグへ向かって駆け出した直後、背後からアリアを呼ぶ声が届いた。
「主様……」
聞き覚えのある声に、アリアは顔を上げた。
「ルミ、ロゼ……二人とも無事だったのね」
駆けつけたルミシェナとロゼリアは、アリアの腕の中で動かないメルヴァリスを見て言葉を失った。
ルミシェナはメルヴァリスのそばに膝をつき、その顔と胸元の傷を見つめた。呼びかけても反応はなく、その表情に悲しみが浮かんだ。
ルミシェナはメルヴァリスから視線を離し、ロゼリアへ顔を向けた。
「ロゼリア、主様をお願いできますか?」
ロゼリアはわずかに迷ったものの、ルミシェナの表情を見て頷き、アリアの肩へ手を伸ばした。
「ご主人様、ここを離れましょう」
「……嫌」
アリアはメルヴァリスを抱く腕に力を込めた。
「まだメルは死んでない。だって、さっきまで私を呼んでたのに……」
涙が頬を伝い、メルヴァリスの衣へ落ちていく。
ルミシェナはアリアの前に膝をついたまま、逃げずにその瞳を見つめた。
「メルヴァリスはもう、息をしておりません」
「そんなはずない……」
アリアは首を振り、応えることのないメルヴァリスの名を何度も呼び続けた。
「まだ助かる方法はあるはず……命を与えれば、もう一度……」
アリアは震える手をメルヴァリスの胸元へ重ね、命を渡そうとした。
アリアがどれほど願っても、命はメルヴァリスへ流れていかなかった。
「どうして……なんで、できないの……?」
いつもなら確かに感じられる繋がりを、今はどうしても捉えられなかった。
その姿を見かね、ロゼリアは意を決してアリアを抱き上げた。
「すみません、ご主人様……」
「待って……メルを置いていかないで!」
ロゼリアはアリアを抱え、宿を目指して戦場を離れた。
その場に残ったルミシェナは、動かないメルヴァリスへ向き直った。
「主様をこれほど悲しませるなんて……あなたらしくありませんよ、メルヴァリス」
そう言って気丈に振る舞わなければ、張り詰めたものが崩れてしまいそうだった。
ルミシェナがメルヴァリスの身体へ手を伸ばした時、南門の方角から凄まじい衝撃音が響いた。
ゼノヴァルグが振り下ろした腕をオルギィンの剣が受け止め、ぶつかり合った力が暴風となって戦場を駆け抜けた。
「伏せてください!」
ルミシェナは咄嗟に光衣を広げたが、押し寄せた衝撃に結界ごと弾き飛ばされた。
地面が大きく裂け、巻き上がった土煙と瓦礫が周囲を覆い隠す。
地面へ手をついて顔を上げると、裂け目はメルヴァリスの足元まで伸びていた。傾いた地面を滑り、その身体が亀裂へ落ちていく。
「メルヴァリス!」
「ルミシェナ殿!」
クラウスに腕を掴まれ、ルミシェナは引きずられるように後退した。直後、城壁が轟音とともに崩れ、大量の瓦礫がメルヴァリスの消えた裂け目を覆い尽くした。
ルミシェナは足を止め、瓦礫に埋もれた場所を見つめることしかできなかった。
「ルミシェナ殿、あの戦いの余波に巻き込まれれば危険です。ひとまず宿へ避難しましょう」
「……分かりました」
ルミシェナはクラウスとともに宿へ向かった。
宿の近くまで辿り着くと、クラウスが足を止める。
「ルミシェナ殿、私は城へ戻り、状況を報告してきます。副団長として、果たすべき務めがあります」
「その身体で大丈夫なのですか?」
「これでも騎士団の副団長ですからな」
クラウスはそれだけ告げると、王城へ向かって駆け出した。
ルミシェナが一人で宿へ入ると、ロゼリアが待っていた。
「主様は?」
「泣き疲れて、今は部屋で眠っておられます」
「私が主様のおそばにおります。ロゼリアも少し休んでください」
「それは、ルミシェナも同じでしょう?」
「……では、交代で休みましょう」
アリアの眠りを妨げないよう、二人は交代で部屋の前に控えることにした。
それから、数時間が過ぎた。
その時、アリアの部屋から床を打つ鈍い音が響いた。
廊下にいたルミシェナが扉へ駆け寄ると、休んでいたロゼリアも隣室から飛び出してきた。
二人がアリアの部屋へ入ると、彼女は寝台の脇に倒れていた。起き上がろうと床へ手をついていたが、力の入らない脚は震えていた。
「主様、まだ起き上がってはなりません」
ルミシェナが駆け寄ると、アリアはその腕を掴んだ。
「メルは……?」
二人は答えられなかった。
「メルを、置いてきたの……?」
「違います。戦いの余波で地面が崩れ、メルヴァリスの身体は瓦礫の下へ……」
「じゃあ、まだメルが死んだって決まったわけじゃないよね?」
ルミシェナが言葉を返せずにいると、アリアはその腕を掴む手に力を込めた。
「約束したもの……必ず生きて帰ってくるって」
返事のない部屋で、アリアはその言葉だけを繰り返した。




