【静かな朝の遺跡依頼】
しばらくしても、アリアの胸のざわめきは収まらなかった。
部屋にいても、セリオンの言葉ばかりが頭の中を巡ってしまう。嫌ではない。けれど、受け止め方も分からない。そんな中途半端な気持ちを抱えたまま座っていると、余計に落ち着かなくなった。
「……ルミ、外を歩いてきてもいいかな」
「気分を変えたいのですね」
「うん。ここにいると、考えすぎちゃいそうで」
ルミシェナは頷き、扉の方へ歩いた。
「では、騎士の方々へ確認してまいります。主様がお望みなら、私も同行いたします」
「もちろん。一人で行くつもりはないよ」
許可はすぐに下りた。
王城の外へ出ると、朝の王都は昨日とは違う顔を見せていた。露店の支度をする商人、焼きたてのパンを運ぶ職人、井戸端で話す女性たち。昼の賑わいほど派手ではないが、街全体がゆっくり動き出していくような活気がある。
「朝だと、雰囲気が違うね」
「はい。人の流れも穏やかです」
「こういう方が歩きやすいかも」
アリアは並んだ店先を眺めながら、大通りを進んだ。果物を積んだ籠、色鮮やかな布、細工の入った小瓶。昨日なら緊張で見落としていたものまで、今日はやけに細かく目に入る。
護衛の騎士たちは距離を取ってついてきていた。近すぎれば目立つし、離れすぎれば守れない。その加減に慣れているのだろう。彼らは人混みに紛れながらも、アリアたちから注意を外さなかった。
「なんだか、私だけ散歩してるみたいで申し訳ないね」
「主様が無事に歩かれることも、護衛の務めかと」
「ルミまで護衛側の考え方だね」
「私は従者ですので」
変わらない返答に、アリアは苦笑した。
しばらく歩いていると、大通りの先に大きな建物が見えてきた。
石造りの壁に、剣と盾を組み合わせた看板。出入りする者たちは鎧姿や旅装の者が多く、朝だというのに建物の前にはすでに何人もの冒険者が集まっている。
「王都のギルドだ」
アリアは足を止め、表情を明るくした。
王城の客人としてではなく、冒険者として立っていられる場所。そう思っただけで、胸のざわめきが少しだけ遠のいた。
見上げるほどの建物は、地方のギルドとはまるで規模が違っていた。扉も広く、依頼掲示板らしきものまで外から見えている。せっかく王都に来ているのだから、一度くらい覗いてみたいと思った。
「入ってみてもいいかな?」
「主様が望まれるのであれば」
ルミシェナが答えると、少し離れていた護衛の騎士が近づいてきた。
「アリア殿、ギルドへ入られるのですか?」
「はい。少し見てみたいんです。入っても大丈夫でしょうか?」
「もちろんです。ただし、我々も周囲で控えさせていただきます」
「ありがとうございます」
アリアが礼を言って扉をくぐると、中は朝から活気に満ちていた。
依頼掲示板の前では、冒険者たちが顔を寄せ合っていた。受付には朝から列ができ、壁際では武器や防具を確かめる者の姿もある。
酒場を兼ねた一角からは、炙った肉と香辛料の匂いが漂ってきた。王都のギルドらしい、騒がしくも力強い空気が満ちていた。
「すごい……もうこんなに人がいるんだ」
「王都のギルドらしい賑わいです」
ルミシェナが周囲を見渡しながら答える。
アリアたちが受付へ向かうと、淡い金髪を肩の後ろでまとめた女性が、落ち着いた笑みで迎えてくれた。
「おはようございます。王都冒険者ギルドへようこそ。受付担当のミレシアと申します。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「あ、おはようございます。セレミリアから来た冒険者のアリア・フェルロードです。近場で受けられる依頼があれば見せてもらいたくて」
「承知しました。冒険者証を確認してもよろしいでしょうか?」
アリアは腰の小袋から冒険者証を取り出し、受付台へ置いた。
ミレシアはそれを確認し、すぐに頷く。
「銀章級のアリア様ですね。王都近郊の依頼も受けていただけます。ただし、土地勘のない地域になりますので、初回は危険度の低いものをおすすめいたします」
「できれば、日帰りで戻れる依頼がいいです。あと、少し体を動かせるものがあれば」
「でしたら、こちらはいかがでしょうか」
ミレシアは依頼書を数枚めくり、一枚をアリアの前へ差し出した。
「王都東側にある古い遺跡の調査依頼です。もとは小さな礼拝堂だった場所ですが、近ごろ周辺で小型の魔物が目撃されています。依頼内容は、遺跡内の確認と、魔物がいれば討伐。深部への立ち入りは不要です」
「遺跡の調査……」
アリアは依頼書に目を落とした。
報酬は高くないが、場所は王都から近く、危険度も低めに設定されている。無理に遠出する依頼ではなく、今のアリアにとっては気分を変えるのにちょうどよさそうだった。
「ルミ、どう思う?」
「王都近郊であれば、負担は少ないかと。ただし、遺跡という場所柄、油断はできません」
「うん。そこは気をつける」
アリアが頷くと、ミレシアは地図を広げた。
「場所はこちらです。東門を出て街道沿いに進み、途中の古井戸を目印に北へ曲がってください。
徒歩でも王都から大きく離れる距離ではありません。最近は目撃数が増えているようですので、遺跡の奥へ無理に踏み込む必要はありません」
「分かりました。この依頼、受けます」
「承知しました。では、受注処理をいたします」
ミレシアが手続きを進める間、アリアは改めてギルドの中を見回した。
王城に呼ばれ、王族と話し、受け止めきれない言葉まで抱えてしまった朝。けれど、こうして冒険者として依頼を受けると、自分の足で立っている感覚が戻ってくる気がした。
「では、アリア様。お気をつけて。異変を感じた場合は、無理をなさらず引き返してください」
「はい。ありがとうございます」
依頼書と地図を受け取ったアリアは、手元の紙へ視線を落とした。
それでも、ふとした拍子にセリオンの声が胸の奥へ戻ってくる。
考えても答えが出ないなら、今は前へ進んでいたかった。
アリアは依頼書を握り直し、ルミシェナとともにギルドを出た。
外で待っていた護衛の騎士に事情を伝えると、彼はすぐには頷かなかった。
「アリア殿、王都の外へ出られるのですか」
「はい。でも、王都近くの調査依頼です。危険度も低いみたいですし、ルミも一緒です」
「しかし、我々はアリア殿の護衛を命じられております」
当然の反応だった。
王城の客人として扱われている以上、外へ出るだけでも騎士が慎重になるのは当然だった。けれど、護衛を引き連れていけば、ただの冒険者依頼とは見てもらえなくなる。
アリアは少し考えてから、依頼書を胸の前で持ち直した。
「今回は冒険者として受けた依頼です。騎士さんたちまで付き合わせてしまうのは、申し訳ない気がして」
「……」
「だから、王都で待っていてもらえませんか。無理はしません。危ないと思ったら、すぐ戻ります」
騎士は困ったようにルミシェナへ視線を向けた。
「ルミシェナ殿、あなたも同行されるのですね」
「はい。主様のおそばを離れるつもりはありません。異変があれば、即座に撤退します」
その言葉を聞き、騎士はようやく短く頷いた。
「本来ならお止めすべきですが、ギルドの正式な依頼であり、王都近郊でもあります。東門の詰所で待機し、戻りが遅れた場合は即座に確認へ向かいます」
「はい。それで大丈夫です」
「くれぐれも無茶はなさらぬよう」
「ありがとうございます」
アリアは礼を言い、ルミシェナと並んで東門へ向かった。
王都の門を抜けると、街の喧騒は少しずつ遠ざかっていく。
石畳の道はやがて土の街道に変わり、周囲には畑や低い丘が広がっていた。朝露を含んだ草が風に揺れ、遠くでは農夫たちが作業を始めている。
「王都のすぐ外なのに、思ったより静かだね」
「街壁の内側とは空気が違います。ですが、魔物の気配がないわけではありません」
ルミシェナの言葉に、アリアは表情を引き締めた。
しばらく進むと、地図に記されていた古井戸が見えてきた。崩れかけた石組みの井戸で、今は使われていないらしく、周囲には雑草が伸びている。
そこから北へ折れると、道は細くなった。
人の往来が減ったせいか、土の上には小さな足跡がいくつも残っている。獣にしては形が歪で、ところどころに引っかいたような跡もあった。
「これ、魔物の跡かな」
「おそらくは」
ルミシェナが短く答える。
さらに進むと、木々の間から古びた石壁が見えてきた。
寂れた礼拝堂跡だった。
屋根の半分は崩れ、壁には蔦が絡みついている。入口の扉は朽ちて外れかけ、敷地を囲んでいた石柵もあちこちで倒れていた。かつては誰かが祈りを捧げていた場所なのだろうが、今は人の気配よりも、湿った土と古い石の匂いが強い。
アリアは足を止め、遺跡を見上げた。
「ここが依頼の場所……」
崩れた入口の奥で、何かが瓦礫を擦る音がした。
小さな影が、石片の隙間を横切る。
一匹ではない。
アリアは短剣に手をかけ、ルミシェナも隣で身構えた。
「主様」
「うん。依頼開始だね」
朝の穏やかな空気は、もうどこにも残っていなかった。
目の前にある古びた遺跡からは、魔物の気配が少しずつ漏れ出している。




