【王子セリオンとの対面】
翌日、アリアはルミシェナとともに王都の大通りを歩いていた。
本来なら、王城の客室で大人しく待つべきなのだろう。クラウスから街へ出る許可は下りていると告げられ、護衛を兼ねた数名の騎士が距離を取って同行することになった。
「すごい……昨日は馬車の中から見ただけだったけど、歩くと全然違うね」
アリアは思わず辺りを見回した。
広い通りには多くの人が行き交い、商店の前には果物や布、細工物が所狭しと並べられている。焼きたてのパンの香り、香辛料を使った肉料理の匂い、露店の呼び込みの声が入り混じり、セレミリアとは比べものにならないほど賑やかだった。
「主様、あまり先へ行かれませんように」
「分かってるよ。でも、見たことない物ばかりで」
アリアは少し照れたように答えながら、露店に並んだ色鮮やかな小瓶へ目を留めた。
「これは?」
「香油だよ、お嬢さん。髪につければ香りも艶も良くなる。王都の娘さんたちにも人気だ」
店主に勧められ、アリアは小瓶を手に取った。甘すぎない花の香りがふわりと広がり、アリアの頬が自然とゆるんだ。
「いい匂い……」
「主様にお似合いかと」
「ルミまでそういうこと言うんだ」
アリアが困ったように笑うと、ルミシェナはいつもの落ち着いた声で答えた。
「事実を申し上げただけです」
結局、アリアは小さな香油を一つ買った。
その後も二人は通りを進み、焼き菓子を分け合ったり、職人が作った銀細工を眺めたりした。噴水のある広場では吟遊詩人が物語を歌っており、子供たちが足を止めて聞き入っている。
アリアも少し離れた場所で耳を傾けた。
王城では緊張してばかりだったが、こうして街を歩いていると、王都がただ大きく立派な場所というだけではないことが分かる。笑う人がいて、働く人がいて、楽しそうに買い物をする親子がいる。
「……王都って、すごいね」
「はい。多くの人が暮らす、王国の中心でございますから」
「うん。なんだか、見てるだけで楽しい」
アリアが素直にそう言うと、ルミシェナの表情もほんの少し和らいだ。
二人が広場を離れようとした時、離れた場所で待機していた騎士の一人が歩み寄ってきた。王城の紋章が刻まれた伝令筒を手にしている。
「アリア・フェルロード殿」
呼ばれた瞬間、アリアの表情が少し引き締まった。
「はい」
「城より呼び出しです。クラウス副団長が、至急お戻りいただきたいとのこと」
楽しかった街の空気が、そこでふっと遠ざかった。
ルミシェナがすぐにアリアの隣へ立つ。
「主様」
「大丈夫。行こう」
アリアは買ったばかりの香油をしまい、ルミシェナとともに王城へ戻る道を歩き出した。
王城へ着く頃には、先ほどまで胸を弾ませていた街の余韻も、少しずつ薄れていた。
門をくぐると、待っていたクラウスがすぐに歩み寄ってくる。
「急なお呼び立てとなり、申し訳ありません。陛下がお待ちです」
「いえ、大丈夫です」
アリアが頷くと、クラウスは短く礼をしてから先導を始めた。
案内されたのは、昨日謁見した広間ではなかった。
王城の奥へ進み、重厚な扉を抜けた先にある、小さな応接室だった。
広間ほどの威圧感はない。けれど、壁に飾られた剣や紋章、磨き上げられた調度品の一つ一つが、ここも王族のための場所なのだと物語っていた。
部屋の奥には、エルヴァルド王が座っている。
その傍らには、見慣れない青年が立っていた。
年はアリアとさほど変わらないくらいだろうか。
整った金の髪に、王と同じ色を宿した瞳。背筋はまっすぐ伸びていて、身にまとう服も上質なものだが、不思議と近寄りがたい印象は薄い。
アリアが足を止めると、ルミシェナが一歩後ろに控えた。
「アリア・フェルロード、参りました」
「急に呼び戻してすまない。まずは座るがよい」
エルヴァルド王に促され、アリアは用意された椅子へ腰を下ろした。
ルミシェナは当然のようにその背後へ立つ。
王はアリアの様子を見てから、傍らの青年へ視線を向けた。
「紹介しておこう。我が息子、セリオン・レグナベルだ」
青年は一歩前へ出ると、穏やかに会釈した。
「セリオン・レグナベルです。アリア殿のお話は、父上より伺っております」
「アリア・フェルロードです。よろしくお願いします」
王子と聞いて、アリアの肩にわずかに力が入った。
昨日は王に会い、今日は王子まで紹介される。銀章になったとはいえ、ついこの間まで鉄章だった自分には、あまりにも急すぎる話だった。
セリオンはそんなアリアの緊張を察したのか、声を和らげた。
「父上が気にかけている方に、私も一度お会いしてみたかったのです」
「私を、ですか……?」
アリアは思わず聞き返したものの、すぐに口を閉ざした。
エルヴァルド王はそれを咎めることなく、穏やかに続ける。
「そなたが救った者たちの話は、すでに届いている。ラゼルムの件も含め、王家として無視できぬものになった」
部屋の空気が、そこで重みを帯びた。
楽しかった王都の街並みが、頭の片隅へ押しやられていく。
ここから先は、ただ褒められるだけの話ではないのだと、アリアにも分かった。
「……私に、何か聞きたいことがあるんですね」
アリアがそう言うと、エルヴァルド王はゆっくりと頷いた。
「ああ。キメラとの戦闘と、ラゼルムが関わっていた件について、改めて聞かせてもらいたい」
セリオンの視線も、まっすぐアリアへ向けられる。
責めているわけではない。けれど、王族として確かめるべきものを見逃す気はない。そんな目だった。
アリアは膝の上に置いた手に、わずかに力を込めた。
逃げるような話ではない。
けれど、何もかも話していいわけでもない。
「……分かりました。私に答えられることなら、話します」
アリアがそう告げると、エルヴァルド王は深く頷いた。
「まず聞きたいのは、そなたがあの魔物をどう倒したかだ。報告では、金章の冒険者たちでさえ押し切られたとある」
「私一人の力ではありません」
アリアは迷わず答えた。
あの場でメルヴァリスたちが動いてくれなければ、ゼノグラム・キメラの攻撃をしのぐことさえ難しかった。
ルミシェナが守り、メルヴァリスとロゼリアが動きを削り、ランドルたちも命懸けで時間を稼いでくれた。
その積み重ねがあったから、自分は最後の一撃を届かせることができたのだ。
「仲間たちが隙を作ってくれました。私は、動きが乱れたところを狙って、急所に刃を入れただけです」
「それだけで、あの魔物を倒したと?」
エルヴァルド王の問いに、アリアは少しだけ言葉を選んだ。
「……簡単ではありませんでした。けれど、あの魔物も無敵ではありません。傷は増えていましたし、最後には動きも鈍っていました」
嘘ではない。
ただ、全てを話しているわけでもない。
セリオンは黙したまま、アリアの言葉を一つずつ受け止めていた。穏やかな態度の奥に、その真意を慎重に見定めようとする鋭さが見えた。
「なるほど」
エルヴァルド王は短く呟く。
「そなたは、自分の力よりも仲間たちの働きが大きかったと言うのだな」
「はい。少なくとも、私だけでは無理でした」
アリアは迷わず頷いた。
それは本心だった。
最後の一撃を放ったのが自分でも、そこへ至るまでに何人もの力があった。誰か一人でも欠けていれば、きっと同じ結果にはならなかった。
「分かった。では、ラゼルムについて聞こう」
王が話題を変えたことで、アリアの胸に残っていた緊張が少しだけほどけた。
セリオンは何かを言いかけたようだったが、すぐに口を閉ざす。
追及されなかった。
けれど、完全に納得されたわけでもない。
そのことを、アリアも分かっていた。




