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二十五重の塔  作者: quiet
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07 いつもの日常



 蛇と目が合った。

 ばっちり。七段目を踏んだとき。


「おぉ……」


 そして、おれは感動した。

 蛇が、自分の尻尾を咥えたからだ。


 そこからぐるぐるとその場で回り出す。さながら自分の尻尾を追いかける犬のようでもあったし、ねずみ花火のようでもあった。この光景を見た現代人が多数派を占めるようになれば、今後ねずみ花火は蛇花火と呼ばれるようになるに違いない。


 そのまま光り出すかと思ったが、流石にそこまでではなかった。

 それはそれとして、おれはこの感動を家主にも共有してやろうと思った。


「百羽」

「……なーにー」

「屋根裏が今熱いぞ」


 見にこいよ、という誘いのつもりだったが、以降、百羽からの返答はない。通信途絶。

 おれはもう一度、


「すごいもん見られるぜ」

「……今、忙しいの。セーター見つからないんだもん」

「さっきもセーター探してなかったか?」

「さっきからずっと同じの探してんのっ。忙しいんだから、もう。日が暮れちゃうし」

「そうか。じゃあ実況してやるよ」

「要らなすぎ」

「蛇いるぞ」


 一拍、


「へび?」

「そう。おれの目の前で尻尾を咥えてぐるぐる回って……回るのをやめた。おおっ、こっちに近付いてくるぞ。まさに今、おれの首に向かって――」


 百羽の叫び声が聞こえた。

 うわーっ、とかそんな感じのやつだ。こいつ蛇苦手だったんだっけ、と他人事でおれは思う。それなら悪いことをした。お詫びにこの蛇は責任を持ってこの家の外まで連れていくとするか。


 八段目に足をかけようとした。


 それからおれは、百羽にタックルされて、吹っ飛ばされて、床に押し倒されて、頭を打って、気絶した。





「殺される」

「殺さないよっ」


 とは百羽も言うが、実際のところ殺人未遂だったという自覚はあるらしい。しょぼくれた顔をしていた。


 冬のことだった。

 というか、今朝から急に冬が来たので、冬になったばかりのことだった。


 夜に寝るときは冷房をかけて寝るか迷うくらいの気温だったのに、朝起きたらカキンカキンの冬だった。季節の変わり目というのはいつも急ハンドルで、おれはクローゼットから長袖だのカーディガンだのを引っ張り出した。何かあったかいものでも食うかと思って部屋を出たら、とんでもない薄着で百羽が隣の部屋から出てきたのに遭遇した。


 聞けば、衣替えのために実家に服を取りに行くのだという。

 いくら何でもそれじゃ風邪を引くだろとおれはコートを貸してやり、ついでに健気にも荷物持ちを申し出てやり、最終的に殺されかけた。


 今は、国南家のリビングでソファに寝かされている。


「だいじょうぶ?」


 気絶と言っても、大したことはなかった。

 すぐに目覚めた。百羽はそれでも大袈裟なくらいに包帯をぐるぐる巻いておれをミイラに仕立て上げていたけれど、正直なところ、すでに痛みも何もない。我ながら衝撃を受けてしまうタフさだ。


「ごめんね、玲ちゃん……」


 しかしこういうのは大抵、やられた方はからっとしていても、やった方はなかなか引きずるものだ。


 そもそもは、心配してくれたのだという。

 おれが気絶したのを、という話ではなく、そもそもその前段階で。天井裏に蛇がいると聞いて、毒蛇か何かなんじゃないかと思って、危ないと思って、おれはいつもぼやぼやしてて危機管理能力というものが欠如した存在だから自分がしっかりしなくちゃと思って、つい飛び掛かって、結果として突き飛ばして、押し倒して、気絶させてしまったらしい。


 正直なところ、そこまでの勢いで心配されるのも嬉しくはある。というかそもそも、勝手に人の家をうろちょろしていたおれが悪い。


 だからおれは、適度に空気を弛緩させてやることにした。

 瞼を瞑る。


「…………?」


 が、いつまで経ってもチョップが飛んでこない。


 いつから使い始めたんだか自分でも忘れたが、便利なやり取りのひとつだ。おれが両瞼を瞑る。百羽がそれをキス待ちだと解釈する。百羽が憤る。百羽がチョップをする。


 空気をがらっと変えたいときはもちろんのこと、たとえばちょっとした日頃のお礼への軽い返しとか、都合が悪くなってきたからうやむやにして逃げたいときとか、目が合ったときに何となくとか、脈絡もなくギャグとしてとか、あらゆる場面で万能に使えるジェスチャーだ。


 だから、今も使ったのだけど。

 遅れておれは、ああ、と気が付いた。


 考えてみれば何てことはない。そもそもおれは頭を打って寝ていたわけだから、これ以上頭部に衝撃を与えるのは、普通ためらう。


 困らせたなら、悪いことをした。

 瞼を開ける。


 百羽は、おれを見てはいなかった。


「……! ……!」


 代わりに、横断歩道を渡る小学生みたいだった。

 右を見る。左を見る。もう一回右を見る。それから横断歩道を渡る小学生を超えて、交差点を左折する自動車ドライバーみたいになる。後ろも見る。そのまま左の手で胸を押さえる。すー。はー。深呼吸。すー。深呼吸おかわり。


 はー。

 右手が伸びてきた。


 握り返してみた。


「ぎゃあ!!!」


 南国の鳥みたいな、初めて聞く声だった。


 右腕の骨という骨と肉という肉と筋という筋の全てを伸ばしたような格好で百羽が仰け反っている。その割に手は繋ぎっぱなしになっている。


 面白かった。

 というわけで、そのまま何度か力を込めたり抜いたりしてみた。


 ばっ、とそれでようやく正気に返ったように百羽が右手を引っこ抜いた。胸の前に抱いた。一千万円くらいするバイオリンを密輸するお嬢様みたいな抱き締めっぷりで、


「ば、」

 おれを見た。


「ばーか!!!」


 罵倒が放たれ、立ち上がり、足音は遠ざかっていく。


 足音が戻ってくる。


「…………大丈夫そうなら、そろそろ帰ろ」


 セーター、今度でいい。

 と、リビングの扉から頭を半分だけ覗かせて、百羽は言う。


 その日はおれも大事を取って、家に帰ったら冷凍うどんをチンして食って、さっさと寝た。





 というわけで、早起きした。

 早起きして学校に行くとどうなるかというと、変わったものが見られる。


 まだ、向こうはおれに気付いていなかった。気付かないまま、教室の隅にうずくまっている。がちゃがちゃとたった一人で、機械と格闘している。


 ちょうどいいや、と思った。

 おれは教室の後ろのロッカーを見た。確かこのへん、と開く。ヤカンが入っている。いくら何でもそのまま使うのは衛生的にどうなんだと思うから、一旦教室の外に出る。洗い場で洗剤まで使って、夏の間に溜まっていたかもしれない雑菌を洗い流しておく。


 水を溜める。

 教室に戻る。


「あ~……」


 すると、仕事は終わっていた。

 おれより先に教室に来ていたそいつは、ストーブの前に座っている。


 石油ストーブだ。備品室に置いてあるのを一人でえっちらおっちら引っ張ってきて、石油も屋外の倉庫から引っ張ってきたんだろう。寒さにやられたのか、後ろから見ても耳が赤い。いかにもありがたそうに、めらめらと燃えるストーブの灯りに手をかざして、温泉に入ったカピバラみたいな声を出している。


「おいっす」


 後ろから挨拶する。

 ヤカンをストーブの上に置く。沸くまでに色々準備をしようと、すぐに踵を返す。


「おい?」


 ごきっ、と首が鳴るような勢いで、服の裾を引っ張られた。


「なんだよ」

「なんだよ、じゃないんだけど? 何か私に言うことあるよね?」


 いかにもな笑顔で見上げられる。わかりやすいヒントとして、そいつはストーブを指差している。おれはわかりやすいヒントに基づいて、答えを出す。


「お勤めご苦労」

「――見てたなら手伝うべきだよね?」


 窓架が激昂している。

 今日も朝から、クラスメイトが元気だった。


 服の裾は引っ張られたまま離されない。それこそ蛇のような執念深さだった。そのまま窓架はくどくどとおれに説教を始める。時間の経過を考えるときみはどう考えても私がせこせこストーブを用意しているのを尻目にのんきに水を張ってたわけでしょ。そういう風に仕事を人に押しつけて生きて恥ずかしくないの?


 わかったわかった、とおれは暴れ馬を諫めるように両手をかざし、


「取引しよう」

「へえ、どんな?」

「そのヤカン、カップ麺用なんだ。朝食ってないから。窓架はもう食ったか?」


 何も答えないが、顔が「まだ」と言っている。


「よし、一個分けてやるから。それでストーブの労賃にしよう」


 解決、と勝手に宣言してみると、窓架も「よし」と答えた。わかりやすい奴で、大変助かる。

 というわけで、二人で連れ立って、教室のロッカーを開いた。


「……おい?」

「どれでも好きなのを選んでいいぜ。おれは心が広い」

「一種類しかないよね?」

「賞味期限が違うだろ。鮮度を見ろ、鮮度」

「しかも全部同じやつだよね?」

「ああ。これが一番美味いからな」

「『みかんラーメン』だよね?」

「ああ」


 おれは頷いた。


「超美味い」


 窓架が高校生離れした殺気を放ち始めた。


 果たしてこれは正当な怒りなのか? おれは真剣に考え始めてしまった。確かに、石油ストーブを準備しているのを放置して、成果にただ乗りしたのは悪かった。しかし朝飯を奢ってやるとまで言ったのにここまで怒られる理由があるだろうか。人と人との間に生まれる感情は、いつも複雑で不可思議なものだった。


 それはそれとして、窓架が不穏な動きで間合いを詰めてきた。

 そのとき、ちょうど教室の入り口に新たなクラスメイトが現れた。


「わ」


 いかにも寝不足そうにふらふらと入ってきたそいつは、おれと窓架の一触即発を見て声を上げると、間に割って入ってくる。


 それからおれを庇うように、ばっと両手を広げる。


「け、怪我人だから」

 百羽だった。


 おれはその頼りになる背中を見て、後ろからぎゅ……と抱き締めるという新たなギャグを無性に試してみたくなったが、一線を越えていると思われたので、生涯使わないことを心に決めておいた。こういう日々の積み重ねが、健全な人間を生んでいく。


「怪我人?」


 窓架が訊く。すると、かくかくしかじかと百羽が昨日の出来事を説明する。

 うんうん、とおれは頷く。


「でもこいつ――」


 窓架がおれを指差し、かくかくしかじかとついさっきまでの出来事を説明する。

 うんうん、とおれは頷く。


「えっ、全部これ『みかんラーメン』なの?」


 百羽が呆れた顔をして、ロッカーを覗き込む。


「えー……異常だよ」

「美味いんだって」

「そうじゃなくて、一種類のラーメンばっかり買い込むのが。カップ麺って色んな味を楽しむものでしょ。みそとか、とんこつとか」

「は? しょうゆ以外食べる意味ないけど」

「え?」


 窓架は物事の火種を作るのが本当にお上手で、朝から二つ目の火種を作り始めた。え、でもみそとかも美味しいよ。百羽がとても正しい反論をする。いやみそラーメンとか味噌汁飲んでればいいだけだから。窓架が支離滅裂な再反論をする。完全にどうかしている。


「――あるから! 美味しいみそラーメン! 一番美味しいから!」


 百羽もまた激昂を始めてしまい、収拾がつかなくなった。この教室はもう終わりだ。ぴーっとヤカンが音を吹く。おれはみかんラーメンを一つ手に取って、ストーブに近付く。粉末スープとかやくを入れて、お湯を注ぐ。


「おは……なんだ。朝からすごいな」


 最後のクラスメイトが来た。

 ラーメン大激戦を繰り広げる二人を見て、関わり合いになりたくないのか、あずきはカバンを席に置くことを諦め、おれとストーブの近く、教壇に腰を下ろした。


「それ、美味い方のやつか?」

「どっちも美味いだろ」

「訊き方が悪かった。ゼリーじゃない方のやつか?」

「普通のスープの方」


 普通の方か、とあずきは言って、


「それ美味いよな、塩系で。色がすごい割に、がっつりいきたいときはちょっと物足りないけど」

「がっつりいきたいときはゼリーの方があるだろ」

「あれは俺には理解できなかった」


 本当に理解できなかった、と付け加える。まあおれも、あっちの生臭い感じの『みかんラーメン』については無理強いはできない。


「一口食うか?」

「いや。がっつりいきたい。豚骨とかストックしてないか?」

「ない」


 そして、あずきのロッカーはとてもではないが食品を保存できるような衛生状態ではない。

 じゃあ、とあずきはカバンから財布を取り出す。そして果敢にも、


「今からコンビニ行く奴」


 呼び掛けに応じて、サーカスみたいな賑やかさでクラスメイトが教室を出ていく。さて、とおれも腰を上げる。いくら何でもヤカンの中に三人分のお湯は入っていない。争いになる前に、洗い場で水を入れてきてやるか。


 あとあずきも、衣替えのことを忘れてるみたいだから上着の一枚でも用意してやろう。

 そこまで考えてから、あ、と気付く。


「……三分、計るの忘れてた」


 その後のホームルームの内容は、全然覚えていない。

 四人で手紙を回して、延々ラーメンの話をしていたから。





 わ、とベランダの方から声がした。

 ので、おれは窓を開けて外に出てみた。


「おー」


 とんでもなく寒い夜だった。

 というのはともかく、どうして声がしたのかはすぐにわかった。


 一日の終わりに、雪が降っていたからだ。


「あ、玲ちゃん」


 ちょっと手すりに寄り掛かるようにすると、仕切りを越えて、隣のベランダにいる百羽と目が合う。百羽はクリスマスプレゼントを手にした子どものような顔で、


「ね、雪、雪」

「な。寒いと思った」

「積もるかな。積もったら明日みんなで雪合せ――」


 そこまで言ってから、笑顔が消える。

 急に心配そうな顔になって、


「玲ちゃん、頭冷やして大丈夫? 怪我、平気?」


 おれは、かなり不思議な気持ちになった。

 だから、思い切って訊いた。


「何かあったのか?」

「え?」

「いや、なんか昨日から様子が変だから」


 何だか妙に過保護にされている気がする。

 頭を打ったからとか、そういうわけじゃない気がした。いつもの百羽だったら、蛇がどうとか言っていても「あーはいはい」で終わったと思う。それ以前に、冬服を取りに行くときだって、外出用のコートがなければ「貸してー」くらいのことは言ってくる。


 避けられているというわけではないにしろ、何かがおかしい。

 というわけで、直球で訊いてみた。


「へ、変かな」

「うん」

「どのへんが?」

「どのへんがっていうか、全体的に。なんかあったのか?」


 百羽は答えない。

 何もなかったというより、実際に何かあり、しかしそれを口にするのは躊躇われるという表情で。


 おれは一応、記憶を探ってみた。思い当たるところはない。しかし、このまま時間が経過していっても余計に切り出しづらくなるだけだ。とりあえず会話の助走を作ろうと、


「おれが死ぬ夢でも見たか?」

「そうじゃない、けど」


 いかにも当たらない冗談を言えば、後はその「けど」の続きが出るかどうか。

 百羽が顔を上げる。じっと、瞳を見つめてくる。


 もう一回試してみることにした。


 瞼を瞑る。

 ふふっ、と百羽の笑う声が聞こえて、目を開ける。


「どんな距離?」


 はは、とおれも笑い返せば、それで吹っ切れたらしかった。はーあ、と百羽は手すりにつかまって身体を仰け反らせる。仕切りの奥から、白い息だけが夜に上ってくる。


 ぐん、ともう一度乗り出すようにして、


「ね。今朝、コンビニ行ったときおでん出てたよ、おでん」

「お、いいな。行くか」

「行こ!」


 部屋に引っ込む。財布を持つ。扉を開ける。先に、百羽が出ていた。


「あれ、窓架ちゃん」


 そして、もう一人廊下に立っていた。


 鍵を錠に差し込みながら、おれは百羽が窓架に話しかけるのを見ている。今からおでん買いに行くんだ一緒に行かない? おれは鍵を回して、それから少しだけ立ち止まって考えている。もう一回部屋に戻ろうか。風呂に入ったばかりだし、傘があってもいいかもしれない。


 だって、雪が降ってるんだし。



「――なんで、廊下に雪?」

 と、窓架が言った。



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