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二十五重の塔  作者: quiet
21/24

21 展望台



 ほとんどは、知っていることばかりだった。


 おれでこれなんだから、あずきと窓架なんかは多分、ほとんど何も見なかったんじゃないかと思う。おれたちはほとんどの時間を、三人や四人で過ごしてきていたから。関連する記憶だって前から結構な量を引き出していたから、新しく思い出さなくちゃいけないような時間なんて、ほとんどなかった。


 強いて言うなら、一つだけ。

〈塔〉に来るよりも、ずっと昔の話だ。


 母さんの言葉を信じるなら、百羽は七つより上の年齢だったはずだ。でも、それ以上のことはわからない。七歳だとか九歳だとか、そんな細かいことはちょっと顔を見ただけじゃわからないし、何より、そんなに古い頃の記憶だから、その輪郭だってはっきりしない。


 その頃おれは、まだ蛇のまんまだった。

 尻尾を掴まれて、百羽にぶん回されたりしていた。


 だけど、そうじゃない場面ももちろんあった。たとえば、並んでテレビを観たりすることもある。記憶にあるのは、そんないつかの一つ。国南家のリビングで、テレビの前に座っている。


 アニメが流れていた。


 未来から来た女の子に唆されて、男の子が世界を救う、みたいな話だったと思う。古臭いニュースよりは、アニメの再放送の方がよかった。おれたちは、母さんも祖母さんもどっかに行ってしまった家の留守番同士、大人しく座って、食い入るようにテレビを観ていた。


「このキャラ」

 と、百羽が画面を指差した。


 新しいキャラクターが出てきたところだった。未来から来た女の子とは別の、未来から来た男の子。キザな喋り方をしていて、顔が格好良くて、多分、ヒロインのどっちか――もしくはどっちも――に甘い言葉を囁いてた。


 あまつさえ、「挨拶さ」みたいなことを言ってキスをした。


「かっこいい」


 本気かよ、とおれは思った。

 アニメを観るのをやめて、まじまじと、隣に座っている百羽の顔を見つめてしまった。


 何も考えてなさそうな顔だった。というか多分、何も考えてなかった。多分そのキャラの顔が好きなだけだった。にしてもさあ、とおれは思った。こんないかにもちゃらちゃらしてる奴がかっこいいって。こんなのがいいのかよ。本当に?


 趣味悪いって。

 そんなんじゃいつか絶対、ろくでもない奴に捕まるって。


 それなら――って。


 百羽も思い出してたらちょっと嫌だな、ってなるような、古い記憶。

 まあでも、こんなこと、どうせ覚えちゃいないか。





「あ、こっちは起きた」


 ぱ、と目を開くと、まずはそうして状態を確認される。平気か、とあずきが訊ねる。平気、とおれは答える。


 もう慣れた。

 一方、慣れていない人は、


「おーい?」

「…………」


 目の前で手のひらを振ってみても、まるで反応しない。「Now Loading……」と窓架が呟く。本当にそんな感じだった。全然瞬きもしてないように見える。壊れたパソコンみたいになった百羽を見ていると、おれは何とも言いがたい気持ちが湧いてきて、とりあえずその瞼を閉じてやろうかなと思った。


「――はっ」


 そのとき、起きた。


 結構な至近距離で目が合う。最初、百羽は一体自分がどんな状況にあるのかわからなかったに違いない。わかるようになる。口を四角くする。


「わーっ!!!」

「ぐえ」


 顔の真ん中を、思い切り手のひらで押された。


 百羽が早足で窓架の後ろに隠れる。おれの背中はあずきにぶつかる。一体何したんだ、と訊かれる。おれが何かしたのは確定なのかよ、と思う。


 でも、何が原因なのかは想像がついた。


「いや、あれはおれじゃなくて――」

「それ後でもいい? 二人になったときとかで」


 口にしようとした言い訳は、呆れた顔の窓架に遮られる。容赦がなかった。窓架は百羽に振り向いた。


「で、実際どうなの。『総理大臣』にはなれた?」

「あ、」


 言われて百羽も、ようやく何のためにここに来たのかを思い出してくれたらしかった。別に、あずきがなりたい魔法少女みたいに『総理大臣』になったところでコスチュームが変わるわけでもないから、その新しい服を着たときみたいに、くるくる回って自分の恰好を確かめる仕草は全く無駄に思えたけれど。


「……多分」


 何とも不安になる答え。

 けれど、そこからの百羽は、結構すごかった。


 まず、忘れそうになることではあるけれど、二十四階のこの部屋は、単におれたちの記憶を保管しているっていうだけの場所じゃない。たとえば、おれと窓架が最初に来たときは、百羽の祖母さんのために薬のストックを調達することができた。それに、夜にもう一度来て確かめたときには、ここのパソコンを使って、コンビニの品物を作り出すこともできるとわかった。


 百羽は、そのパソコンの前に座っている。

 最初の頃は、マウスを弄ったり、キーボードをかたかたやっているだけだ。それでも、その動き自体がおれの知っている百羽のイメージからはかけ離れている。まるで複雑な曲をピアノで弾いているみたいに、指先の動きが淀みない。


 何かのアプリケーションが開く。

 何かをぶつぶつ呟きながら、百羽がそのアプリケーションに入力していく。何度か現れて、何度か消えたのは、有機化合物の化学式だったと思う。


 最後に、百羽は表示された文字を確認する。

 製造開始、のボタンを押した。





 その目が開いたのを見たのは、一体いつぶりのことだっただろう。

 コンビニの奥の部屋。畳に敷かれた布団の上で、百羽の祖母さんは、その瞼を開けた。


「お祖母ちゃん」

 百羽は、泣きそうな顔をして祖母さんの手を握っていた。


「……そうか」


 元々が、母さんが言っていた通り賢い人なんだと思う。倒れて起きたら今、という状況のはずなのに、祖母さんは少し部屋の中に視線を巡らせただけで、多くのことを察したようだった。


「思い出したんだね」


 百羽は別に、『総理大臣』になって懸賞金をかけられるためだけに、かつて央都に出ていったわけじゃない。学ぶためだ。このぐちゃぐちゃになった世界で、残されたものを。


 その中には、化学の知識も、医療の知識も入っていた。

 少なくとも、ここにいて得られるものよりは、ずっと進んだものを。


 おれや母さんの血と合わせれば、十分に祖母さんを目覚めさせることができるくらいの。


 ほう、と祖母さんは息を吐いた。おれは、あらかじめ用意しておいたぬるま湯を差し出す。少し頭を下げて、祖母さんはそれを受け取る。百羽に向けるのと大して変わらないような目で、おれを見る。


 全員を見る。


「大きくなったね」


 一方で祖母さんは、小さくなったように見えた。


 不思議だった。眠っていたときの方が、ずっと大きかったように感じる。あの頃は、ちょっと祖母さんが目を開けて動き出しただけで、おれたちは気圧されたみたいに動けなくなっていたのに。


「行くんだろう」

 と呟く祖母さんは、背中まで丸まって見えた。


 肩の荷を下ろしたら、急に痩せてしまったかのように。おれは少し怖くなった。まだ、そんな年でもないだろうに。


 百羽の髪に触れた手は、枯れた木の皮が擦れるような、不思議な音を出した。

 本当にゆっくりと、祖母さんは百羽の頭を撫でていた。


 まるでその遅さが、愛の長さを表すみたいに。

 忘れていた時間を埋めるかのように――これからの時間を、埋めておくかのように。


 百羽が、祖母さんに抱き着く。祖母さんが傾く。それでも、孫娘を抱き留める。背中に手をやる。やっぱり、その手つきは優しくて、


「元気でやるんだよ」

「出ていかない」


 百羽が言った。

 祖母さんが、目を見開いた。


 おい、とおれは横入りしようとする。祖母さんがまた心臓を悪くするんじゃないかと、気が気じゃなかった。でも、もしかしたら祖母さんを抱きしめていた百羽には、その心臓の動きだってわかっていたのかもしれない。


 そこから先は、迷わなかった。


「捨てていったりしない。ちゃんとここで、迎え打つ」





「――え?」

 おれが母さんにその話をしたときも、やっぱりそういう反応を返されることになった。


 百羽が二十四階に入っていく前の話。入るよってことを伝えに来た職員室で。


 同じように、別れの言葉を告げられたから。

 百羽と同じように、おれは言った。


「だから要は、百羽とかおれの存在がバレても、そのまま押し通せればいいんだろ? この場所を捨てて遠くに逃げるんじゃなくて、そっちを試してみるよ」

「押し……」


 通すって、とほとんど声にならずに、唇だけで母さんは言う。


「私たちのことを気にしてるなら、」


 勝手におれたちの、腹の裏を読み始める。


「そんなの考えないで。私たちはもう十分――」

「おれたちも、もう十分育ったよ」


 おれは、その反論に苦労しない。


 何を言うかは、大体わかってたから。

 おれは多分、母さんにそっくりに育ったから。


「別に、命を犠牲にしてでも助けてもらおうとか、守ってもらおうとか、そんなこと期待しなくなったってこと。……寄り掛かってるばっかりのガキでもなくなってきたんだよ」


 だって、とおれは言う。


 社会ってそういうものだろ。

 まあ、ほんとのところそんなの、テレビの再放送とか、図書館に残ってた本くらいでしか見たことないけどさ。


 でも、そうだろ。

 大人になるって、つまり――



「貰ってるばかりじゃなくて、支え合おうとするってことなんじゃないの」



 そう告げた母は、呆然としていた。

 そんなもんだろうな、とおれは思った。多分、母さんはおれのことをわかっていたから。おれからこういう話が出てくるとは、全く思ってなかったから。


 おれ自身、おれ一人だったら、多分こんな言葉は出さない。

 おれは、振り向かずに走っていく人の背中を押す気持ちが、すごくよくわかるから。


 でも――


「……って、百羽とかが言ってました」


 四人で話していると、一人じゃ到底出てこないような結論も出てくる。

 おれは、続けざまに言った。


「何かないの、母さんは」

 母さんが動揺する。何かって、と繰り返す。


「他にやりたいこととか。何かないの。こう、おれたちの世話してくれる以外に、何かさ。自由になって、暇になったらやりたいこととか」


 未来の話をしたのは、アドリブだった。

 別に、こんなことを話してくるつもりは、最初はなかった。


 ただ、急に色んなところから投げ出されたみたいに力の抜けている母さんを見ていたら、つい口を突いて出ただけの質問。


「何か、」


 母さんも、当然アドリブだった。

 おれ以上だと思う。全然予想してなかったことと立て続けに言われて、その上、そうやって心に隙間が空いたところに、今まで考えたこともなかったような質問が深く入り込んでくる。


 だから、多分。

 それから口にした答えは、母さん自身、思いがけないような本音だったんだと思う。


「――恋……」





「訊くんじゃなかった……」


 隣で窓架が、腹を抱えて笑っている。

 それからの、二十五階でのことだった。


 職員室で母さんに挨拶を済ませて、二十四階で百羽の記憶を取り戻して、コンビニの奥で百羽の祖母さんにも挨拶を済ませて、それから。


 二十五階の、だだっ広い展望台で、おれたちは時間潰しに話をしている。

 勝手に、ジューススタンドを補充したりして。くたびれたカフェの椅子に、腰掛けたりして。


「ちょっと、窓架ちゃん」

 ばし、と百羽が窓架の背中を叩いてくれた。


「失礼でしょ。笑わないの」

「だって普通、子どもに言う?」


 窓架は全然笑いを収める気配がない。あははは、と天井を仰ぐ勢いで大笑いしている。それからおれに訊く。玲ママ――あ、名前で呼んだ方がいいか。何? 玲ママなんて言うの? 


「めちゃくちゃ長い名前を大量に持ってる」

「直近の、直近の。志杖って名字つけてからのでいいから」

「凛」


 あははははは、と何がおかしいのかさらに窓架は笑った。私好きだわ凛ちゃん、と人の母親をちゃん付けで呼び出した。


「玲」

 そしてあずきも、やたらにキリッとした顔で、


「やっとくか。練習」

「何のだよ」

「凛さんが新しい恋人を連れてきたときのだ」

「何をやらせようとしてんだよ」

「あっ、じゃあ私、ふふっ、恋人やる」


 最悪だよ、とおれは言った。あずきが立ち上がる。窓架も立ち上がる。

 こら、とようやく百羽が諫めてくれる。


「やりすぎ。玲ちゃん困ってるでしょー」

「いや、練習はしといた方がいいよ。だって凛の恋人が家来たらどうすんの」

「人の母親呼び捨てにすんな」

「いや、もう私は玲ママとして見てないから。一人の人間……人間じゃないか。個別の生命体として見てる」


 おれはうっすらと気付き始めていた。

 こいつ、自分の親の消息がわからないという情報の差を活かして、おれを攻撃し始めている。


「ほら、今から笑顔の練習しときなよ。で、言いな。『こんにちは、いつも母がお世話になってます』って」

「こんにちは、いつも母がお世話になってます」

「あははははは!」

「最悪だろ、初見で大笑いしてくる親の恋人」


 もう設定は忘れたらしかった。あははどうこれ、とあずきに話を振る。どうって、と流石にあずきがおれを見る。もう自棄だった。にこっと爽やかに笑って「こんにちは!」あずきも爽やかに笑い返して「こんにちは!」窓架が呼吸困難に陥り始める。このまま息の根を止めてやろうと思った。おれは百羽の方を見る。にこーっ、ととびっきりの顔で笑って、


「こんにちは!」

 ああ、うん、



「大丈夫。玲ちゃん可愛いよ」



 すうっ、と空気が戻った。

 おれもそうだが、あずきもびっくりしたように百羽を見た。


 窓架も、一瞬で笑いが引っ込んだ。天体の観察をする科学者みたいな顔で、百羽を見た。


 急に静まり返った二十五階で、百羽は急に居場所をなくして、


「――えっ!?」

 叫ぶ。


「えっ!? なっ、だっ、い――罠!?」

「私なんかパンとか食べようかな。お腹減ってきた」

「俺も」


 窓架とあずきが立ち上がる。完全に百羽を無視している。えっ、えっ、と百羽は助けを求めるように二人を見る。


 おれのことも、見る。

 見られても、と思ったときのこと。


「あ」

 窓架が、声を上げた。


 このやり取りをしている間中ずっと、窓架の指からは糸が伸びていた。展望台、飛び降り禁止のために嵌め殺されていたはずの窓を無理やり開けて、そこから外に向かって張り巡らされた糸。


「来た」

 今は、それがピンと伸びている。


「よし」

 とあずきが腰を伸ばす。腕輪の調子を確かめるように、右手を二度三度、左手で触る。


 窓架も同じく、準備を始める。オーケストラの指揮者みたいに指先を動かしながら、その感触に集中しているんだろう、宙を眺めている。


 一番緊張して見えるのは、言い出しっぺの百羽だった。

 立ち上がっている。どっちの方向から来るかもまだわかっていないのに、窓辺に寄って、空を眺めている。


 だから、


「大丈夫だよ」

 ぽん、とおれはその背中を叩いてやった。


 百羽が振り向く。いつの間にか、と思った。昔は下から見上げていたのに、今は、上から見下ろしている。


 それで何かが変わったとは、本当はおれは、思ってなかったんだけど。


「おれたちがついてる」


 囁く。うん、と小さく百羽が頷く。


 空を見上げる。


 影とUFOが、押し寄せてくる。



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