第二章 青い光と片道切符
野菜炒めを、私は立ったまま半分だけ食べた。
残りをそのままにして、小さな木目調のテーブルの前に座る。数年前、「丁寧な暮らし」に憧れて買ったこのテーブルは、今では郵便物と、飲み残しのサプリメントの袋と、充電ケーブルの定位置になっている。丁寧な暮らしのために買った家具の上に、丁寧ではない暮らしが堆積している。
ノンアルコールビールのプルタブを引き、喉に流し込んだ。炭酸の刺激が、仕事モードから抜けきらない脳を無理やり止めようとする。けれど身体は疲れているのに、意識の奥のほうだけがひどく冴えている。眠るための助走が、年々長くなっている気がした。
右手の指が、勝手にスマートフォンを掴んでいた。
スワイプでロックを解除する。網膜を刺すような、冷たい青い光。これが私の夜の飼料だ。餌をやっているつもりで、飼われているのは私のほうだった。
真っ先に開くのは、インスタグラムの検索タブ。
検索履歴には「#地方移住」「#Uターン女子」「#丁寧な暮らし」「#古民家リノベ」といった単語が、上から順に並んでいる。私はそれを、義務教育の教科書をめくるような真面目さで、順番にタップしていく。
最初に現れたのは、先月フォローした『リナ|淡路島でカフェ作り』というアカウントだった。
写真はどれも彩度を落とした統一感のある色で、焼きたてのスコーン、木漏れ日の差す古民家の窓辺、麻のリネンシャツを着て穏やかに笑うリナ。彼女は私と同い年で、以前は丸の内の大手金融機関にいたという。
〈東京での毎日も充実していたけれど、どこかで「自分」を置き去りにしている気がしていました。今は、朝の鳥の声で目覚めて、土の匂いを感じる。それだけで、私の心は満たされています。〉
私は小さく息を吐いた。
彼女の「満たされている」は、コンビニ弁当を半分残した私の夕食を否定しているわけではない。誰も私を責めていない。それなのに、その言葉が正しすぎて、私が選んできた九年間が、ひどく泥臭くて無意味な足掻きだったように思えてくる。
私は彼女の投稿を、一番古いものまで遡った。指が痛くなるほどスクロールした先で、三年前のリナに行き着く。
そこにいたのは、まったく別人だった。ブランドのパンプスを履き、テラス席でシャンパングラスを傾けている。ハッシュタグは「#女子会」「#丸の内」。その頃の彼女は、今の私が必死にしがみついている価値観のど真ん中にいた。
なぜ、この人はすべてを捨てられたのだろう。
いや、捨てたように見えるだけかもしれない。私は、そう思ってしまう自分の底意地の悪さに気づいて、画面から目を離した。
検索の海をもう少し深く潜る。
ブックマークに入れたままの、匿名のブログを開く。タイトルは『東京に戻ってきました。移住失敗の記録』。
〈地元の人は優しかった。でも、それは「お客さん」として接していた時だけ。移住した途端、生活のすべてを見られて、プライバシーはゼロになった。そして何より、仕事がない。時給八百円のパートで、東京と大して変わらない家賃を払い続けるのは無理だった。〉
理想に燃えて飛び込み、一年で貯金を使い果たして東京のアパートに逃げ帰ってきた女性の独白。文章の端々から、毒のようなものが滲んでいる。
それを読みながら、私の胸の中に、どろりとした黒いものが湧き上がってくるのを感じた。
——安心。
私は、彼女の失敗に安堵していた。
ほら、やっぱり難しいんだよ。私が行かなくて正解なんだよ。そう自分を納得させるための材料を、私は必死にかき集めている。自分の勇気のなさを正当化するために、会ったこともない誰かの不幸を必要としている。
スマートフォンの画面に、自分の顔が薄く映っていた。青い光に照らされたその顔は、昼間オフィスで作っているどの表情とも違って、卑しかった。
通知欄に、赤い印がついていた。
地元の親友、真紀からのLINE。
『真帆、元気してる? こないだ隼人が熱出して大変だったよー。真帆も忙しいと思うけど無理しないでね。お母さんが、真帆ちゃん最近帰ってこないねって言ってたよ。連休、帰ってこない?』
真紀は高校を出てすぐ地元の信用金庫に就職し、二十二歳で同級生と結婚した。今は二児の母で、実家から車で十分のところに建てた家に住んでいる。
アイコンは、公園の砂場で遊ぶ子どもたちの写真だ。その背景に写っているのは、私が見慣れた、けれどもう何年も踏んでいない地元の公園の地面だった。
真紀と話をすると、いつも自分の立ち位置が分からなくなる。彼女にとって地元は「守るべき生活」の場所で、私にとって地元は「逃げ場所」か「捨てた場所」のどちらかでしかない。同じ土地の名前を、私たちはまったく違う意味で使っている。
けれど、私は覚えている。真紀がかつて、東京の大学へ行く私を、どんな目で見送ったかを。
「真帆はいいよね。何にでもなれる気がするでしょ。東京には何でもあるもんね」
あのときの「何でもある」という言葉を、今の私はもう正しく受け取れない。今の私にとって東京にあるのは、選べすぎるほどの選択肢という名の、出口のない迷路だけだ。
返信を打とうとして、指が止まった。
『元気だよ、仕事も順調。落ち着いたら帰るね』
その二十文字ほどの嘘を打つのが嫌で、結局、既読だけをつけて画面を伏せた。伏せた瞬間、自分が真紀に対して失礼なことをしたのだと分かったが、指はもう動かなかった。
部屋が静まり返る。
冷蔵庫のブーンという低い唸りだけが、妙に大きく聞こえる。
この部屋に、私の歴史は何ひとつ刻まれていない。引っ越してきた日から壁の傷は増えず、家具も動いていない。私はここで生活しているのではなく、ただ滞在しているだけだ。滞在は、いつでも終われる。だから安心で、だから寒い。
ふと、クローゼットの隙間から、赤いスーツケースの角がのぞいているのが目に入った。
上京したあの日、夢と不安を詰め込んで持ってきたものだ。今はもう、扇風機の箱と衣装ケースに押し潰されて、半分ほどしか見えない。
あの日の私は、九年後の自分がこんなに薄暗い部屋で、知らない誰かのSNSを盗み見ては一喜一憂しているなんて、想像もしていなかった。
もし今、全部投げ出して地元に帰ったら。
「長谷川さんとこの娘さん、東京で失敗して帰ってきたんですって」
その噂話が、あまりに簡単に想像できる。地方の優しさは、時々刃物みたいに鋭い。
それとも、このまま東京で「誰かいい人」が見つかるまで耐えるべきなのか。マッチングアプリのプロフィール欄に並ぶ「年収」「長男か次男か」「喫煙の有無」という条件の羅列。そういうフィルターで誰かを選び、私自身も「二十七歳」「都内勤務」「アパレル」というラベルで査定される。
画面がまた光った。ニュースの速報。都内の地価が上昇したという。
目の奥が熱い。青い光を浴びすぎた日は、いつもこうなる。
私はスマートフォンを枕元に伏せ、布団に潜り込んだ。
カーテンの隙間から、東京の夜空が見えた。星はひとつもない。ビルから漏れた光が空を白く濁らせ、偽物の昼間を薄く広げている。
眠りに落ちる直前、頭をよぎったのは、リナが書いていた「土の匂い」という四文字だった。
それは、どんな匂いだっただろう。
思い出そうとして出てきたのは、雨上がりのアスファルトの匂いだけだった。
実家の裏の畑の土を、私は九年間、一度も踏んでいない。
そのことに軽く絶望しながら、私は泥のような眠りへ落ちていった。
翌朝、洗面所の棚で、色褪せたヘアオイルが目に入った。上京した最初の月、表参道の美容室で背伸びをして買ったものだ。八千円という値段に手が震えたのに、捨てられないまま九年が過ぎていた。
ラベルに触れた途端、長野駅のホームの冷たさが蘇った。
九年前の三月。私は長野駅のホームに立っていた。
足元には、前の晩に何度も詰め直してはロックが閉まらなくなり、最後は父に膝で押さえてもらってようやく閉じた、真っ赤なスーツケースがあった。
三月の長野のホームは、まだ息が白かった。
「真帆。忘れ物はないか。仕送りは、毎月決まった日に振り込むからな」
父は、普段の厳格さをどこかに置き忘れてきたような、頼りない声で言った。定年まであと数年という年になって初めて、私はこの人の声がこんなに小さいことを知った。
「……うん。わかってる。お父さんも、お母さんも、元気でね」
母は何も言わなかった。ただ、私のマフラーの形を何度も整えていた。三回目に整え直したとき、その手が微かに震えているのが分かって、私はいたたまれなくなり、わざと大きな声で「じゃあ、行くね」と言って、新幹線のドアの向こうへ逃げ込んだ。
席に着いてから窓の外を見ると、二人はまだホームに立っていた。母が小さく手を振り、父は手を振らずに、ただこちらを見ていた。
新幹線が動き出す。見慣れた山並みが加速して、後ろへ流れていく。
そのとき私の胸を満たしていたのは、両親への感謝でも、別れの寂しさでもなかった。
——やっと、逃げ出せる。
罪悪感を少しだけ含んだ、解放感だった。
地元の町は、私にとって「予告編だけで終わる映画」のような場所だった。
誰がどこの大学に行き、誰と誰が付き合い、誰の家の車が新しくなったか。そんな些細なニュースが光の速さで駆け巡り、個人のプライバシーは霧のように薄い。中学の同級生の母親が、私の模試の結果を知っていたことがある。私は誰にも言っていなかった。
「女の子なんだから、そんなに遠くに行かなくても」
「地元にいたほうが幸せだよ」
悪意のない言葉ほど、外しにくい鎖になる。あの町では、善意が私の足首に絡みついていた。
東京に行けば、私は誰の娘でも、誰の同級生でもない、ただの私になれる。何にでもなれるし、どこへでも行ける。あのとき私は、東京を魔法の国だと本気で信じていた。
新幹線の車内で、母が持たせたおにぎりを開いた。海苔は少し湿り、具は鮭だった。隣の席の女性が駅弁の蓋を開ける音を聞きながら、私は急に泣きそうになった。
けれど東京駅へ着く頃には、その気持ちは人波に押し流されていた。大学の先輩が改札で待っていて、「ここからが本番だよ」と赤いスーツケースを持ってくれた。私は振り返らなかった。
人の波、広告の洪水、途切れないアナウンス。排気ガスの匂いが肺の奥まで入ってきて、都会の毒に当てられたようで、それでいて心地よかった。
入学式の日、日本武道館の大きな屋根を見上げながら、私は自分の未来に一点の曇りもないと確信していた。今日から、物語が始まるのだと思っていた。
最初の数年は、まさに「キラキラ」という言葉そのものだった。
深夜のドン・キホーテで、意味もなく変な帽子をかぶって笑い転げた。初めて飲んだ、一杯千二百円のラテ。値段に驚いて、味は覚えていない。
週末になれば、おろしたてのヒールを鳴らして渋谷へ向かった。ハチ公前を抜け、スクランブル交差点を渡る。巨大なビジョンから流れる音と、圧倒的な人の数。その渦の中に身を投じることが、当時の私にとっては、東京という物語の主人公になるための儀式だった。
SNSに上げる写真は、どれも彩度が高かった。
〈東京生活、最高!〉〈もう帰りたくない(笑)〉
その投稿につく「いいね」が、私の生存証明だった。消費すること、刺激を受けること、そして何より「ここにいること」そのものに、私は価値を見出していた。
大学一年の夏、私は原宿のカフェでアルバイトを始めた。注文を聞き取れずに何度も叱られ、休憩室で泣いた。それでも、地元では雑誌の中にしかなかった通りを、自分が制服姿で歩いていることが誇らしかった。
最初の給料で、母へストールを送った。値札を見て迷い、結局セール品を選んだ。母から届いた写真には、真夏なのにそのストールを首へ巻いて笑う姿が写っていた。
二年目には、家賃の安い部屋へ引っ越した。洗濯機置き場は廊下にあり、隣人の目覚ましが壁越しに聞こえた。それでも、鍵を回せば誰にも行き先を尋ねられない部屋があることが嬉しかった。
東京が与えてくれたのは華やかさだけではない。失敗しても、翌日には誰も覚えていない気楽さだった。私はその気楽さに守られながら、それを当たり前の空気として吸い込んでいった。
三年の冬、真紀が上京してきた。二人でスクランブル交差点を渡り、展望台から夜景を見た。
「毎日こんな景色を見られるの、いいなあ」
「住んでたら見ないよ」
得意げに答えた私に、真紀は少し寂しそうに笑った。その表情の意味を、当時の私は考えなかった。
卒業が近づく頃、父から「地元の会社も受けてみたらどうだ」と電話があった。私は求人票を見る前に断った。帰ることを検討しただけで、東京で過ごした四年間が仮住まいになるような気がしたからだ。
就職活動のときも、迷いはなかった。地元に帰るという選択肢は、一秒たりとも頭をよぎらなかった。
「せっかく東京の大学まで出たんだから、こっちで働かないと損だよ」
誰が言ったのかも覚えていない言葉を、私は自分の意志だと思い込んでいた。リクルートスーツに身を包み、分刻みで地下鉄を乗り継ぎ、面接で「御社の一員として」と繰り返した。
鏡の中の私は、あの日の高揚を失った代わりに、東京で生き延びるための手順を身につけていた。乗換案内を見ずに地下鉄を歩き、会議では迷いのない声を作り、疲れていても口紅だけは引ける。
それは敗北ではない。けれど成功と呼ぶには、朝の顔があまりに疲れていた。
私は古いヘアオイルをゴミ箱へ入れようとして、結局、棚へ戻した。捨てるか残すかさえ決められないまま、玄関でパンプスに足を入れた。




