8、リゼリア決意する
義母と義妹の一件以来、クロード殿下は以前にも増して過保護になった気がする。
公爵家から届く手紙は、いつの間にか殿下が先に目を通すようになっていた。
「君が傷つくようなものは見せたくない」
そう穏やかに笑われてしまえば、嫌だとは言えない。
以前、侍女と少し長く話していた時もそうだった。
次の日から、その侍女は私の部屋へ来なくなってしまったのだ。
偶然かもしれない。
そう思おうとしているのに、胸の奥に小さな棘のような違和感が残っている。
それでも――。
「君の家について調べさせてもらったが……今まで、本当によく耐えてきたな」
「ローズの言っていたことも、間違いではないのです」
私はどこか自嘲気味に笑っていた。
「私はずっと、完璧であろうとしていましたから。周囲の期待に応えようと、気を張りすぎていたのかもしれません」
どこか痛ましげに眉を下げながら、殿下はそっと私の頬へ触れる。
その手つきは、壊れ物を扱うように優しかった。
私のことを大切にしてくれているのは痛いほどに伝わるのだ。
私の感じている違和感も気のせいなのかもしれない。こんなことに違和感を抱く私の方が、おかしいのかもしれないと。そう思い始めていた。
するとクロード殿下は、ゆっくりと首を振った。
「だからといって、君が傷ついていい理由にはならない」
赤い瞳が、真っ直ぐ私を見つめる。
「君が魔力を失った途端、手のひらを返した。そんな連中を、俺は許せそうにない」
その声音は静かだったけれど、奥底には抑え込まれた怒りが滲んでいるように見えた。
私は小さく視線を伏せる。
……こんなふうに、私のために怒ってくれる人なんていなかった。
だからこそ、嬉しくなってしまう。
「……少し、お願いを聞いていただいてもよろしいですか?」
「ああ。君の望みなら、なんでも」
迷うように息を呑んでから、私は殿下を真っ直ぐに見つめた。
「気分転換に……時々、庭園を散歩したいのです」
ずっと部屋から部屋から出られないことに閉塞感を感じていた。だけど、私はそもそも殿下に外に出たいと伝えたことがなかったのだ。こんなにも、私に気を遣ってくれるのだ。話を聞いてくれるのかもしれない。そう期待して口を開いた。
その瞬間。ぴたり、と空気が止まった気がした。
クロード殿下は俯いたまま、何も言わない。表情が見えず、胸がざわつく。
(……言ってはいけないことだった?)
やっぱり、殿下は私を外へ出したくないのだろうか。
そんな不安が掠めると、ようやく彼が口を開いた。
「……今すぐには難しいが、調整しよう」
どこか慎重な声音だった。
「い、いえ……! 殿下がお忙しいのであれば、護衛だけつけていただければ、私一人でも――」
「それは駄目だ」
即座に返された声に、思わず息を呑む。先ほどまでの柔らかな空気が消えていた。
冷えた赤い瞳に見つめられ、一瞬身体が強張る。けれど殿下はすぐに我に返ったように目を細めた。
「……すまない。怖がらせるつもりはなかった」
彼はゆっくりこちらへ歩み寄ると、安心させるように私の髪を撫でる。
「ただ、君のことが心配なんだ」
低く甘い声が耳へ落ちる。
「まだ君は弱っている。外には何があるかわからない」
まるで、自分に言い聞かせるようだった。
「散歩なら、俺が一緒に行こう。だから、もう少し待っていてくれ」
本当は、一人で外の空気を吸いたかった。
誰にも見張られず、自由に歩いてみたかった。
けれど、クロード殿下の表情を見ていると、なぜかそれ以上言葉を重ねることができなくなっていた。
(体調を気遣ってのことよね?)
クロード殿下が一瞬拒絶の色を示したのは、そう言う理由だと。そう自分に言い聞かせていた。
「……はい。わかりましたわ」
気づけばリゼリアはそう答えていた。
***
その日、私は一人きりの部屋でぼんやりと窓の外を見つめていた。
窓の向こうには、王宮の庭園が広がっている。
色鮮やかな花々。
穏やかな風。
遠くで聞こえる鳥のさえずり。
なのに、それらはまるで別世界のもののように感じられた。
窓は閉ざされたまま。
私はただ、この部屋の中から眺めることしかできない。
クロード殿下は約束通り何度か庭園へ連れて行ってくれた。
外の空気を吸い、花々を見る時間は確かに嬉しかった。
(……だけど)
胸の中に燻る息苦しさだけはどうしても消えてはくれなかった。
……最近、よく考える。
クロード殿下は、本当に優しい。
毎日欠かさず魔力供給をしてくれる。身体を気遣い、欲しいものは何でも用意してくれる。
食事も、本も、刺繍道具も。
何一つ不自由はない。
魔力欠乏症の症状も、今は落ち着いている。命の心配だって、もうない。
それなのに。
(……どうして、こんなに苦しいのかしら)
胸の奥が、重たい。息が詰まるような感覚が消えない。
思い出すのは、先日の会話だった。
散歩へ行きたい。
そう伝えた時、一瞬だけ落ちた沈黙。
あの時の殿下は、明らかに私を外へ出すことを躊躇っていた。
それほどにも心配してくれているから?
実際、殿下は何度も言っていた。
君を守りたい、傷ついてほしくないのだと。だから、これはきっと優しさなのだ。
……なのに。
その優しさが、時折檻のように感じてしまう。
私はそっと胸元を押さえた。
それに……王族が一人の女性を私室へ囲っている。
そんなことが周囲に知られれば、醜聞になるに決まっている。
殿下にとっても、良い状況ではない。
(……やっぱり良くないわよね)
私も王宮で閉じこもるような生活を送っていくうちに気付いてしまったことがある。
私はただ生きられればそれで良かったわけじゃない。
誰かに守られて、与えられるまま生きたいわけじゃない。
自由に。自分の意思で。
自分の足で立って、生きてみたい。
そもそも、そのためにこの家を出ようと思っていたはずだった。
(……ここでは、それが叶わない)
この部屋にいる限り。どれだけ優しくされても。
私はきっと、“守られるだけの存在”のままだ。
気づけば、指先が小さく震えていた。
怖い。
クロード殿下は、決して悪い人ではない。むしろ、救われている。感謝している。
それでも――。
私は……。
(私は、自分の人生を生きたい……!)
静かに目を閉じる。
そして、小さく息を吐いた。
(……決めた)
この場所を、出よう。
そう決意した瞬間だった。
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