52、自覚した想い
「ねえリーゼ。ウチで正式に働いてみない〜?」
ユーリの背中を見送ったあと、ユアンが話題を変えるように口を開いた。
薬師ギルドで今後も働けるなんて、思ってもみない提案だった。
「でも私は、薬師の資格はないわよ?」
「ここは薬師見習いも働いているんだよ〜」
「えっ、そうなの……? みんな優秀だから気がつかなかったわ」
「そうでしょ〜! 僕の指導が上手いからかな〜」
ユアンは胸を大きく張る。
その様子を見ていると、最近何となく落ち着かなかった気持ちが、少しずつ和らいでいくようだった。
「それに、働きながら資格を取ることもできるから!」
「それなら、ぜひ今後もお世話になりたいわ」
「うんうん〜! これからもよろしくね〜」
ユアンの言葉に笑顔で頷く。
本来なら、これ以上ないほど嬉しい話だった。
ギルドで正式に働ければ生活は安定する。
自分の力で生きていけるようになる。
それは、公爵家を出ると決めた日から望んでいた未来のはずだった。
これ以上、ユーリの迷惑になることもない。
(……なのに)
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
その理由だけは、どうしても分からなかった。
***
そして、その日の夜。
リゼリアはユーリと夕飯を囲んでいた。
「今日、ギルドでね――」
そこまで言いかけて、言葉が止まる。
どうしてだろう。
伝えるだけの話なのに、口にしてしまえば何かが変わってしまうような気がした。
(変わるって……何が?)
自分でも答えは分からない。
それでも、言葉だけが喉の奥につかえたまま、出てこない。
「どうした?」
「いえ……何でもないわ」
「そうか?」
ユーリは少しだけ首を傾げたが、それ以上は追及せず、ぽつりと口を開いた。
「今日、魔法塔に戻ったんだけどさ……思っていたより歓迎してもらえた」
「よかったじゃない……!」
ギルドのことで頭がいっぱいになっていたけれど、今日はユーリが長いあいだ消息不明だった魔法塔へ戻る、大切な日だったのだ。
「……ああ」
照れくさそうに視線を逸らし、頬をほんのり染めるユーリ。
その姿を見ているだけで、自然と私まで嬉しくなる。
「今までいなかった分のこともあるし、とりあえず三日くらいは魔法塔に泊まっていく」
「わかったわ」
三日くらいなら、きっとあっという間。そう思ったのに、胸の奥が少しだけ寂しくなった。
(……変ね)
以前なら、こんな気持ちにはならなかったのに。
結局、その夜はギルドで正式に雇ってもらえることは、ユーリに話せなかった。
***
ユーリが三日ほど家を空けることは、今までにも何度かあった。
だから今回も、何とも思わないはずだった。
けれど、三日目の夜になっても、ユーリは帰ってこなかった。
(……忙しいのよね)
魔法塔へ戻ったばかりなのだから、仕事が立て込むのも当然だ。
そう自分に言い聞かせる。
それなのに、胸の奥には小さな寂しさが残った。
食事をしていても、気づけば向かいの椅子へ視線が向いてしまう。
誰も座っていないその席を見つめては、ふっと目を逸らす。
(変なの)
今までだって、こういうことはあったのに。
どうして今回は、こんなにも静かに感じるのだろう。
そして四日目の夜。
ようやく玄関の扉が開く音がした。
「すまない。思っていたよりも手間取って」
その声を聞いた瞬間、胸の奥に溜まっていた何かが、ふっとほどけていく。
「……お疲れ様」
「ありがとう……って、お前、顔色悪くないか?」
心配そうな表情で覗き込むように、ユーリが顔を近づける。
その距離の近さに、不意に鼓動が大きく跳ねた。
「っ……」
思わず息を呑む。
「どうした?」
「い、いえ……昨日、少し夜更かしをしてしまっただけよ。今日は早く休むわ」
「そうか。あんまり無理するなよ」
変わらないいつもの声。なのに、胸の奥が落ち着かない。
部屋に入って扉を閉めると、大きく息を吐く。
静かな部屋の中で、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえた。
(……もう、分かってしまった)
どうしてユーリがいないことを寂しいと思ったのか。
どうして帰ってきた瞬間、安心してしまったのか。
どうして彼が近づくだけで胸が苦しくなるのか。
どうしてギルドで正式に雇ってもらえたことを、話せなかったのか。
答えは、もう一つしかなかった。
私はゆっくりと目を閉じる。
この気持ちに名前をつけてしまったら、もう元には戻れない。
ユーリ・アデライン。
あなたのことが――好き。
その瞬間、もう以前の私には戻れないことを知った。




