5、黙って、俺に守られていればいい
魔力欠乏症になってから色々なことが重なった。
家族でさえ魔力が無くなれば扱いが雑になるのだ。
(今までの努力はなんだったの?)
なんだか、もう疲れてしまった。もう、この家にはいたくないと思った。
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
そう思った瞬間だった。
ずっと胸の奥に溜まっていた靄が、すうっと晴れていく。
――そうよ。
この家を出て、自分の力で生きていけばいいじゃない。
私はこれまで、周囲の期待に応えるために努力してきた。
第一王子の婚約者として。
公爵令嬢として。
“優秀な娘”として。
けれど、それは本当に私の望みだったのだろうか。
ただ、“良い子”を演じ続けていただけでは――。
(……自由になりたい)
胸の奥から、ぽつりと本音が零れ落ちる。
周囲から褒められても、どこか満たされなかった。
今ならわかる。
あれは私自身の人生ではなかったからだ。
期待された通りの道を歩いていただけ。自分の中身がなかったのだ。
今の私の望みは、自分の足で立って自立すること。
そう結論づけると、胸の重荷がスッと軽くなった気がした。
けれど、自立するにはどうすればいいのだろう。
まず必要なのは、お金。それは間違いない。
でも私は働いたことなどない。
今の私には、何もなかった。
誇りだった魔力さえ、もう空っぽだ。
……いっそ、貴族という身分を捨ててしまえたら。
(そうね)
平民として生きるのも、悪くないのかもしれない。
リゼリアは窓辺へ歩み寄り、庭園を見つめた。夕暮れの風が、頬を撫でていく。
(……あ)
その時、不意に思いつく。
魔力はなくても、知識ならある。何かに活かせないだろうか。
「んんー……」
教師――は難しいかもしれない。知識だけでは、魔法を教える説得力に欠ける。
けれど、学ぶことは好きだった。
今から新しいことを始めたっていい。
薬師に弟子入りするのはどうだろう?
薬草や調合の知識を学びながら、生計を立てる。
……悪くない未来に思えた。
だけど、そうなれば。クロード殿下とは、もう簡単には会えなくなるだろう。
王族と平民。
本来なら、交わることのない身分だ。
それに、婚約破棄されたばかりの私と頻繁に会っていては、殿下に悪い噂が立ってしまう。
迷惑をかけたくない。
……彼には、十分すぎるほど救われたのだから。
生きたいと思えた。未来を考えたいと思えた。
それだけで、十分だった。
***
数日後。
私は早速、自立に向けて準備を始めていた。
まずは薬草について学ぶことにした。
私は自室の机で書類と睨み合いをしていた。
机の上には薬学書や、魔力欠乏症についてまとめられた資料が積み上がっている。
魔力欠乏症の患者は少ない。けれど、存在しないわけではない。
当然、それを治療するための魔導師もいる。
定期的に魔力供給を行ってくれる者を探さなければ、生きてはいけない。
それに――もしかしたら。
病そのものを治す方法だって、どこかにあるのかもしれない。
脳裏に浮かぶのは、一人の人物だった。
――ユーリ・アデライン。
かつて魔法塔を統べていた、伝説級の大魔導師。
数年前、突然その姿を消した人物でもある。
会える保証などない。
それでも。
もし彼なら、何か知っているかもしれない。そんな希望が、胸の奥に灯っていた。
私は小さく息を吐く。
状況は何一つ良くなっていない。婚約は破棄され、家族からも見放されたまま。
それなのに――。
(……楽しい)
自分でも驚くほど、胸が軽かった。
誰かの期待のためではなく、自分のために行動する。
それだけなのに――こんなにも楽しいのね。
ふと、最近の出来事を思い出す。
義母と義妹の嫌味は以前より露骨になった。食事も、心なしか質素になっている気がする。
(本当に、嫌になる……)
でも、平民になる練習だと思えば、耐えられないこともない。
父の態度が変わったことで、使用人たちの視線も冷たくなった。
居心地は最悪だ。でも、どうせもうすぐ出ていく。
(もう少しの辛抱よ......)
そう決意を固めた、その時だった。
ふいに、目の前へ影が落ちる。
「リゼリア。体調はどうだ」
突然降ってきた低い声に、肩が跳ねる。
顔を上げると、そこにはクロード殿下が立っていた。
「殿下……!」
「すまない。驚かせたな」
彼は穏やかに微笑む。
「そろそろ魔力供給が必要だと思って来た」
その声音は優しいものだった。
けれど、その視線がふと机の上へと落ちた瞬間――空気が変わった。
「……これは、なんだ」
静かな声だったけれど、何故か背筋がぞくりと震える。
彼の視線の先には、魔力欠乏症の治療を行う魔導師たちの資料と、薬学書。
(......あ)
しまった、と思った時には遅かった。
彼は、自分が私を支えると言ってくれていたのだ。
それなのに私は、何も言わずに別の手段を探している。
気分が悪くなっても不思議ではない。
説明しないと……。
「殿下、その……」
言葉を選ぶ間もなく、彼が一歩、距離を詰めてくる。
「俺がいると言ったはずだ」
低く、抑えたような声だった。
「どうして、他を探す?」
逃げ場を塞ぐように、視線が絡む。
「……頼りきりになるのは、申し訳ないと思って」
気圧されながらも、なんとか答える。
「それに、これは……その……自立のための準備で……」
「自立?」
彼の眉がぴくりと動いた。
「はい。……この家を、出ようと思っているんです」
そう告げた瞬間。
部屋の空気が、一気に冷え込んだ気がした。
「......は?」
乾いた声が落ちる。
先ほどまでの穏やかさが、綺麗に消えていた。
「そんな必要はないだろう」
ゆっくりと、彼が近づいてくる。赤い瞳が、まっすぐ私を捉えていた。
「それとも――」
細められた瞳に、ぞくりとする。
「俺から逃げるつもりか?」
「ち、違います……!」
反射的に否定する。
逃げる?
どうしてそんな話になるの。
けれど彼は、納得した様子を見せなかった。
「リゼリア」
優しく名前を呼ばれたのに、本能的に身体が強張る。
「君は、何も心配しなくていい」
そっと手を取られた。
その指先には、逃がすまいとするように力がこもっている。
「こんな苦労をする必要はない」
低く、甘く囁かれる。
「――黙って、俺に守られていればいい」
そして次の瞬間、強く腕を引かれた。
「え――」
景色が、ぐにゃりと歪む。
黒い魔力が視界を覆い尽くし、足元が浮くような感覚に襲われた。
(これって、転移魔法――!?)
理解した時には、もう遅い。
「……っ!」
抗う間もなく、身体が闇へ飲み込まれていく。
そして次の瞬間、世界が反転したのだった。
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