35、それが愛であると信じていた(sideクロード)
リゼリアに拒絶された。
それはもう、言い逃れのできないほど明確に。
誰もいなくなった応接室で、クロードはソファに身を沈めたまま天井を見つめていた。
力が入らない。
胸の奥にぽっかりと穴が空いたようだった。
俺は――どこで間違えた?
***
リゼリアと初めてまともに言葉を交わした日。
あの日から、彼女は俺にとって特別な存在になっていたのだと思う。
最初は本当に些細なものだった。
顔を合わせれば少し話す。挨拶を交わす。それだけの関係。
けれど気づけば、彼女を探している自分がいた。
今日はどこにいるのだろう。誰と話しているのだろう。そんなことばかり考えるようになっていた。
それが恋だと自覚するまで、そう時間はかからなかった。
だが彼女は兄であるエドワード・アストリアの婚約者だった。
俺だって理性がないわけじゃない。手を出してはいけない相手だと理解していた。
だから胸の内にしまい込むつもりだった。
だが、ある日気づいてしまった。
王宮の庭園で、兄上とリゼリアが並んで歩いている姿を見た時だ。
その光景を見た瞬間、胸が苦しくなった。けれど同時に、違和感も覚えた。
(あの二人……)
何かがおかしい。
俺はそれまで、婚約者同士とは愛情で結ばれているものだと思っていた。
だが、あの二人にはどうしてもそれが感じられなかった。
仲が悪いようには見えない。むしろ穏やかだった。けれど、どこか空虚だった。
まるで決められた役割を演じているだけのように見えた。
当時の俺は人々から避けられ、婚約者など当然いなかった。
だから幻想を抱いていたのだ。
婚約とは愛する者同士が結ぶものだと。
だが成長するにつれ理解した。婚約とは家同士を繋ぐ契約だ。そこに愛情が伴うとは限らない。
兄上とリゼリアも、そういう関係なのではないか。
そんな考えが頭を離れなくなった。
そして思ってしまった。
俺なら、俺ならもっと……リゼリアを大切にできるのに。愛で包み込むことができるのに。兄上よりも、ずっと。そう思ってしまった。
だが、その時は何もしなかった。
横恋慕が許されることではないと理解していたからだ。
そんなある日。俺は再び違和感を覚えることになる。
兄上の隣にいるリゼリアの表情だった。
彼女は笑っていた。けれど、その笑顔はどこか不自然だった。
まるで周囲に求められる理想の令嬢を演じているような。
心から笑っているようには見えなかった。
決定的だったのは、とある夜会だった。
一組の夫婦がダンスを踊っていた。妻は自然に夫へ身を預けていた。
その表情は柔らかく、穏やかで――幸せそうだった。
思わず目を奪われた。
そうだ。共に人生を歩むなら。幸せになるなら……愛情は必要なのではないか?
そして、ダンスを踊っている兄上とリゼリアに視線を移す。
やはり違った。彼女は美しく微笑んでいる。
だが、その笑顔はどこか作り物だった。
周囲が求める完璧な婚約者を演じているようにしか見えなかった。
俺は確かめたくなった。本当に二人の間に愛はあるのかと。
二人の婚約は王家によって決められた政略的なものだ。そう簡単には覆らない。
とある方法を思いつく。
リゼリアは高位貴族の中でも優秀で高い魔力を持っていた。だから王太子妃候補として選ばれたのだ。
ならば彼女からその価値が失われたら?
兄上はどうするのだろうか。
もし愛しているなら関係ない。兄上は彼女を選ぶはずだ。
それで二人が結ばれるなら、俺も諦められる。
俺にはこの国でも希少な闇魔法があった。
表では知られていないが、相手の魔力を奪うことができる。
そうして俺は、リゼリアの魔力へと手を伸ばした。
結果は――兄上はリゼリアを捨てた。
(ほらな)
やはり二人に愛などなかったのだ。
兄上が愛していたのはリゼリアではない。彼女の価値だったのだろう。
ならば俺が彼女を幸せにしよう。そう決めた。
問題はない。なぜなら兄上がリゼリアを手放したのだから。もう俺が遠慮する理由はない。
俺がそうさせたのではない。奪ったわけでも壊したわけでもない。ただ真実を暴いただけだ。
……そう思っていた。
だが現実はどうだ?
リゼリアは逃げ、俺を拒絶した。
今まで俺が愛だと思っていたものを、彼女ははっきりと否定した。
「息ができない……か」
その言葉が今も耳に残っている。
彼女のためだと思っていた。
傷つかないように。苦しまないように。
そう言いながら、俺は何をしていた?
「……はっ」
乾いた笑いが漏れる。
リゼリアの魔力を奪った。
もちろん、そのままにするつもりはなかった。
命に関わることくらい理解していた。
兄上との関係を確かめたら返すつもりだった。
本当に、そのつもりだったのだ。
だが……弱っているリゼリアを助けてから自分を頼る様子に優越感を覚えてしまったのだ。
魔力供給という形で魔力を彼女に少し戻せば、健気な表情で礼を言う。
もっと見たいと思った。もっと俺を頼ってほしいと思った。
そうして気づけば、返すはずだった魔力は俺の中に残り続けていた。そして彼女は王宮を出て行ったのだ。
ふと、彼女の叫びが蘇る。
「返して……私の魔力を……返して私の人生を、返してよ……!」
そうだ。俺は二人のために、愛を確かめるためにリゼリアの魔力を利用していた。
戻せばいいと思っていた。いつか返せばいいと。
だが現実はそう簡単ではなかったのだ。
俺が奪ったのは魔力だけじゃなかった。彼女の人生そのものだった。
公爵家との関係も。婚約も。未来も。
何もかも変えてしまった。
その事実に、今になってようやく気づいた。
当然、彼女に魔力を返すべきだろう。
だがそれは、彼女との繋がりを完全に断つということ意味する。
こんなことをしたんだ。もう会いたくないに決まっている。許すはずがないんだ。当然だ、俺がしたことを考えれば。
その事実が、身を引き裂かれるほどに苦しい。
そして再び、彼女の"息苦しい"という言葉を思い出す。
俺は彼女を幸せにするつもりだった。
それは嘘じゃない。本当だ。
だが、リゼリアは……幸せだったのだろうか?
俺は一度でも、彼女自身の望みを聞いただろうか。
何をしたいのか。
どこへ行きたいのか。
どう生きたいのか。
俺は何一つ聞いていなかった。
ただ自分が与えたいものを与え続けていただけだ。守ることが愛だと思っていた。
だが違った。
俺は守っていたんじゃない。手放したくなかっただけだ。彼女のためだと言い訳をして。
本当は、自分のためだった。それに気がついてしまった。
そして理解する。彼女の望みはきっと一つだ。
自由になること。俺から取り戻されることではなく。俺から解放されること。
ぽたり、と頬を涙が伝う。
そのためには彼女に魔力を返さなければならない。返すべきだ。
頭ではわかっている。最初からそうするべきだった。わかっているんだ。
だがそれでも……苦しい。
俺自身の手でこの恋を終わらせなければならない事実が。
「……っ」
こらえきれなかった吐息が零れる。
もう二度と笑いかけてもらえないかもしれない。
名前を呼んでもらえないかもしれない。
それがどれほど苦しくても。
俺は彼女の幸せを願っていたはずだ。その隣に立つのが俺でなくても。
俺にできる最後のことが、それしかないのなら。
「……返そう」
掠れた声が静かな部屋に落ちる。
それは、自分自身でこの恋を終わらせる決意だった。
そうしないと俺は俺自身を許せなくなってしまう。そう思ったんだ。
補足するとクロードは人々から忌み嫌われていた過去から自己肯定感が低いです。
だから自分が選ばれる訳がないと確信していたのです。だからこそリゼリアに素直に告白するという考えにすら及ばなかったのです。
これは愛し方を間違えた男の独白です。
もー!素直に告白してればさー!!




