34、エドワードとエレノア
現れたのはこの国の王太子、エドワード・アストリアだった。
彼は固い表情のままゆっくりとこちらへ歩み寄る。
リゼリアに詰め寄っていたクロードの動きが静かに止まる。
「兄上……」
「……二人とも感情的になっている。少し頭を冷やせ」
低く抑えた声だった。有無を言わせない口調に、クロードも反論しない。
こうして話し合いは、エドワードの判断によって強制的に打ち切られた。
部屋を出る直前、リゼリアは一度だけ振り返る。
クロード殿下は俯いたまま動かなかった。
表情はよく見えない。けれど、その背中だけが妙に小さく見えた。
(クロード殿下……)
その姿を見て、胸の奥が僅かに痛む。
最低だと思う。許せないとも思う。
なのに――あの涙を見てしまったら……。
けれど私はその感情に蓋をする。
あの人が泣いていた理由と、私が傷つけられた事実は別だ。
それだけは混同してはいけない。
(……やっぱり最低よ)
そうしてリゼリアは応接室を後にした。
***
リゼリアは王宮の長い廊下を歩いていた。
数歩先にはエドワード殿下。重苦しい沈黙だけが続いている。
やがて、殿下の足が止まった。
「……話を聞くつもりはなかったんだ」
背を向けたまま、ぽつりと言う。
「それに、邪魔をするつもりもなかった」
静かな声だったけれど、どこか迷いを含んでいる。そしてゆっくりと振り返る。
「だが……あのまま続けさせるべきではないと思った。二人とも冷静ではなかった」
「……ええ。わかっています」
リゼリアは頷いた。
それは事実だ。
もしエドワード殿下が来なければ、あの場はもっと取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
再び沈黙が落ちる。
殿下は何かを言いたそうにしながらも口を開かない。やがて覚悟を決めたように息を吐いた。
「それと……すまなかった」
彼の口から出たのは謝罪だった。
リゼリアは静かに目を瞬く。なんのことを指しているのかは、大体想像がついているけれど――。
「それは、何についての謝罪でしょうか」
エドワードの表情が逃げ道を塞がれたように、僅かに強張る。
言葉に詰まらせているようだった。けれど息を整え、再び口を開く。
「……元はといえば俺のせいだ」
苦しそうに言葉を絞り出す。
「よく調べもせず、結果だけを見た」
「……」
「君の話を聞こうともしなかった」
自嘲するように笑う。
「王太子として失格だな」
その声には後悔が滲んでいた。
「君を傷つけた」
「……」
「本当に、すまなかった」
リゼリアはしばらく黙っていた。
目の前の男は、あの日自分を切り捨てた人だ。すべての始まりだった人。
あの時の自分が、この謝罪を聞いていたら。きっと泣いていた。救われたと思ったかもしれない。
だけど――。
(今更だわ)
不思議なほど心は静かだった。
王宮を出てから色々なことがあった。ユーリと出会って、ギルドのみんなと研究をして。
たくさん失敗して、たくさん笑った。そうやって少しずつ前を向いてきた。
だからもうあの頃の苦しさは――過去のものだ。
「いえ。王太子としての殿下の判断は、間違っていなかったと思います」
エドワードの瞳が揺れた。
「リゼリア……」
「当時の状況を考えれば、そう判断するのも当然です」
だから責めるつもりはない。責め続けても、もう意味がないから。
リゼリアは小さく微笑んだ。どこか寂しげな笑みだった。
「ただ……悲しかったです」
その一言に、エドワードは息を呑む。
リゼリアの言葉は静かに発せられていた。怒りもなければ責める響きもない。ただ、事実だけを告げていた。
けれど、どんな言葉よりも重かった。
エドワードは目を見開いたまま動かない。しばらくして、苦しそうに視線を伏せる。
「……そうだな」
掠れた声が落ちた。
「君は、悲しかったはずだ。せめて話を聞くべきだった」
拳を強く握りしめる。
「本当に……すまなかった」
リゼリアは静かに目を閉じた。
再び沈黙が落ちる。
「……今日はもう遅い。公爵家に戻るのか?」
「いえ、もうあの家に戻るつもりはありません」
「そうか、では今日は王宮で休むといい」
一瞬断ろうと思ったけれど、まだクロード殿下との件は解決していない。
リゼリアはエドワードの提案を受け入れることにした。
再び前を歩いていくエドワードの背中をリゼリアは見つめていた。
正直、エドワード殿下のせいかと問われると、それは違うと思う。
殿下はあくまでもきっかけであって、原因ではない。
でもまあ……
配慮に欠けていたのは事実よね。
彼は王太子だ。
正しい判断を下すことはできても、人の痛みに気づくことは得意ではないのかもしれない。
***
翌日、王宮の客室で休んでいたリゼリアのもとを再びエドワードが訪れた。けれど、一人ではないようだった。
彼の後ろには、一人の少女が立っていた。
桃色の髪を揺らし、不安そうに視線を伏せている。
エレノア・フェルナール。この国の聖女であり、現在はエドワードの婚約者となった少女だった。
「休んでいるところすまない。エレノアが、君の魔力について話したいことがあるそうなんだ」
リゼリアは眉をひそめた。
「……エレノア様に話したのですか?」
なぜ急に彼女が出てくるのか。あれは簡単に人に話していい内容ではないはず。
思わず鋭い視線を向けると、エドワードは首を横に振った。
「……誤解しないでくれ。彼女から声をかけられたんだ」
ますます意味がわからなかった。
すると、これまで黙っていたエレノアが意を決したように顔を上げた。
「……私には見えていたのです」
小さな声だった。
「リゼリア様の魔力が、クロード殿下の方へ流れているのが」
リゼリアの表情が固まる。エレノアは震える声で続けた。
「それで……私の聖女の光魔法と闇魔法は相反しているので無効化することができます。ですから……リゼリア様の魔力を取り戻すことができると思うのです」
彼女はぎゅっと手を握り締め、真っ直ぐにリゼリアを見つめた。
「もしよろしければ……協力したいのです」
するとエドワードも口を開いた。
「私も協力しよう。王命であれば、クロードも拒否はできない」
二人は当然のように話を進めていく。一方でリゼリアは黙り込んだままだった。
二人とも善意なのはわかっている。
(わかるけれど――)
そうしてリゼリアはようやく口を開く。
「……気づいていたのに、黙っていたのですか?」
その瞬間、空気が凍った。リゼリアの静かな声だけが響いていた。
エレノアの顔がみるみる青ざめる。
それでもリゼリアは止まれなかった。
「それと……なぜ今になって話そうと思ったのですか?」
俯いたまま、エレノアは答えられない。
重い沈黙が落ちる。やがてエドワードが口を開いた。
「リゼリア……気持ちはわかるが――」
「エドワード様」
エレノアが彼を制した。そして震える唇で言葉を紡ぐ。
「……私が悪いのです」
消え入りそうな声だった。
「私が……弱かったから。リゼリア様に魔力が戻れば、私は必要なくなると思っていました」
その言葉にエドワードが目を見開く。エレノアは自嘲するように笑った。
「だから怖かったのです」
ぽろりと涙が零れる。
「聖女として選ばれても、自信なんてなくて……」
「……エレノア様」
「ごめんなさい…………本当に、ごめんなさい」
彼女の声は震えていた。リゼリアはしばらく彼女を見つめる。
怒りはあった。気付いていたなら早くに打ち明けてくれれば、私もこんな思いはしなかった。
けれど目の前にいる少女は、加害者ではなく弱さに負けた被害者にも見えた。
リゼリアは小さく息を吐く。
「……もういいのです」
エレノアが顔を上げる。
「……いじわるを言ってごめんなさい。あなたも被害者なのにね。もちろん、傷つかなかったわけではありません。でも、あなただけが悪いとは思わない。話してくれて……ありがとう」
「リゼリア様……」
「悪いのは男たちよ」
その瞬間、エドワードが思い切り顔をしかめた。
「……返す言葉もない」
「でしょうね」
リゼリアは肩を竦める。
少しだけ空気が和らいだ。
するとエレノアが恐る恐る尋ねた。
「では……協力は……」
リゼリアは首を横に振る。
「お断りします」
「え……?」
エレノアが目を見開いた。リゼリアは静かに答える。
「クロード殿下自身の意思で返していただかないと意味がないと思うので」
そうでないと、私が前に進めないと思うから。
その言葉に、二人は黙り込んだ。
リゼリアの表情は穏やかだった。けれど、その決意だけは揺らがなかった。
***
一方その頃。
王宮の外では、ユーリ・アデラインが腕を組んで立っていた。
もちろん周囲からは見えないように魔法が施されている。
「……俺は何をやってるんだ」
ぽつりと呟く。
昨日も様子を見に来た。その後、一度帰ったはずだった。
なのに今日もまた来ている。
ここに一人で行くと決めたのはアイツ自身だ。俺が口を出すことじゃない。
それに俺には探し物がある。暇なわけでもない。
なのに、気づけばまた王宮の前に立っていた。
「……はあ」
深いため息が漏れる。
そして数秒後。
「いや、別に心配してるわけじゃないからな?」
誰も聞いていないのに言い訳した。もちろん返事はない。
ユーリはもう一度だけため息を吐いていた。
次回、クロード視点。重いです。




