33、こんなのは愛じゃない
リゼリアが自分の意思で王宮を出たことを告げると、クロード殿下の表情がすっと消えた。
その一瞬に背筋がぞくりと冷える。
ゆっくりと目を閉じたあと、彼はもう一度リゼリアを見た。
「……つまり俺のことが嫌だった、ということか?」
「違います、殿下」
「ならなぜ出た? 何が不満だった」
問いかけは淡々としているのに、どこか必死だった。
「望むものは用意した。危険もないようにした。君が困らないようにしたはずだ」
その“はずだ”が、胸に引っかかる。
クロード殿下は、きっと本気でそう思っている。好きと言ってくれたことも彼が自分なりにリゼリアを大切にしてきたことも嘘ではないのだろう。
だけど、そうじゃない。私はあの生活が……確かに苦しかった。
「……それが、違うんです」
「え?」
私はゆっくりと息を吐いた。
「殿下は、私を大切にしてくださったと思います」
私が人生でいちばん辛かった時に助けてくれた人だ。そのことへの感謝は今も消えていない。だからこそ、このすれ違いがとても心苦しい。
「なら――」
「でも私は、それだけでは息ができなかったんです」
クロードの視線が止まる。
「息が……できない?」
「はい」
言葉を選ぶようにリゼリアは続ける。
「守られていたはずなのに、だんだん……自分で何も選べていない気がして」
「……」
「小さなことでもいいんです。自分で決めて、自分で立っていたい。それに気づいてしまったんです」
しばらく沈黙が落ちた。やがてクロードは小さく息を吐く。
「……では、外に住めばいい。好きにしていい場所を用意しよう」
「それでは同じです」
私は首を振る。
「場所の問題ではありません」
「…………」
クロードの目がわずかに細まる。
「……なら、どうすればいい」
その問いは珍しく迷いを含んでいた。私は一度だけ目を伏せてから顔を上げる。
本当に聞きたかったのは、ここから先だ。
「殿下」
「なんだ」
「一つ、聞いてもいいですか」
「なんでも言ってくれ」
「私は……なぜ殿下のそばにいると、息が苦しくなるのでしょうか」
空気が止まった。クロードの表情が一瞬だけ揺れる。
「…… 俺に直して欲しいことがあるなら何でも言ってくれ」
「直してほしいという意味ではありません」
私は続ける。
「ただ、確認したいだけです」
「……どういう意味だ?」
「殿下が近くにいると、急に体調を崩すことがあったんです」
「……」
「これは偶然でしょうか」
クロードの視線がわずかに揺れた。
――その瞬間、リゼリアは確信してしまう。
けれどまだ、言葉にしたくはなかった。
王宮での生活は確かに苦しかった。でもクロード殿下は、確かにあの時に助けてくれた。私にとって支えになっていたのも事実なのだ。だからこそ、彼がそんなことをしていたなんて思いたくない。
でも私は……真実を知らなくてはならない。
「もう少し、はっきり言います」
声が震えそうになるのを必死に押さえる。
「殿下は……私の魔力を……奪っていたのでしょうか」
まだ確定したわけじゃない。偶然の可能性だってある。
この人は、確かに自分を助けてくれたのだから。
そう思った、その時。クロード殿下が一瞬だけ、視線を逸らした。
――それが、答えだった。
ひどく裏切られた気分だった。胸の奥で何かが崩れる音がした。
リゼリアはゆっくりと立ち上がる
「返して……」
掠れた声が落ちる。
「私の魔力を……返して」
「私の人生を、返してよ……!」
クロード殿下は何も言わなかった。
ただ、壊れそうなほど真剣な瞳でリゼリアを見ていた。
あの時の殿下は……嘘だったの?
助けてくれた、救ってくれたと思っていたのに。それが彼の手によって引き起こされた物だとしたら……?
私が今まで信じてきたものが根底から覆されてしまう。
「……なぜ、こんなことを」
ようやく絞り出した声は掠れていた。
「……リゼリア、君のことが好きだったからだ」
「何を言っておられるのですか……! 好きなら、こんなことはしないはずです!」
その言葉に、クロードの表情が凍りついた。まるで胸の奥を抉られたように。
「……違う」
掠れた声が静かな部屋に落ちる。
「違うんだ」
クロード殿下はゆっくりと立ち上がる。
一歩。また一歩。近づいてくる姿に、リゼリアは思わず後ずさった。
「……っ」
その反応に、クロードの瞳が揺れる。
傷ついたように。それでも彼は止まれなかった。
「リゼリア……君だけだったんだ」
伸ばされた手は震え、その声音は王子のものではなかった。
ただ一人の男の、どうしようもない本音だった。
「君がいないと駄目だった」
「殿下……」
「だから離したくなかった」
リゼリアは首を振る。
その仕草だけで、クロードの顔から血の気が引いた。
まるで拒絶そのものを突きつけられたように。
「……信じられません」
リゼリアは静かに返す。
けれど、その一言が決定的だった。クロードの瞳から光が消える。
「リゼリア……っ」
次の瞬間、強い力で腕を掴まれた。
視界は揺れ、気づけば身体はソファへと押し倒されていた。
「っ……!」
覆い被さるような距離。それでもクロードは触れようとしない。
ただ縋るようにリゼリアを見つめていた。
「この気持ちだけは……否定しないでくれ」
声が震えている。苦しそうだった。
そこにあるのは狂気というより、必死さに近いもの。
「……本当なんだ」
「信じられません」
リゼリアは真っ直ぐに言い切った。
(こんなのは愛じゃない……!)
その瞬間、クロードの瞳から光が落ちる。
「リゼリア……っ」
泣き出しそうな声とともに、顔が近づく。
リゼリアは反射的に身を強張らせる。その瞬間、クロード殿下の目が大きく見開かれ、彼の動きがぴたりと止まる。
そして、私の頬に冷たいものがぽたりと落ちた。
クロード殿下は――泣いていた。
「……っ、リ、ゼリア……」
どうして。
どうして、そんな顔をするの。
まるで――私が悪いみたいじゃない。人生を壊されたのは、私なのに。
泣きたいのは……私の方なのに。
その時――。
「――クロード!!」
扉が勢いよく開く。
「そこまでだ」
冷たい声と共に現れたのは、王太子エドワードだった。
来たの、お前かよ




